558.いたく、あつい
水分を全て奪われた脚が、魔力噴射の反動で崩れた。
咄嗟に空中に設置した魔力に右肘で掴まり、体を支えていなかったら、きっと膝上まで失っていた。
「ヴううううううう゛う゛う゛う゛う……!」
逃げ、なければ。
そう思っても、力が入らない。
細かい魔力が操作から離れ、傷が開いて大量出血。
それが頭痛を酷くする。
「単純な熱中症だよ。『日陰でこまめに水分補給を』。聞いたことくらいは、あるでしょ?」
「き…き、ヤ……」
“提婆”。
そのローカル。
ただの強い日射し。
ただそれだけ。
それで、地面が焼き上げられているのか?
真っ黒焦げで、鉄板みたいに高熱で、触れた部分を一瞬で、こんな…!
丹本が用意した、極限環境での使用も想定されてる、耐熱も当然考えてるアーマーだぞ…!
地面と、それで温められた空気と…!
そんなんで、こんな酷いダメージになるのかよ…!?
シャン先生から以前、サウナの室温が100℃でも、空気の熱伝導率と汗の気化のお蔭で火傷をしないって、聞いたことがある。
じゃあここは、何度になってるんだよ…!
密閉されてすらいないんだぞ…!?
「ごっ…!ごぼっぼっ、ぼご…ッ!」
「あーあ、噎せちゃった?お大事に~」
気道にサラサラとした粒子が入り込む感覚。
その痛さは、ただチクチクと尖っているからか、それとも高熱由来か。
戦うどころじゃない。
体中から分泌される液体の全てが瞬時に蒸発して、端から干からびていく危機感すらも、脳と一緒にデロデロと融けている。
「ダンジョンを呼ぶ間、隙が出来る、そこで逃げられるって、そう思っちゃったんだろうけど、」
ノコノコ出て来た何者かを、即座に行動不能に陥らせる獄熱。
「甘々の甘ちゃんだよお?」
そう、甘かった。
誰が生き残ったか見て、それから次の行動を考え、攻撃に移る、なんて悠長を、奴は犯さなかった。
味方だろうが敵だろうが、まずはフライパンの上に叩き込む。
それで味方が事故死しても、それまで。
そういうドライさに、備えられていなかった。
「きみを逃さないのに、ダンジョンなんていらないんだから」
炎天、
その言葉にぴったりな灼熱の中で、口呼吸の度に舌が干物にされていくのを感じながら、魔力を動かしてなんとか逃げようとする。
無理っぽいが、それでもだ。
どうせ死ぬなら、やって後悔することもない。
「みっじめー。小憎らしいガキんちょもここまでかー」
霞んで見える褐色が、その端っこを持ち上げた。
指を、さして、いる?
「じっくり焼き目もつけてあげたことだし、………?……何してんの?」
口で魔力塊を噛んで首の力で体を持ち上げ、手のない右腕で鳥籠をしっかりと抱いて、傷は魔力で押さえて出来るだけ血を止めて、左半身を前に出し、そちら側からの噴射による流動防御を展開。
攻撃が、来る。
「えっ、もしかして、守ろうとしてんの?守るつもりでいんの?それ?」
だめ、だ、目蓋が、
「一人で立ってることすらできない分際で?まじでやってんの?」
ボヤけが、酷くなって、
「うっわー、いじらしいね?」
まりょ、く、け、はい、が……
よ、け……
「女々しくてキショク悪い」
また、暗闇だ。
動き続けなきゃいけない。
死んだのなら、考えることもできない。
それが、まだ死んでないって証拠。
前が見えずとも、感じろ。
魔力越しに、何でもいいから、
方向なんて最悪どうでもいいから、
動かせ、
動け、
なにか、顔も肌も使って、
痛みを利用して、
少しでも外からの情報を得ようとして、
その時に感じたのは、
涼しさ。
「……?」
感覚がイカれたか?
という思考の冷静さが、怪訝さを加速させる。
温度が、下がってる?
これは、
この黒色は、
「どいて」
闇じゃない。
布だ。
「私の夜に、光はいらない」
黒と青の、知っているようで知らないリボン。
「抱き絞めて、閉じ込めたいんだから」
それが女の腹を貫通して、俺を包み込んでいる。
褐色肌の背後、青黒の見知らぬ衣装を纏った、
見違えたような表情で、
でもよく見知った顔と声。
「みよ、ちゃん……?」
どうして、ここに?
それに、その魔法は?
俺が聞く前に、
明度だけ高い煉瓦色の光が横切る。
右の方で岩が砕かれたように聞こえる。
そっちに目を向けると、腹に切れ込みを入れられた“提婆”が、その傷に触れながら真顔で立っている。
その隙にミヨちゃんは俺を引っ張り、体のあちこちにリボンを撒いて血を止める。
「………」
“提婆”が人差し指をこちらに向けて、ミヨちゃんがリボンで作った球面装甲が煉瓦色に溶断される。
すぐに再生させ、俺を抱きかかえながら守りを整える。
麦わら帽子の下、サングラスが僅かに横へ傾く。
「普通に、こっちが強い……」
ボソり、
明瞭でない発音で、何か呟いている。
「なんでだ……?」
追撃の手が、どういうわけか止まっている。
体の傷もすぐに塞がれ、このままさっきのを連発されると、こっちからすれば辛い状況なのだが、
何か知らないが、困惑している?
「みよ、ちゃ……!」
「ススム君、喋らないで…!」
「に、げ……!」
「ごめんなさい。この能力じゃないとススム君を守れないんだけど……!」
深化の結果なのか、変質した魔法。
これには、治癒能力が存在しないみたいだ。
止血が精々、ということなのだろう。
「……もっかい撃ってみる……?いや……、それより、息切れを待った方が、確実か……?」
“提婆”は攻撃してこない。
この隙に離脱出来ないか?
「入れたのに……!」
リボンの一つの先が、横へと伸びていく。
その先をよく見ると、煉瓦色がオーロラのようになっている。
魔力、それとも魔法が起こしてる現象か?
それに触れたリボンは、焼けたのか溶けたのか、瞬時に形が崩壊した。
「どうして…!?出れない……!」
「うん……。普通に、出れないよな……」
その光景を見て、納得したように、或いは言い聞かせるように、繰り返し頷く“提婆”。
「お、れが、あしでまとい、に…!」
「違うよ!ススム君が居るから、この魔法は…!」
そこで彼女が言い淀んだので、どういうことか分からないが、けれど逃げ道が無いことは理解できた。
それ以上を考えようとしても、頭が重い。
でも、何か手を見つけないと。
「もっと、思い切ってみるか……」
敵も、もう待ってくれないみたいだ。
俺の役立たずの頭が、空回ることすらしなくなってる間に、事態はどんどんと悪い方へ。
何かしないと、
せめて何か、
行動を、
考えることを、
続けていないと——
〈チャンス到来!〉
地面から、象が出て来た。
分厚い肉が、足が、高温を受けて崩れているけど、少しの間だけ破壊に抗っている。
象の足の裏って、ほんとに硬いんだなあと、暢気な感想が湧いてしまう。
〈カミザどのおおおお!〉
その鼻が振りかぶられ、何かを投げた。
瞬時に気化した古茶のシャボンの内に、影のようなシルエット。
「キャッチして…!ミヨちゃん…!」
「うん!」
空飛ぶハーケンを掴んだ黒衣が、その手を離して落っこちてくる。
リボンがそれを、低反発枕のように緩やかに受け止める。
「トオハさん、生きて……!」
「話は後です!」
その足に古茶の水玉が生成され、
「あなたの『面白さ』とやらに賭けます!」
蹴り出される。
「制御してみなさ——」
強光が、
視界を真横へ洗い流した。
音も匂いも巻き添えに。




