514.フライ・ハイ!
“醉象”。
そのillに取り憑かれたモンスター達は、その思考のほぼ全てを食欲に支配される。
初観測記録も古く、その為に出現例も多いそれは、目撃者のほぼ全てから、悍ましさを強調されて語られる。
曰く、
敵を見失い彷徨う者は、
そのうち同族を喰らい始める、と。
ダンジョン史の授業において聞いた、怪談のような色が付いた話。
日魅在進は、それを思い出していた。
「こいつら……!?」
刀弥が“手術”を終え、道眞とバトンタッチしたのと同じ時、彼ら眷属のバッタ達が、一斉に“その行動”を後追いした。
A型やZ型の勝ち抜き生態を除けば、モンスターとしては異例。
同じダンジョン内での共食い。
そいつらは、今それをやった。
進と交戦中だったW型までが、その大顎から溶解液を分泌し、巨大バッタの背中に頭を突っ込んだ。
あちこちから茶色の体液が噴き出し、自らの仔等を溶け崩していた。
そして灰電は、大小を問わずほぼ全てのバッタ達を通った。
「抵抗、だ……!」
その意味を彼は即解した。
巨大バッタの体内の電流回路、そこに眷属バッタ達という経由点を挟んだ。
一体一体が、永級クラスの耐電性。
ルート全体の抵抗が大きくなった。
「電力量が変わらないのに、抵抗が大きくなれば、電圧は上がって、電流は……!」
そしてそれを知れるのは、バリケードの外に出て、この光景を目に出来ている者だけ。
「構えろ!まだ終わって——」
ひれ伏す。
黒光りするキチン質と頬ずりさせられる。
「ぶぐ……っ!」
重力が大きくなった?
空気を操り上から押し込んだ!
違う。
それは慣性だ。
物体が運動の状態を留めようとする力。
何も無いところでは、動くものは動き続け、止まるものは止まり続ける。
彼らも今、止まろうとした。
空間上、xyz軸座標の数値を、変わらないように踏ん張ろうとした。
彼らの頭上の大気共々、物質的本性が、そうしようとしてしまった。
その力と、彼らを壊れたエレベーターのように急上昇させる力。
その二つが相矛盾し、対立、衝突し、
その相克が、彼らを足下に押さえつける。
よりカメラを引いて、俯瞰する形で述べよう。
彼らを背に乗せたまま、巨大バッタが跳んだのだ。
囮を追う事をやめて、真上に向けて三対6本の肢、それが持つ全脚力を使って、沖天。
「……ぬ…ッ!」
「くぅぅうううぉぉぉおおお!!」
Gによって潰されそうになる内臓の強化に魔力を回し、耐える。
その中で刀弥と進は、自分達がうつ伏せている筋肉の動きを感知。
「にぃげぇろおおおおおお!!」
魔力噴射及び爆破!
物理的重圧の下で、なんとかメンバー全員を、広い背から下ろそうと試みる!
『“浅稲畔脚按摩椎乳”!』
「“天道眞氷嵐雷権現”ぉぉぉ!!」
彼らの下に古茶の氷面が張られて摩擦係数を低減!
進の魔力爆破によって滑るように外側へ!
それに当てられていた晴れ日が雲間に、
いいや、雲ではない!
翅だ!
巨大バッタの翅が閉じられようとしている!
肌に貼り付く害虫を掌で潰すように、
背に纏わりつく害獣達を圧死させようとしている!
「おりるぅぅぅっ!!」
「うおおおおおおっ!!?」
進達と同じように下に押しつけられる力と位置エネルギーとを溜め込まれた、積層構造の装甲板である翅が、関節の固定を外され遂に振り下ろされる!
間一髪全員離脱!
「はぁ゛むしぃぃぃいいいい!!」
だが瑠璃の両脚がギロチンの餌食になった!
紅白と古茶の魔法が落ちながら治療に移るも、重大な身体欠損では完治不可!
傷を塞いで誤魔化すしかない!
「手を伸ばしぃや!希望があるで!」
彼らの周囲に小さな灰雲が数十生み出され、それに掴まって自由落下を阻止!
地面と引き合ってペシャンコになる結末は回避!
「今の跳躍、小型バッタが振り落とされています!好機好都合勝機到来!ですよぉぉぉおおお!」
「良し、や!全軍プランBに計画移行!」
『ありましたっけそんなの!?』
「まだ我らに運命が」「狙われてる!」
進からの警告!
その全身を晒した巨大バッタは、寝返りを打つように彼らに向き直り、腹の一部をぽっこりと膨らませる。
その先端を5人へ向けながら蠕動させ、丸まりが押し出されていく。
そこには他のバッタと同じく、
「あかん!全速回避や!」
産卵管からのバッタ弾幕!
サイズに統一性の無い虫共が、鉄砲水のように噴射される!
その全てが、中でおしくらまんじゅうしていた事によるローカル強化を受け、超音速で飛来する!
風切り音が羽音と混じって不快な細かさと鋭さで耳を引っ掻く!
「出力が極端なシャワーかよ!温泉とかのさあッ!」
各々が魔力と魔法で身を守り、雲が電磁力で射線外に彼らを引っ張り逃がす!
「灰の電光、隼の如く、や!」
産卵管から出た小型バッタが再度その巨大バッタを覆い尽くす、その前にもう一度攻撃を入れてやろうとして、雲は時計回りでの接近航路を取る!
「壌弌のお!」
道眞の呼びかけで刀弥の能力が紅色ラインを空中に示す!
それは安全な突入ルートだ!
向かう先は、六つ目の頭!
アンテナとも鬼の角とも言える触覚が何対も並び、閉じた唇は般若の口元が引き結ばれたが如く!
「奥歯ガタガタ言わせたるッッッ!!」
口の中に直接電流を流し込む!
もうそれしかない!
「吶喊するでえっ!真っ向から正々堂々の決闘やっ!」
灰雲達は自らおやつになりに行くかのように、飢える異形の眼前に飛び翔け、
口は迎えるように開く。
下唇が左右二股に分かれる。
その内側にも、小さな大顎部が、歯のようにびっしり並んでいる。
紅色が曲がり、導きが中断を呼びかける。
彼らの狙いに気付いてか、新たな動き、壌弌の魔法がそれに触れた。
道眞は迷わず行動方針を“離脱”に変更。
〈ぎゅ、〉
喉を絞めるような声の後、
〈ぎィィィィィィィィィィィィィィィィ!!〉
口内から茶褐色溶解液高圧放射!
それも数条の線として継続嘔吐される!
頭が巡らされ、薄っすら茶色がかったそれらが灰色を千切り払う!
〈ィィィィィィィィィィィィ!!〉
尚も後頭部に回ることで逃げ続ける人間共を追って放液!
巻き添えで地に爪痕がくっきりと灼き彫られていく!
溶解液がやっと止まった時、その頭にまで小型バッタの河が届き、防御が完全に戻ってしまう。
「逃した…っ!」
『いいえ、まだです』
上部から見下ろして歯嚙みする進に、睦月が否定を返す。
『翅が羽ばたいていますが、急速な上昇や水平移動、方向転換を行っていません』
「あの巨体の足場になるものが無く、今は滑空滑落しているだけ、ということですかぁぁぁあああ!?」
「身軽な空中戦をするには、流石に図体が大き過ぎるし重過ぎるのか!」
「秀逸な洞察やで!あれが母なる大地と再び見えるまでが刻限や!」
脚力が充分に発揮されない空中、そこに留まっている間が最後のチャンス!
「獲ったるでぇ!その大将首ィ!」
灰雲が巨大バッタの口目掛けて斜めに落下!
胸から生えたバッタの頭のそれぞれから、G型、W型弾がお見舞いされる!
紅色が安全な突入ルート誘導!
だが遠過ぎる!
それを辿っている時間が長くなり、それだけ相手に次手変更の猶予を与えてしまう!
最前の触覚一対、それがスライドして三つの単眼のすぐ内、人間で言えば鼻の付近に配置される!
敵の行動の変化によって紅の航路にも修正が入る!
二つに大きく分かれる灰雲の群れ!
そこを空振る斬撃を伴う頭突き!
避ける為に後ろに入った事で、口を狙うには再度大回りをせざるを得なくなった5人!
再合流して紅色を辿る彼らに、F型を背負ったG型とW型が襲い掛かる!
瑠璃が紅白の牛頭を操り広域を薙ぎ払う!
そこらを飛び回り、大きめなモンスターを取り巻く小型バッタ達の一部を奪ってF型を撃ち抜き、その機動性を大きく奪って雲から引き離す!
並走し蹴りつけてくるG型達を刀弥が斬り解す!
W型の溶解液攻撃を進が魔力を炸裂させる事で散らし飛ばし、お返しに肉薄した勢いを乗せた飛び蹴りで拉ぎ押す!
キックの反動と魔力ジェットですぐさま雲に戻り、その後もヒットアンドアウェイを繰り返してW型を寄せ付けない!
「時が来るでええええ!!」
六つ目がまた見えてきた!
頭の横からの角度で飛来!
首部分の可動域が狭いバッタにとって、そちらから来る小粒共を頭で叩くのは至難の業だ!
小型バッタを瑠璃が退かし、唇や顎を動かす継ぎ目を狙って刀弥が鋼鉄を奔らせる!
「往生せえや!ハネトビ腹空かし!」
覚悟を要求された“醉象”の横顔が、反響と共に答える。
〈死ね。地べた這いつくばり〉
彼らの目前から、巨体が消失した。
翅が、閉じられたのだ。
揚力や抵抗が酷く除かれ、落下が急加速された。
「もう……!?」
もう、落ちても大丈夫な高さ。
そいつにとっては、この高度からの自由落下は、大した損傷にならないという判断。
彼らは間に合わなかった。
空中の優位は終わった。
その極太く長い後ろ肢が、
遂にホームグラウンドに、
土で満たされた地表に着いた。




