563.愛するあなたへ
——………………ッテ……
「う、ん……」
ヒヤリ、
首筋に吹き込むのは、感じ慣れた寒々しさ。
——……リー…ロッ………
慣れたのなら、どうして彼女の肌はそんなに、
尖った感受性を示すのだろ。
——……リーゼ……テ……
温もりを感じた日なんて、もう彼方の記憶にも残っていない。
儚い幼年期の思い出は、今やどこにも存在しない。
彼女は寒くない朝を、最早、知らない筈なのに。
『リーゼ!』
「ガヴ!?」
薄いタオルケットを吹き飛ばすように起き上がると、そこは窓のない部屋だった。
金属製らしき味も素っ気もない壁に囲まれているが、息が詰まるような気分となるが、冷気は変わらず彼女を包んでいる。
「ここ、は……?」
蹴飛ばしてしまったブランケットを引き寄せ、包まりながら、室内を見回す。
少なくとも彼女の記憶にはない場所だ。
教会が用意した“足”だろうか?
「「お目覚めですか、リーゼロッテ」」
「……ガヴ!」
クランクらしき車輪型ハンドルを持つ分厚いドアを開き、白い輪を戴き手を一本ずつ使って一つの輪を作った男女が入ってくる。
“聖聲屡転”。
どうやら安心していいようだった。
「ここは一体?illはどうなったの?“右眼”は?」
「「現在我々が搭乗しているのは、ルカイオス公爵家が用意した英国魔学潜水艦“ヘオロット”です。空路や船舶では上空から撃破される可能性が高く、海中に隠れながら戦線を離脱、帰投中です。
illは“可惜夜”の顕現を以て破壊を断念、退却しました。“右眼”はカミザススムの管理下に戻り、島に残った勢力間で、丹本国主導による現状維持が合意されました」」
つまり、ほぼほぼ元通りということだ。
永遠に失われたものもあるのだが、少なくとも“右眼”に関して限定すれば、最も安定的な望ましい状態に戻ったことになる。
「そっか……」
『リーゼ!聞こえますか!無事ですか!?』
「えっ、ガヴ?」
突然に切迫した雰囲気で呼ばれて顔を上げ、“聖聲屡転”をまじまじと見る。
『リーゼ!何処にいますか!リーゼ!』
目の前の二人からではなく、頭に響くそれ。
彼女はピンと来た。
『リーゼ!これを聞いていたら返事をしてください!』
「「如何致しました?」」
「ごめんごめん、“奔獏”に遅らされてた魔法通信が、今更届いたみたいでさ」
電波が繋がった途端に、未読メールが大量に流れ込んだようなものだ。
こうして冷静になってから聞いていると、その真に迫った呼び掛けが、少し面白くなってくる。
『リーゼ…!お願い、返事をして…!』
「クヒヒッ、ガヴってば、すっごい焦ってたんだね~?そんなに私のこと心配だったぁ?」
『リーゼ…!……あなたにこれが、届くことを祈って……』
天使の器となった二人は、一糸乱れず同期した動きで、ピンと来ないように首を傾ける。
『……せめて、これだけは、』
「「すいません。あまり、分かりません」」
「またまたぁ、惚けなくってもいいのに」
そこで“聖聲屡転”は何かに気付いたように、
「「そうでした、あなたには説明をしなければなりません」」
『これだけでも、あなたに聞こえていればいいって……』
「説明?」
二人の手で作った〇字を胸の前に持ち上げて——
『あなたを愛しています、リーゼ』「「初めまして、リーゼロッテ」」
「……え……は………?」
冬の湖に、突き落とされたのかと、そう思った。
『私も、後悔していません』
「「今回の戦闘で、莫大な魔力の集中運用が必要という判断が下され、実行された結果——」」
何を言ってるのか、分からないのは、
『あの日、あなたに手を差し伸べたのが、私で良かった』
「「教王猊下の魔法行使が一度、必要魔力の不足によって完全に途絶してしまい——」」
息が止まって、脳に酸素が行かなくなってるからか、
『あなたとの出会いを、父に感謝しています』
「「我々を構成する情報は完全に断絶した状態となり、位格としては初期化された状態となりました」」
寒さで全身、凍り付いて止まってしまったからか。
『そしてあなたにも、ありがとう、リーゼ。私にあなたのこと、たくさん教えてくれて』
「「申し訳ございません、リーゼロッテ。我々はあなたについて、教王猊下から拝聴したこと以上を、知り得ません」」
リーゼロッテは、時間すら氷に閉じ込められたかのように、暫く動かなかった。
が、不意に言葉を思い出し、
「……ごめん、ガヴ…リール……。ちょっと、5分くらい、一人にしてくれると、嬉しいな……」
蚊の羽音みたいに消え入りそうな声で、そう要望した。
天使は彼女の内心を慮り、「時間はあります。30分ほど安静にしていてください」、そう言って出入口に向かう。
部屋から出る直前に、二人は振り向き、
指で作った円環を捧げ、言祝いだ。
「「『あなたに——』」」
——父の祝福が、あらんことを
リーゼロッテは一人になった。
「ガヴのやつ、なあにが『無事ですか?』、だよ……」
毛布を搔き集め、両肩を抱く。
「自分の方が、魔力の使い方ミスって、消えちゃうドジなクセにさ………」
それが震えていたのは、
今だけは、寒さのせいではなかった。




