540.「逃げていい」と言われたのなら part1
走る。
両手で土を掴み、体を引き寄せる。
両足を後ろに蹴って、頭から更に前へ。
水切り石のように跳ねながら遁走。
「ハッ…!ハッ…!ハッ…!ハッ…!」
爪の間に土砂が入る感触。
カサついた皮が、ボロボロ剥がれていくような不快感。
魔法が自分の一部とは言っても、変身部位が触れるイヤな感覚まで感じられるほど、神経がびっしり繋がっておらずとも、いいじゃあないかとそう思う。
「ハッ…!ハッ…!ハ、ン…ッ!」
左足に籠める力を大きくし、右に飛んで木の幹でキックジャンプ。
さっきまでの自分の背中側、真後ろから突っ切るのは気を裂く塊。
たぶん、あいつの表皮だ。
あの恐ろしい、岩肌のイルカ共。
木から木へ、時にはまた地上へ。
倒木を跳び越え、地面を蹴り抉り、直線ではない不規則方向転換軌道。
空気抵抗が少し大きくなることを承知で、耳を張り立てて音に傾注。
発射音を聞き、大きく横へ。
高い草の中に身を隠すも、枝の上に飛び乗ったイルカの一匹が、散弾を幾つも撃ち下ろす。
足下を削りながら全力四足跳躍疾走。
粉塵を煙幕がわりにするも、迷うことなく追ってくる。
“逃げている”ことで能力に上方補正が入っている今であれば、遠距離からの亜音速弾を避けるくらいは出来る。
音とほぼ同じレベルのスピードで撃たれていたら、為す術もなく背中から砕け散っていただろう。
逃走者本人は詳しくは分かっていないが、それでもこの時点でかなりの幸運に恵まれたことは、本能的に気付いていた。
あのダンジョンの中で、全く異なるローカルを成立させる為、“奔獏”は大規模遅延領域を解除せざるを得なかった。
“雄戴噛惣”の爆熱から遅延と屈折によって守られていた林の中へ、駆け込む者にとっての最大の障害は、勝手に消えていた。
見晴らしのいい平坦な地を逃げるより、視界が幾らか遮られる木々の中で、曲折する逃走コースを描く方が、遥かに敵の命中率を下げられる。
そこに入れた時点で、勝率は飛躍的に上昇した。
道化とイルカ、ill本体が両者とも、戦線を離脱する相手に構えるほど、余裕を残せていなかったのも幸いした。
「辺獄現界を成立させた人間」、それの殺害は本来最優先事項となってもおかしくはない。
それでも合成イルカ数体が追い掛けるに済んでいるのは、「将来の脅威」より「目の前の死」に対処せざるを得ない、という切実な理由からだ。
八守月夜の、主と共にある逃避行は、そういった複合要素によって、未だ続けられている。
「ハッ…!ハッ…!ハッ…!ハッ…!」
また地を掘り上げ、弧を繋ぎ描く連続跳躍。
背中の背負子に固定され、揺られている巨漢。
主であるニークト。
身の丈180cm超の長身。
脂肪から筋肉へと変わった体重。
己が体躯を遥かに上回るそれを負っていながら、追い着かれないくらいの速度を出せているのは、その魔法が“逃げる”事に関して、極めて優秀である事を示していた。
ルカイオス本家の騎士団に同行し、この島に乗り込むと主が決めた時、自身も同行すると言い張ったのは、今から思えば随分な命知らずである。
ニークトはあれこれ、illや永級ダンジョン、日魅在進と“可惜夜”について語り、思い止まらせようとしていたが、八守は聞く耳を持たず、意地で付いて来た。
その命は彼の為に使うと、そう決めていると一点張り。
お蔭で今、彼の命を救えている。
だから、後悔などしていない。
ダンジョンを破壊する為に、ニークトが成し遂げた何らかの無理。
あのダンジョンの中で、絶えず吸っていた燃焼後の外気。
彼が戦闘続行不能になる理由は様々だ。
特に激しい燃焼現象は、周囲の酸素を瞬く間に吸ってしまう。
人間は呼吸が止まった状態にはある程度耐えられるが、酸素の少ない大気を吸えば、一瞬で危険な状態に至る。
ディーパーであっても、それは同じこと。
外見からは想像が難しいほど、内部に重篤な機能不全が発生している、そう見るべきだ。
ニークトは、暫く起きない。
同行していた六波羅探偵は、これ以上の追跡者が差し向けられないよう、illの本体を押さえてくれている。
詠訵三四は、どこに行ったか、戻って来るのか分からない。その命はもうないのかもしれない。
これ以上、他の誰かの助けは無い。
八守だけの力で、この難局を抜け主を生かすしかない。
この場に自分が居なかったらと、そう思うと、
山中で道を失ったかのような、苦しく詰まった不安に襲われる。
あの勇気、あんな無謀、主の意向を無視するワガママ、
そういったものを押し通していなければ、八守は何も出来ずに、最も大切な人を喪っていただろう。
それら、運が向いた上で尚、薄氷を渡る道。
こちらから甲乙判別つかない、単なる偶然を乗りこなすしかないという、人が最も不得手とする走路。
八守はそこを走るしかない。
己の身一つ、それが持つ能力以外、何一つとして頼れない。
人が、他者から完全に切り離されて、たった一人で“自然”や“摂理”というものの容赦の無さと向き合わされる、それを自覚した時に、感じずにはいられない孤独、恐怖、怯懦。
それが体を震わせ、奮い立たせる。
自分がここに居なければ、主は死んでいた。
彼が助かる唯一の道に、自分は成れている。
それは重圧でもあり、幸福でもあった。




