547.天使の贈り物
“奔獏”は自らの根性に託すことにした。
保険を一切掛けない、“ガチ”の我慢比べを決断した。
他の何も見ない。
自らを苛む全てを現象と捉え、“敵”はリーゼロッテただ一人、そう腰を据え直す。
“サシ”だ。
だからこそ、自分からも彼女からも余計なものを削ぎ落とす。
〈星よ……!〉
窟法、
それが起こす作用を強める事に集中。
〈空に宿りし夢よ……!〉
範囲を狭め、凝縮し、最高出力へ。
「「く…!ぅ…!ぉ…!る…!ぇ…!は…!ぁ…!」」
「“聖聲屡転”さん!?ちょっと!?」
〈!!動く!よく動くぞ!我々の意識への“遅延”が解かれていると言うかッ!?〉
彼らの要、リーゼロッテを守る光の元、救世教が作り上げた天使の意思を止める!
光輪の動きが鈍り、遅れ、それが齎す奇跡の欠片達が、毀れを見せる!
『よ、避けられないのはまずいのです…!奴は止められないのです…!』
〈こちらでどうにかする!〉
イルカからの突撃を土壁で遅らせ、その間にビートで強化された騎士型魔力弾で引っ張り、或いはその爆発で押し出す事で回避!
尾が上がるも、その途中が赭色の土で固められ一瞬止められ、その間にまた騎士達が全員の位置をズラす!
互いに横に押さえつけるような固い風の中、身を引き摺りながらの泥沼の攻防戦!
〈平民!武功を遠慮しているなら必要ないからとっとと道化の腕を落とせ!〉
「やれるならやってんだよ!」
ピエロの背から生える玩具の腕の数々!
それらの数本が空気を掴まえている腕を外から補強し、それ以外は何度も現れる二名の迎撃に回される!
〈調子が戻ってきたぞ…!〉
「オワコン芸やめろっつってんだろーが!エンタメ飽和の時代にそれ一本で生き残れるわけねーだろ!」
纏ったばかりのマジックアームが折られ、切り込みがより深くなる。
指先に細かい遅延を発生させるような、能力処理のリソースは残っていない。
寒気か低酸素かどちらかが理由で、瞼を重くしているこの気怠さの中では、受け手としての対処で精一杯。
それでいい。
彼らを殺す必要はない。
この場で最も仕留めるべきは、他の誰でもないただ一人。
〈どんな具合だ…?“全仇冬結”…!〉
リーゼロッテも目頭をひくつかせ、万力のような頑固さで意識を保持。
粉雪混じりの颶風の中、イルカの襲撃から金色の騎士に守られながら、敵対者と瞳を交わす。
「涼しいね…!まだまだ全然…!」
偶然にも言葉を咬み合わせる2名。
そのどちらにも、ウォーターブルーの魔の手が伸びようとしている。
氷がにじり寄り、熱と空気は飛び去る。
薄く白い霧の如く、景色が夢心地にぼやけていく。
全ての毛穴からナイフが侵入するかのような傷痛。
悴みによって指どころか手首から先の感触が割れ壊れる。
鼻も口も重苦しさを詰め込まれ、頬は鉋掛けをされたみたいに捲れ上がる。
全身の信号が麻痺し、目に映る像が途切れる事が繰り返され、自分がまだ踏み止まれているのか、或いは終わる間際に通り過ぎる回想の中なのか、どちらとも言い切る事ができない。
もう氷漬けになっているのではないか。
世界は停止してしまった。
耳から入るものすら無くなり、本格的な無が訪れる。
闇。
虚ろ。
ただ、何も無い。
そこに光があった。
「「リーゼぇぇぇぇぇぇぇっ!!」」
浄き白耀。
空からの施し。
天使が起こす超常。
“聖聲屡転”が、遅延を——
——猊下、我々は…!
彼らは、迷っている。
悩み、心を細くしている。
——我々は、これを、してしまったら…!
そこに異はない筈だった。
彼らの道は一本だと思っていた。
どうしてその行動を希求するのか、彼らにも分からなかったのだ。
——聖下
——おお、聖下
——我らに遣わされた天使よ
魔法の本体、
教王の意思との対話。
——それが、あなた方の真心が求むることなら、
——偽りなき、魂から欲するものなら、
——従いなさい
——それはきっと、我らの探究の糧となるでしょう
遠く西から届いた意思は、親心のような威厳と温かさを持っていた。
天使は、決めた。
2本に増えた道を、1本に選び直した。
教王と、信徒達の祈り、
そこから湧き上がる力のありったけを、自らに注ぎ込んだ!
「「ちちよ!!てんにまします!われらがちちよッ!!」」
円環の輝きがドーム内に満ち、人々を包み込み敵を押し遣る!
〈動ける!?なんでぇっ!?〉
全身を退けられた“飛燕”は驚愕を浮かべるしかない!
「「つみぶかきわれわれを、ばっしください!!」」
白い輪が発する稼働音が甲高くなっていく!
今にも暴発し焼き切れそうなほどに、危険な域まで魔法が強まっていく!
「「けれどかのじょをっ!!おゆるしください!!」」
〈うわああ!!何だあああああっ!?〉
ill達には、何が起こっているか見えなくなった!
だが分かることは、救世教の加護が復活し、リーゼロッテの寿命が若干秒伸びたこと!
〈もうしわけ、ございません…!〉
敗北を悟った道化師は悔しさを滲ませながら、自らの筋束が千切れ飛ぶ音を聞いた。
〈あなたの、お役に……!〉
抵抗無しに、深淵へ落ちて行くのを感じた。
極寒の中で最後の数刻を、主へ贈る忠誠の為に使い、
何事もなく背中から黒々とした地へ放り出された。
〈おごっ!?のっ!?さっ!〉
数回バウンドしたそいつは、
〈「解くな」と言った!サルタドールゥッ!〉
頭を起こして相棒を怒鳴りつける。
〈ごめんよジェスター!〉
地中から気まずそうに、目から上だけを出す長イルカ。
それに対してメナロが騎士型魔力弾を撃ち、吾妻と乗研が道化への追撃に駆け、六波羅と黒衣が彼ら全体の援護に動き、
その中で取り残されたように、リーゼロッテは背中の方へ倒れる。
それを後ろから抱き支えたのは、一組の男女の体を借りた天使。
「が、ヴ……」
「「リーゼ、お加減はどう?」」
彼らはその場に座り、赤子をそうするみたいに大事そうに、横抱きにして抱え寝かせる。
「「寒くは、ない?」」
「う、ううん……」
人肌の床の中で、雪解け水のように、とろりと意識が流れ出す彼女。
その首には、白い枷が嵌められていた。
「あった、かい……」
「「そう、よかった。ぐっすり、おやすみなさい」」
潜在能力が残る余地が無いほどに出し切り、
魔力の蓄積、魔法の成立も制限され、
今だけは、冷気から解放された、彼女は、
安堵と、倦怠に、身を任せ、
眠りに、落ち、て、い、く………。
それを強く抱きしめ、頭を撫でていた彼らは、
「「私は色々と、知り過ぎたかな」」
彼女の懐に一つの手を伸ばし、スキットルを手に取って、
「「いつまでも、穢れ無き白ではいられない、か………」」
それぞれの顔布の下で、一口ずつ含み飲んだ。
そのうちにも、腕の動きは鈍くなっていく。
頭上にあった光輪が、透き通るように稀薄になって、
温かい風に乗って、塩のようにサラサラと煌めく粉に変わり、
空に吸い込まれるように、吹かれ散っていった。
その後には、人の肉が残されるのみ。