539.天からの裁きを
「掛かっておるの」
黒く熱を持った岩に、脚を組んで腰掛けながら、“靏玉”は林の一角、丸く禿げあがった土地を前にして我知らず呟く。
その後に瞼を閉じ、両目の間を指で揉み抓む。
「妾としたことが……、気疲れしておるのかのう……?」
“醉象”が“右眼”と日魅在進をダンジョンに幽閉して、もう20分近くが経つ。
当然にバッタの親玉が勝つにしても、奇跡が起きて人間達が脱出してくるにしても、決着自体は早期に着くと考えていたが、見たところ大外しなようである。
矢張り、“飛燕”を忍び込ませておくべきだっただろうか?
けれど、つい先程“奔獏”の辺獄現界が発動したばかりだ。
向こうも向こうで手古摺っている。援護を送り込んでおいたのは正解と見るべきだ。
「是非も無し……。“可惜夜”が関わると、どうにも儘ならぬことばかり起こるものよのう……。いいや——」
——それともあの小童か?
己の天敵、事象の擾乱者、理外に生きる条理。
それは、“彼女”なのか、それとも“彼の少年”なのか。
或いは、その両方か。
いずれにせよ、それにつけても、
あの“右眼”は破壊しなければならない。
それだけは、絶対である。
あの男、“最悪最底”から得た、とある情報。
10月、深級内でせしめた“席代”。
有力な暴露。それか“告発”、だろうか?
illの2大勢力による戦い、その苛烈さを増させる効果を持つ。
あの“右眼”を中心とした戦いを。
それは“環境保全”への、交渉の切り札ともなるほどの大きな一撃。
それを観覧料として、“転移住民”にあっさり公開した。
二者の衝突を、闇討ちによってあっさりと終わらせない。派手に爆発してくれなければ困る、とでも言いたげだ。
どうにもキナ臭かった。
彼女が知る“最悪最底”は、世の固定観念に挑戦する者であっても、戦乱そのものに興趣を見出す人間ではなかった。
数ある手札の中から、何故それを彼女達に握らせたのか?その真意が読めなかった。
だが、一つ予想があった。
そもそも彼があそこに現れたのは、あの少年を追って来たから、という憶測を下敷きにすると見えるもの。
その情報は、“右眼”の持ち主であった少年を、守るという使い方もできる。
暴かれることで戦火を激しくし、けれど隠れた危難を火を見るより明らかなものにして、渦中の一人に利する側面も持つ。
まるで、“可惜夜”と日魅在進のセット、それを切り離したくない、失いたくない、というような行動と、そう言えなくもない。
そこで彼女は、漏魔症関係の騒動を起こそうとしている、という見当をつけた。
それならば、“転移住民”へ積極的にコンタクトを取りに行くというのも、頷ける。
要は、プロジェクトASに、ひとつ噛ませてほしい、という示唆なのだろう、と。
だが、
だがあの日、
永級が一つ、世界から消えた日、
本当の答えが見えた。
“可惜夜”の真意が大筋で判明し、「その力を利用する」という方針は有り得なくなった。
そして彼女達は、破壊の機を窺っていた。
“転移住民”は“あれ”の目的を察していない、恩恵に預かろうと協力的でさえある。そう見せかけながら、どこかで奇襲する、それが可能な時を待っていた。
そして、“右眼”は持ち主から取り上げられ、“あれ”を呼び出せる人間が居ない、という一時的な状況が出来上がっている今こそ、
今日ここで、日魅在進による奪還を許す前に、破壊しなければならない。
それで、“転移住民”を全動員しての、このバカ騒ぎだ。
出来れば「知性を持ったill」の目撃者を、全員消しておきたいが、厳しいだろうと半ば諦めている。
ここから先、少なくとも諜報員のネットワーク上では、彼女達の存在が常識となるだろう。
「台風の目は楽しいのかもしれんがのう。荒らされる方はいい迷惑じゃ」
苦笑いしながら、両腕を上に、
昼寝の後の猫のように伸び上がる。
「ま、それも良かろう。“可惜夜”の存在だけ否定すれば、あとは野となるも山となるも一興じゃ」
“醉象”のダンジョン内で、これからどの目が出ようとも、彼女がいる升は素通りさせない。
“右眼”を持って出て来たのなら、強いて止まって貰うだけ。
「それに、中には彼奴がおる。ならば人が“醉象”に勝利したとて——」
ぽたり、
すぐ近くの草に、液の一粒が滴下。
雨?
そんなわけがない。
晴れているから、ではなく、
一方からの光だけ通す、彼女のマジックミラーが死角なく覆っているから!
何かが降っても、鏡に触れるだけ。
ここまで入って来る筈がない!
“靏玉”は雫が落ちた芝生に目を走らせる。
熱くじゅうじゅうと焼かれて、溶けた物質が、急速に冷え固まっている。
それが落ちて来た方向を、上を見る。
鏡が、
その端が溶けて、変形し、液化している!
「あ、ありえぬ……!いつの間に……!いや、どこから……!?」
一帯の気配を探るも、魔力や魔法で攻撃されているように感じない!
だが鏡は、明らかに異常な温度まで加熱され、融点を超えている!
「ローカル……?だが力を感じんとは……否!そうか!」
再び顔を上へ、その先には、直視すら罰する自然の神聖!
図像ではオレンジや赤で描かれ、肉眼で見れば痛みを帯びた白色!
「太陽…!そして日射で少しずつ、ほんの少しずつだが鏡を温めて……!」
奴だ。
あの女のローカル。
「日陰でこまめに水分補給を」。
そして奴の存在を感じ取れないのではなく、
「奴が居る」と意識出来ていないだけ。
奴から発されるエネルギーが、そこにあるのが当たり前だから、意識がそちらを見ないだけ!
言ってしまえば——
「そこにおったか!“提婆”!」
上部の鏡が椀のように表面を曲げ、照射された太陽光線を収束して撃ち返す!
「ちょっとちょっとぉ~」
日輪の中で大きくなる影。
逆光から降りて、やがてビーチサンダルで地上を踏んだ女。
「急に撃つことないじゃんか」
金色ビキニのそいつは、鳩を一匹抱き撫でながら、サングラスの下で涼しい顔。
「直射日光の中に気配を紛らわせ、挨拶も無しに妾の所有物を加工しおったのは、オヌシの方じゃろうに」
「いや~、前に見た映画のシチュエーション試してみたくって」
「『映画』、じゃとう……?」
甘いオレンジの明かりを宿し、ボタボタ端から溶け落ちる。
それを満足げに観賞しながら、高揚をそのまま見せる日焼け肌。
「でっかい怪物が出て来てさ、口からビームみたいなの撃つんだよ。で、人間が変な……アイロンみたいな秘密兵器作ってさ、それが鏡で光線を撥ね返す。うおっ、無敵じゃーんって思ってたら——」
——熱戦を受け過ぎて鏡が溶けるんだ
「再現出来て大満足だよ」
「ほうか。『よくできたの』。これでよいか?とっとと去ね。妾は忙しい」
“右眼”の破壊が確認されていない以上、ここで殴り合う愚は犯さないだろう。
彼女はそう考えていた。
それほど合理的であるからこそ、
他より先見に優れているからこそ、
愚かしい他者に異端として排除された。
それが彼女だ。
「こーら、駄目でしょー?」
今度も同じだった。
「死んじゃうからって、逃げるのはさぁ?」
彼女は「愚かさ」に邪魔立てされる。
「……なんのつもりじゃ?」
「トリ君から聞いたんだ」
その胸から離され羽ばたいて、空に戻った鳩は、伝言役。
「あの鬱陶しい雑草のローカル、使ったんだってね?」
「……!」
——こんなにも早く伝わっておるか…!
もう二度と“火鬼”を呼び戻せない。
それが敵の間で共有されてしまっている。
「もうわたしへの対策、残ってないんじゃなぁい?」
彼女に仕える道化の判断は、恐らく正しいものだっただろう。
それがなければ、人間共を止められなかっただろう。
問題なのは、抑止力が消費されてしまった事ではない。
まだ“右眼”の安否も確認できていないうちから、“提婆”が挑んでくる事の方。
「コロがすならここでしょ、間違いなく」
「オヌシ、言うておくがの。“あれ”を放置してはいかん……!“あれ”は、我々共通の敵じゃぞ……!ここで争うて、ドサクサ紛れに逃してしまってはいかんものじゃ!絶対にここで、日魅在進の中に戻る前に、葬らねばならんものじゃぞ!」
説明すれば、理解するだろうか?
少なくとも、“右眼”の破壊だけは完遂しなければならない。
そこにイレギュラーの入る余地を挟んではならない。
絶対確実、100%でないとならないのだ。
「わたしは別に、そんなのどーだっていいよ」
祈りは太陽に届かない。
そいつは、理を解さない。意に介さない。
助かる為の出まかせとしか、思っていない。
「ロー君が勝って、“右眼”はぶっ壊される。起こるわけないことだけど、あのガキんちょが手に入れたとしても、その後にあれこれ手段を選ばず殺せばいいし。所詮人間、地力の差は埋められない」
「そんなことよりさ」、
彼女はサングラスを外す。
黒い眼球の中に、溶岩のような虹彩。
「おまえら外来種が、一秒でも長くのさばってる方が、遥かに忌々しいんだよ」
“靏玉”を囲む鏡面の匣が、歪み捻じれて溶け崩れていく。
表面がブクブクと泡立ち、弾けて飛散し黒焦がす。
“提婆”が人差し指を向ける。
“靏玉”は自分の前に鏡を生み出す。
彩度の低い煉瓦色が束ねられた円筒が鏡を割り、表面で反射され散らばされ広げられ、それでも止まらず黄金色の髪を一際煌めかせながら、背後の木立を突っ切っていく。
エントロピーを発散していくエネルギーが、目に痛い熱光となって包み囲む。
狭い範囲を焼き切る器具から発されるような高周波が、減衰して可聴音に。
それに囲まれた彼女は、暑さのせいか、緊迫によるものか、
ドッと汗を掻きながら、
またも片頬で苦笑いを浮かべる。
「さて、どうにかオヌシを“説得”せねばいかんのう」
勝ちの薄いギャンブルを強いられながら、
それでも不遜に前を向く。
「聞く耳を持たない、と言ってるのが聞こえないのか?」
「妾の呼気が続く間は、老人との“おしゃべり”に付き合って貰うぞ?」
「ここぞ、腕の見せ所」、と。




