529.虐げし者、虐げられし者
“奔獏”とは、瞬きに宿る夢に触れようとする意思、その末路である。
一瞬だけしか現れないその稀薄さを、引っ張り伸ばして、長引かせる事で補おうとする。過去に残した消え入りそうな思い出を、ありありと鮮明なまま引き摺ろうとする。
もう消えたくない。
喪いたくない。
そう考えた者達の目に宿る、仮初の救いである。
彼らはとある星に、思い出を捧げる。
もう二度と、忘れたくないそれを。
星は出来るだけ長く、それを自らの周囲に留める。
彼らが最も大切にしている情報。
彼らの核となる記憶。
言うなれば最も原始的な形での人格。
何者にも顧みられない者達が、唯一果たせる自己保存。
それが、夢王星への祈り。
それは、一種の集団幻覚である。
夢王星は、常に空のある場所で見える。
そんな「惑星」など、ありはしない。
それは、彼らの瞳の中に宿っている。
とある病によって、視界に混じった点。
それを移ろわぬ星に見立て、そこに思い出を飛ばしている。
言うなれば夢王星とは、人間の愚かしさで輝く星である。
太陽光に干渉しない代わりに、それに捧げられた想いを反射する、幻の星。
「過ぎ去ってしまった今」という、存在しないものをまことしやかに演じる、実体無き舞台俳優、仮想アバターでしかない。
それを信奉し、だが異端として滅ぼされた者達。
彼が持つ物語はそれである。
それをよく、憶えている。
それは、彼が人間だった事を意味するのか?
または人間が見た夢を、集合させた果てなのか?
それとも或いは、絶対者が零した欠片が、そういったものに触れる事で変質して成ったのか?
そんな事は、彼には分からない。
けれども分かることもある。
その妄執を、
空にもう一つの天体を生み出すほどの無念を、
遂にはこの世界の太陽系を歪めた、棄てられし者達最後の矜持を、
彼の女王は肯定した。
その愚鈍な繕いこそが、滑稽な足掻きこそが、価値であると断じた。
だから彼は、彼女のものなのだ。
この世で唯一、彼を受け入れるのが彼女なのだから、
在る事すら許されない彼を、正面から赦してくれたのだから、
その懐以外、逝く場所などある筈もないのだ。
淡々と歩き、
段々と近付く。
その魔法に記録された、過去の事象の呼び出し。
「“遅れる”現象を再現する能力」とは、その物語を成立させる道具に過ぎない。
彼は同志に、彼が見ている夢王星を共有している。
そこに叫ぶことで、緊急のメッセージや、物語を彼に届ける事が出来る。
“火鬼”は最期、息を引き取るその時まで、仲間の為に戦っていた。
“可惜夜”に魅入られようと、體も信号も服従に向かおうと、
魂の底では、誘惑に勝利し、味方を利した。
“環境保全”の影響力が強い丹本国内。
そこに“右眼”が在ったにも関わらず、彼ら“転移住民”が後れを取らなかったのも、彼の忠心と献身あってこそだ。
そしてその力の記憶、星に保存された摩擦着火の法則の記録でさえも、今こうして彼らに貢献し続けている。
もっと他の用途を想定していたが、出し惜しみしたまま消してしまっては意味がない。
一度きりの切り札、その一枚を実行する判断に至った。
そして盤面は、完全に彼らのものとなる。
〈………ここか〉
メラメラと伸び縮む白金。
数あるその揺遊の中の一つ、その根本に彼は視線を落とす。
そこに、居る。
自らが発した創生の火によって、焼け融けてしまった神代の使者が。
彼はその手にナイフを構え、
〈おっと、その前に〉
首から上だけを人形のように、くるりと左へ広角に回す。
〈紳士の方、尚早なる焦燥で、その身を炭に還らせること勿れ〉
眼の下に描かれた雫が、白と金とに照り映え、湿ったように艶めく顔面の先には、地べたに伏せる深緑の鎧。
〈………〉
〈狸寝入りとは、なんたる狐。なんと流石のイヌ科ぶり。けれどそこで止まるが賢明〉
〈………〉
メナロ=ジョーンズ・ルカイオス。
兄の魔力に慣れ、その気配に敏感な彼は、助け起こそうと密かに這い寄っていた。
〈聞き給え。既にそちらの敗着は確定。後は負け方を選ぶが全て〉
意地や感傷を抜きにして、それは尤もな指摘であった。
illに対抗し得る唯一の王を、彼らは失ったのだ。
〈そこで慎ましく見ていれば、これを弑して、あなたは放そう〉
取引。
それは、ルカイオス家の事情をある程度見通しているが故。
公爵家にとって最悪なのは、“雄戴噛惣”が死ぬことではない。
メナロが、
成功例の物語を持ち帰り、純度の高い血を繋ぐ役が、潰えることだ。
一方で“奔獏”達から見れば、最悪は彼らを殺せないことではない。
“右眼”を確実に破壊し、この世から消失させる、それが果たせなくなることだ。
ルカイオスは、メナロが生き残っていればいい。
“奔獏”は、邪魔になりそうな危険分子だけを始末出来ればいい。
“徴崚抜湖”吾妻漆、“雄戴噛惣”、“聖聲屡転”…に体を貸与している“聖別能徒”。
それらを殺して、他は捨て置く。
そこまでなら、両者どちらともギリギリ妥協可能であるのだ。
〈お前が、〉
これほどの優位を取っている“奔獏”が、
〈その約束を守る保証が、どこにある……っ!〉
灼熱によって鉄板と化している砂を掴み、メナロは発火しないよう慎重に、匍匐姿勢のまま進む。
少しでも近くに。
狼の魔力弾が焼き滅ぼされる、その前に敵に当たる距離に。
〈名に懸けて、誓おう〉
〈神に、か……?〉
〈そのような、稀薄些末なものでなく——〉
——我が女王、我が君主、
——“靏玉”の名に!
メナロの動きが、止まった。
それが何故か分からない。
ただ、分かった。
その道化が、
軽薄な軽口が、
決して嘘を吐いていない、と。
それは恐らく、何かに身命を捧げる者同士の、嗅ぎ付け合いだった。
つまり、共感したのだ。
説得は、通じてしまった。
白粉どころかペンキで白塗ったかに見える顔が、正面に戻る。
ナイフの刃先が掌で回り、それは十数本に増え並ぶ。
メナロはやるべき事をした。
彼さえ残れば、彼さえ生還すれば、
ルカイオスは大きく飛躍する。
成功例の喪失という失態を払って尚、収支をプラスに出来る。
だから彼は身を沈め——
ピエロは腕に弾性を溜め、解放。
手をしならせ、ナイフを投擲。
それは振られていた最中にローカルで発火、刃が過熱。
音速を超えて大気を裂く事で、外からの炎を寄せ付けない。
白金の中、大気圏に突入する円盤めいて、赤熱残光の尾を引きながら高速飛襲。
それが横から、金色の騎士型魔力弾の剣撃によって逸らされる。
——気が付けば屈もうとする勢いのまま地を叩き、反動で起き上がって駆け出していた!
〈あぁにうええええええええ!!〉
〈…!〉
その身に纏い付き、発火する狼達が射出され、それらが途中で騎士の姿へと変化する。
深化。
ここに来て、殆ど無意識のうちに、その男は決断したのだ。
罪を背負い、死へ進み、それでも助ける、と。
〈うぉおおおおおお!!離れろ下郎おおおおお!!〉
一族の務め、
過ぎ去った者も、これから生まれる者も捨てる暴挙。
賢しらな彼が、どうしてそれを選んだのか。
〈あにうえまでぇっ!尊厳までぇっ!おれから奪うなアアアアア!!〉
〈そうか〉
“奔獏”には、何となく分かった。
彼にとって、ルカイオスから与えられた使命とは、悲劇を納得させる理屈だったのだろう。
それが遂行されていれば、彼の兄は、「かわいそうなやつ」ではなくなるから、
だから彼は今の今まで、その営みに忠実だったのだろう。
それが完璧に為されなければ、彼ら兄弟は、ただの被害者になってしまう。
異常な家に生まれた、不幸な二人になってしまう。
それが許せず、認められなかったのだろう。
だから彼は合理化の果てに、“ルカイオス”に逃げた。
特別性こそを、幸福と定義づけた。
さっきまで、そうやって目を逸らしていた。
そして今、それへと立ち向かい、
だから深化した。
〈それがお前か、ジョーンズ〉
〈指一本!爪の一枚でも触れてみろオオオオオ!!〉
金色の騎士を模った魔力ミサイルが、道化師の逃げ道を塞ぐように詰め、それぞれがバラバラの角度で剣を振り抜く。
〈お前を斬り刻みッ!俺達に逆らった後悔の叫びを星に届け!バッキャスとやらにPTSDを刻印してやるぅぅぅぅッッッ!!〉
金閃で斬りつけられたかのように見えた“奔獏”だったが、体をくねらすダンスの一動作で、その身体から金属摩擦が上がり、劇しく発火し、全ての攻撃を相殺させた。
〈その気持ち、僅かにだが、理解する〉
その胴から赤く燃える舌が生え、百足のような姿となったそれが、メナロを巻き囲う。
〈お前も兄も、一つのモノとして憶えておくと、約束しよう〉
騎士が纏う金色に、無数の肢に持ったナイフを突き立て、引き切りながら傷口から爆発炎上。
アーマーに直接火が付き、それが溶け曲がる事で関節稼働を制限、
動けなくする。
そいつの魔法は、「ローカル効果を受けての肉体変容」。
かつては「時間のズレによる伸び縮み」であったが、今は「自身から燃え立つ炎を操る」能力である。
道化の顔が付いた杖を取り出し、燃焼するそれで魔力弾と剣戟を交わしながら、他の腕から大蛇のような豪炎をうねらせて騎士を押し返し、杖をその大口に持たせ、それを肉に突き立て貫き破らせた。
〈!!〉
狼の肉に。
〈なんと……!〉
そいつは、メナロとは逆方向から飛び込んで来た。
赤金の毛皮を持った、魔法で生まれた束の間の命。
〈諦念の中でなら安らげるものを、やれ困った執念が……!〉
「そう、だな……!」
強力な遅延の中に閉じ込めておいた筈だ。
眷属達総出で囲ませた筈だ。
魔法が持つ加速効果だけで、それを振り払い、“辺獄現界”の範囲内まで来ていたというのか?
「俺に驚くと言う事は……!どうやら……、細かい人数までは、把握出来なかった、みたいだなぁ……!?」
そう嘯く青年は、燃え上がる白金の裏からゆたり、狼皮の鎧を着込み、炎を背負って現れた。
ニークト=悟迅・ルカイオス!
〈しかし、お前に何が出来る?如何なる技芸のお披露目会?〉
正論そのものな指摘に対し、
狼は口の端を上げ、
牙を見せて言った。
「不肖の愚兄を助けるだけだ」




