557.それができれば、どんなにか
「“愛国心”、だ。愚かだと思うか?」
黒い炎が、そう言った。
ここは、何なんだろう?
遠くに山脈が見える、砂っぽい草原。
稜線を越え、点にしか見えない何かが沢山、こちら側に駈け下りている。
空気の感じに、覚えがある、気がする。
これは、そう、夢だ。
カンナに稽古をつけられている時の、あの感じにそっくりだ。
「『公への奉仕』を、悪の都合で人生を浪費させる罠だと、そう感じるだろうか?」
「……ちょっと前の俺だったら、怖い考えだって、きっとそう思ってた気がする」
土色も混じる渇いた草の上で、風に煽られながら延焼もしない黒火に、なんでか返事をしてしまう。
「今は、違うのか?」
「ある人……『人』なのか微妙だけど、まあ、ある話を聞いて、少しだけ思い直した」
「どのように?」
国粋主義。
時に過激な暴力を生むことで、恐れられているその思想は、
「人が平和に生きるなら、必要なことなのかもって」
捨ててしまったら、社会も約束も忘れてしまう、そういう大事なものでもあった。
黄金色の髪を持つ女に、そういう話を聞いた。
「人は、一人では生きられないって」
「そうだ。だから我々は、“仲間”を求め、その多さ、大きさに安堵する」
人間はたった一人だと、ちっさいものだから。
小さいままで、正しいことをする勇気はないから。
「あの大陸で長い歴史を積み上げてきた同志として、一つに強く連帯する。そうれば我々は、弱さを克服して時間を超える」
それはどこか方便で、言い訳で、言ったもの勝ちで、こじつけで、
だからきっと嘘なのだろう。
でも嘘は、信じられれば意味を持つ。
約束なんて、どこにも実証が無いものが、信頼があれば力を持つように。
「央華には、四千年の歴史が折り重なっている。たとえ民族が変わろうが、何度も崩壊と新造を繰り返そうが、それは『央華の歴史』なのだ」
全然関係ない人間を、一つの約束事の下で、自分達へと繋がる仲間と定義する。
そうやって時代越しに引き合う力を利用して、今生きている人達を纏め束ねる。
「太古の生物の死骸が、積み上げられて地層となったからこそ、今の地面があるのと同じように、『央華』を掲げた全ての人間が、今の央華を作っている」
「でもそんなの、他の全員にだって、言えることになるんじゃないか?」
「そうだ。だからこそ、『それを言えるかどうか』、『そこに誇りを持てるかどうか』、その高潔さの有無こそが、人を二分する」
自分が踏んでいる地層を誇れる人。
それはつまり、自分を立たせるその土が、屍の山だと知っている人。
善悪あらゆる物事がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた、そんな泥から自分が生まれたと、それを分かっている人。
「過ちであれ、汚名や悪名であれ、『央華』はそれを残し、次に来る者がその上に国を作った。行動と、それが生んだ事実が、次代の踏み場となった。それが失敗であったとしても、次の、その次の足下で、無意味とは無縁な有り様で、彼らを支え続けている」
点々が近付いて、輪郭が何となく見えてきた。
馬だ。
それに、人が乗っている。
騎馬の大群だ。
あの軍勢が、これから滅ぼすんだ。
何故か、そんな事を思った。
「それは、責任感?」
「そうとも、言えるかもしれない。我々は生まれた時から、一人ではいられない。何千年もの時間の後に、我々が現代で生まれたということは、それだけ多くが死んだということ。我々を生む為には、それだけの悪と滅びが必要だったということ」
秩序を生むには、それ以上の無秩序が無ければならない。
「その成果物を、たった一つの肉体として、たかが2~3メートル立方に収まる物体として消費する。それほどの野放図が、『醜くない』などと、正面切って言えるのだろうか?」
そいつは、言えなかったのだろう。
「私は少しでも、その土を豊かにしようとした。それが含む希望を、濃くしようとした。そこに一切の妥協は許されなかった」
ああ、こいつ、真面目なんだな。
そう思ってしまった。
「私は私の思う全てを実行に移した。それだけだ。そこに間違いがあろうと、無駄を見つけ出そうと、無意味ではなかった。正であれ負であれ、無為とは誰にも言えなくなった」
自分個人が思う正義。
良くないんじゃないかという躊躇い。
それで止まるのを、こいつは許容出来なかったんだろう。
本気でやって、減速ナシにぶつかって、勢い余って滅ぶいくらい全身全霊でペダルを踏んで、
そこまでやらないと、父祖に報いたって、子孫に残せたって、そう胸を張れなかったのだろう。
こいつは、一人の人間として物を見てない。
肉体が一人に収まってないから、当たり前だ。
こいつの視点はもう、群体そのものになっている。
いつか見つかる正しさの為に、礎になる事が最優先で、だから自分が引き出せる可能性を、余すところなく実現させ、事実として堆積させた。
分かった。
こいつの考えてることが、なんとなくだが腹に落ちた。
こいつにとって、俺みたいな敵もまた、探究の材料なんだ。
自分達が間違っているなら、それが確実に間違っていると証明する事に価値があって、だから最後まで敵に抵抗する。
それで負けたら、「目的か手段のどちらかは間違っていた」と判明して、それが行動の意義となる。
こいつはどこまでも、本気で世界を正しくしようとしていた。
「四千年」を継承する為に。
「だとしても、」
そうだとしても、俺は、
「俺は、お前から『希望』を、次に残したい物を奪う」
その高潔さに、道を譲れない。
俺の器は、結局160cmにすら満たない狭さしかない。
「良かろう」
太鼓が小刻みに打ち鳴らされている。
違うか。
これは馬の足音だ。
「それが、“勝者”、だ」
土の震えが感じ取れるくらいまで、その隊列が近付いている。
重なり連なる轟音が、土煙と共に景色を呑む。
親指を立て、人差し指を伸ばし、指ピストルの形にして、黒い人魂に向ける。
「……なあ」
「なんだ」
「そっちでは、永遠のサヨナラって、なんて言うんだ?」
「……『永别了』」
小さく息を吐く。
吐いたつもりになってるだけかも。
ここでの体感は、当てにならない。
ただ儀礼的に、もう一度しっかり吸って、
「ヨンピィエラ、オール・ラウンド」
「…サヨナラ、カミザ・ススム」
砂が頬を撫でるのを感じながら、
吐き出した。
ブヨブヨとした肉に爪を食い込ませ、内から裂き広げた感触。
それは吐瀉物の臭いみたいに、指にこびりついて離れなかった。
「………」
目に映る光景が、戻った。
さっきのは、相手の魔学回路に侵入したせいで、幻を見たのだろうか?
「………」
崩れていく黒い塊。
それが差し出しているかのように見える、鳥籠型の物体を、よろめきながら受け取った。
「……くそ………」
パリパリと、その表面を覆う金属に罅が入っていき、
「くそぉ……!なんで……!」
それが割れて、中から“右眼”の入った装置が出て来る。
「なんでだよ……!」
それを強く抱き締め、両膝を屈してしまう。
「なんで、どいつも、こいつも……!」
道眞さん、トオハさん、ガネッシュさん、壌弌の刺客、“号砲雷落”、三都葉瑠璃、“刺面剃火”、そして、“醉象”。
みんな、みんな、なんでだよ。
「なんでみんな、スッキリ憎ませてくれないんだよ……!」
なんで、気楽に殺させてくれないんだよ。
敵のクセに。
手段を選ばない、卑怯で過激な大人達のクセに。
人でなしの、化け物のクセに。
なんで、どこかに、美しさを持ってるんだ。
誇れる何かを、磨き上げてるんだ。
光を捨てても、なお眩しいんだ。
「なんで、お前ら、そんなに、生きてるんだ……!」
厭なのに。
生きている何かを殺すのは、厭だっていうのに。
ただちょっと強いだけなら、少しズル賢いくらいなら、凡百のモンスターと同じように、“駆除”できたのに。
斬り捨てるにも、捨て石にするにも、何の呵責も無かったのに。
「ちくしょぉ……!ちくしょぉおおお……!」
やめてくれよ。
俺は、弱いんだよ。
動けなくなったじゃないか。
こんなことしてる場合じゃないのに。
「なんで……!」
ダメなやつなんだよ俺は。
怒りに酔ってないと、一番欲しいものすら、自分の口で求められない。
そういうヘタレ野郎なんだよ。
「ぐ、ぅうう…!ぐうううううう、ぎ、ゅ、ううううううう…!」
目を限界まで開き、奥歯を削りながら、耐える。
まだ終わってない。
最後の仕上げが残っている。
気絶するな。
全霊探知状態のオンオフの頻繁な切り替えの後に、全身修繕の為の全開使用。
脳の負担が大きく、沸騰したようにすら感じる鉄の臭いが、目から鼻から液体となって滴り落ちる。
でも、まだ、寝るな。
意識を保て。
ここから、逃げろ。
全ての死に、意味を持たせろ。
彼らを“殺した”のは、お前なんだから。
クラクラと、今にも上下が逆転しそうな、空に落っこちそうな不安の中で、
どうにか立って、備える。
ダンジョンが消えたら、即跳び立つつもりでいて、
「うぇっ?まぁ~じぃ~?」
倒れそうになり、左膝が下がる。
慌てて立とうとして、
「ロー君レベルにまで育てるの、すっごい時間掛かるんだけどぉ?」
脛から下が炭化していることに気付く。
「はぁ~、メーワクぅ!カンベンしてよぉー。メンドくさいなぁ~」
ガキの浅知恵を嘲笑うかのように、
麦わら帽子が軽い調子で不平を溢した。




