532.思い出は、永く続かず
illモンスターと、ダンジョンの関連性から来る推測。
モンスターコアについての、日魅在進の気付きを皮切りに、新開部で生まれた仮説。
ダンジョン、体内魔学回路、モンスターコア、それらの類似性について。
詠唱は最大で十文字、それが上限とされている。
ダンジョンは全部で10層。
モンスターも全10種。
どのダンジョンでも、同じような機能に分けられる10パターン。
10の意味。
10文字。
そこに作られた構造によって、魔素が魔力となる。
そこを通して発現する、窟法、魔法といった効果。
或いは、生成物。
illが十文字詠唱を操り、ダンジョンとほぼイコールで結ばれており、その様が極端に強力なディーパーのように見える、その同一性。
そしてその存在が、ダンジョンを召喚出来るという事実。
あらゆる点が、彼に一つの飛躍的妄想を抱かせた。
人間にも、“辺獄現界”は可能なのではないか。
ニークトがやろうとしたのは、自らの中にある魔学回路、それをそっくり外に具現化させることである。
それはどういった感覚なのか、内に集中すべきなのか、外に目を配るべきなのか。
発想はあれど、細かい手段について、何一つはっきりとしない手探り状態。
ただ、魔力の出力を上げること、
自らの力の構造を、ディテールまではっきりと認識すること、
その二つが必須なのは分かっていた。
であるからこその、敵のローカルの強制性を取り込んだ魔法陣を描いた。
魔法生成物という、魔力の通りが良い物質を使って。
既に生成されたダンジョンの内に沿い、形を模倣するようなことまで験して。
結果的には、それだけでは足りなかった。
兄に助けられなかったら、何をしたかったのかも理解されず、敢え無く消し去られて終わりだっただろう。
〈見事だ。拍手を贈ろう〉
その術に長けた先達は、何対もの手を叩き合い、目の前の奇跡的偉業を鷹揚に受け止め、
〈そしてまた、同じ事を聞こう。「で?それで?次は?」〉
その胸を借りていた若き共演者は、喉を引き攣るように咳き込む。
肺と気道が高熱で焼け、人体に有毒な燃焼ガスも吸い過ぎた。
そしてそんな彼の重装アーマーの表面で、赫々《あかあか》とした外炎が立ち上がる。
〈ガワを拵え、中身はカラっぽ。これ、事もなし、ことごとく〉
ダンジョンらしきものを作れても、ルールを書き換える事が出来ていない。
実験は成功だが、勝利には繋がらない。
〈生者の葬列、死者の行軍、わざわざここまでお出ましで〉
胴をくねりと曲げ張り、手に手に燃ゆる刃を構える。
〈惜しむらくに、惜しみなく〉
ショーが終わろうとしている。
ビックリ人間お披露目ステージに、幕引きが近付いている。
タネが割れてネタが切れた時点で、
降板、退場、
避けられず。
〈さらば、後塵の先を追いし者よ〉
「いいや、掴んだぞ?」
破砕。
甲高く割れ壊れる。
“奔獏”は周囲に注意を散じさせ、陶器やガラスの類を探す。
それも、とびきり巨大なものを。
どこにも無い。
訝しむ。
音が何から生まれたか分からない。
ひやり、首筋に悪寒。
鋭い破片か。
否、冷たい水滴。
雨?
選り取り見取り、色とりどりに、辺り一面で生い茂る草花、
それらが空の涙で跳ねる。
上、
上を向く。
〈 〉
息を呑む。
碧天が、割れている。
青き晴々《はればれ》を罅が縦横断し、
その向こうからドス黒い荒天が、害悪瘴気の如く溢れ出す。
透き通るような純真を破る、溢れんばかりの邪心というコントラスト。
麗らかな空の色で輝く地上が、一様な暗灰色に上塗りされていく。
大粒の雨垂れが激しさを増し、花弁を千切り散らし、彩色の全てを奪う。
澱み曇った湖は水嵩を増し、膨らみ暴れて地を穢す。
遠くに見える白い石造りが、突如として濁った流水に襲い埋められる。
空の破裂は進行し、物象的天国が枯れ萎れていく。
〈これは……!〉
スプリンクラーのように、“火鬼”の炎を消す仕掛け?
そうではない。
そのような、表面的事象では断じてない。
彼は雨粒の一つを指の上に受け、それを舐める。
塩辛い。
塩水。
海水か?
〈塩…!そして、土、植物、緑……!〉
その眼に映る萌緑、それと結びついたとある知識。
生物の細胞が持つ半透膜。
小さい分子のみを通すフィルター。
それで隔てた片側に水、もう片側に塩水を入れる。
両者は共に反対へ流れ込もうとし、しかし大きな粒子を持つ塩を含んだ側は、逆側と比べて通行を膜に阻害される。
塩水は停滞し、純水はするすると通る。
よって、塩分濃度の低い方から高い方へ、水分子が吸い込まれる。
浸透圧による水の吸収である。
細胞外側の塩分濃度が過剰に上がってしまうと、この働きが停止するか、逆に水を吸い出され、体内の水を奪われる。
少なくとも、植物は全滅である。
そして植物が居なくなるという事は、生態系の階層一つが丸々失われ、他の生物種も駆逐されるに等しい。
剰え、塩はかなりの曲者。
土壌に吸収されず、分解や除去が困難。
一度土に撒いてしまったら、その土地に数世代に亘る死を、
強固に定着させ続ける。
土砂崩れと見紛うばかりに、重く、激しくなっていくその豪雨は、
招来された“滅び”である。
この理想郷を平らげ、誰の生息も拒絶する、
炎よりも凶悪な不可逆の破壊事象。
時を超えて横たわり続ける荒野。
これは、楽園追放。
遺伝子の中の野生、幾つもの娯楽、そして一つの神話を根として、
ある人間の心根に巣食った、「纏めて滅茶苦茶にぶっ壊す」という衝動!
この絶景はその本能によって、これより永遠に失われる!
「『盛者必衰の理を顕す』……!」
火が消え、輪郭がぼやけ、曖昧模糊とした影となった青年の声が、雨音のように道化師を打つ。
「敢えて言うなら、そういうこと、だ……!」
そこに確かにあった何かを、繁栄や栄光から悲劇や惨劇まで、
確実に消す!
削り流す!
乃ちそれは——
〈させん!〉
幕のように垂れ込める降水を杖で弾く。
〈そんなことは!〉
雲のように立ち込める曇暗をナイフで切り裂く。
〈それを奪おうなどと!〉
が、焼け石に水。
荒れ模様に種火。
〈そんな真似を!〉
止められない。
あらゆるものが、空間から脱落していく。
火が熾らない。
身体が魔力の補助を失い、虚弱なものへと堕していく。
敵の位置が分からない。
ダンジョンの主を殺す事を、試みることすら出来なくなっている。
この場所から、前後関係すら洗い落とされたと言うのか。
〈そんな事が許されるわけがっ!!〉
腕を振り回し、杖と刃であちこちを払い、
〈いいやっ!〉
唐突に敵が目の前に姿を見せる!
〈私が!許さんっ!〉
杖が振り下ろされる!
左肩から入射!
アーマーとボディースーツを破り裂き、肉と骨を割り進み、
その先の臓器に届かんとする所で、
「させないッスううううううう!!」
横合いからその長身を持ち去る白毛玉!
体の一部が兎に変じた子ども!
〈逃げられるとでも!〉
「逃げられねえのはテメエだ大根ピエロ」
頭を殴り砕かれる。
二又帽子がくるくると飛ぶ。
「火遊びは終わりかよ、あ?」
吹き飛んだ先に黄金板が待っており、それが通行止めをして撥ね戻される。
楕円のゲートから、黄金を装着した太腕が伸び、更に重装備の上半身。
「巻きグソに集るハエのダンスにも劣る、劣悪な演目に付き合わせやがって」
燃えることも遅れることもなく、
悠々自適にもう一発。
ロープ際のボクサーのように、道化を何度も往復させる。
「“お客様の声”だ、受け取れ。ボロカスに星1レビュー爆撃してやるよ」
晴れている。
空は穏やかに、
焦土に立ち戻る。
ダンジョンが、壊れ去った。
“火鬼”の遺産は、もう二度とこの世に甦れない。




