525.あまりに遅く
〈流石、だなあ……!〉
生傷を増やし続ける長イルカ。
その表皮が癒されていないのは、破裂した内臓の修復を優先している為に、そこまで手が回らないからだ。
〈すっごい、よ…!知ってるのに、全然、見えない……!〉
尾の一部から骨まで覗き、そこからダクダクと生臭い赤黒が溢れる。
そこから先を斬り取るのが早いと、そう見抜かれたのだ。
胸ビレと、退化し失われかけた尻ビレが、虫に食われた古本のようにボロつく。
胴や腹には数条、中には長々とした裂線が入り、
頬が爛れ剥がされ歯並びが露出する。
噴気孔は抉り拡げられ、汐と体液が混ざった夥しい流量を咳き込む。
ボコボコと腫れては、内出血が解消されて戻り、また膨らむのを繰り返す。
叩かれてから出る、逆モグラ叩き。
〈さすが、頭、いい……〉
けれども、
そうなっても尚、
彼は美しく舞っていた。
不屈にも待っていた。
“奔獏”が一手で、反逆を掴むのを。
その時を信じ、最善を尽くす事だけが、彼に出来る事だった。
戦闘員として、一歩譲る“飛燕”の、精一杯の貢献だった。
〈すごい、なあ……〉
けれど、
けれども、
〈それ、分からない、よ……〉
「その時」は、
〈きみ、きみの、それ……〉
彼がずっと待ち望んでいた瞬間は、
〈それ、諦めてるようにしか見えないよ、“奔獏”〉
思ったよりずっと遅れてやって来た。
〈流石、迫真の欺きだね〉
予定より長かったダンシングタイムが終わり、バテそうだった彼はホッと一安心。
黄金板の向こうから、爆音。
道化師が、吹っ飛んだのだ。
〈な……!?〉
「!?」
「うぇ」「「え」」
リーゼロッテの魔法でも、“奔獏”の窟法でもない。
示し合わせた台本でもない。
だが皆が、全員が例外なく、
舌の根を刹那で乾涸びさせ、
ぽっかりと、思考の穴を形で表現するような、円い口を開けていた。
彼らは黄金板という眩惑を使い、“飛燕”からの「感動」を封じた。
そこから薫る、「素晴らしい物がある」という空気を、努めて頭から追い出した。
魔法まで費やし、そいつを忘れる事に全注した。
だから、見逃した。
彼らのすぐ近くから、その眷属が、
熱岩のような外皮を持つイルカが顔を出しても、
1秒程はそいつを見なかった。
見えても、意識的に外してしまっていた。
「イルカを意識に上らせたら終わり」、
そう強く自己暗示をしてしまったが為に。
これが、“飛燕”の「最善」。
“奔獏”を信じて待ち続け、舞い続け、自己を表し続ける、
それこそがそいつの最大限。
ピエロは、自身を哂い物にした。
あたかも「精も根も尽き果てた」と言うように、四肢を投げ出しながらローカルを解除した。
安堵。
弛緩。
確かにそれがあった。
だからそこに火山弾を撃ち込まれた一刻、スイッチの再切替えが間に合わず、
道化師が飛ばされ、危機を脱されてしまった。
“奔獏”は確かに、観客達を「笑わせ」たのだ。
吾妻のゲート、“聖聲屡転”の円環、メナロの狼、その他あらゆる物が、一拍の後に追撃の姿勢を取った。
「一拍」を、与えてしまった。
無数の手と手が繋ぎ合い、自身の胴を捻じり伸ばし、六芒星魔法陣を曲げ作る、
その時間を設けてしまった。
〈辺獄現界〉
それを初めて見る者ばかり。
けれど本能で分かった。
「これこそが、そうなのだ」と。
〈“無王醒”〉
夜空だ。
紫紺の中に、星一点。
真っ暗でも、満天でもない不自然。
であるのに、何故だか理解出来る。
それは夜だ。
今は虚しい道標しか持たない、
故にそれを絶対とする、
ぽつりと寂しい
極夜なのだ。
異星を思わせる、丸く狭い砂漠の上で、
彼らはいつの間にか、星を見ていた。




