510.捧げる者達
パンッ、
掌が打ち合う音。
「“魔法変身半神狼王”」
八文字の完全詠唱。
赤金の毛並みを持った狼に姿が変じる。
〈前だ!ヨミチ!〉
吠え声が言葉に。
〈リボンで俺達を押せ!〉
「どっちへ!?」
〈前に!境界の側にだ!〉
防御に使われていたそれらを、畳みながら地面に付け、側面斥力を解放!
押し出す力に!
〈ぐぅぅるぅオオオオオオ!!〉
リボンを体に巻いたニークトが全員を引っ張りながら駆ける!
彼の変身魔法は、彼の中に野性を呼び醒まし、常に死と隣り合って来たかのような歴戦の鋭敏さを備えさせる!
例えば反応速度向上!
その能力が、遅らされた信号を元の高速に乗せる!
万全ではないが、ディーパーの中では速い側と言えるくらいまで身体能力が復旧!
詠訵とニークトの二段階を踏んだ加速によって前へ!だがルカイオスの爆風は既に背後まで迫る!遅延固定されたナイフに前進を邪魔され折角増した勢いもスポイルされる!
〈これしきぃいいいいい!!〉
口は強がるもののこのままでは間に合わない!
「間に合わせるッス!」
三段階目のブースト!
八守の兎の後ろ足が力強く荒れ地を蹴りつけ、彼らを前に運ぶ!
その局所的変身魔法は、身軽な兎の物語。
能力の全てが、「逃げる」事に特化しており、
敵や危機が近くに迫るほど、その真価を燦然と発揮する!
「“脱兎達屠独砥脱兎”。逃げ足だけが、自慢ッス!」
すぐ後ろにからのチャンピオンが放つ破壊力に生存本能を煽り炙られ、魔法の効力が数段上昇!
本領発揮!
唯一有り得る退路、“奔獏”ラインの正面突破という道に立ち向かう!
〈「うおおおおおおお!!」〉
主従二人による全力牽引!
先頭が遅延領域を抜ける!
〈きゅるううううん〉
「しまったっ!」
が、掴まれた!
突破を予感したイルカ達がすかさず集合!
後続の詠訵と六波羅を捉えた!
「離し、てよ…ッ!いい子だからさあ…ッ!」
空間ごとに時間差を作り、
それぞれ別方向に引っ張って車裂きにしようと「きゃあっ!?」
「なんだ!?」
〈ぎゅんっ!?〉
背後から最後の加速作用!
それは“雄戴噛惣”の爆風!
距離が近くなり充分に減衰せずに境界に衝突した事で、遅延領域の半ばほどまでその破壊力が食い込んだ!
イルカが数匹半焼し、詠訵と六波羅は押し出される!
スペースロケットは重力を振り切った!
〈右をやる!〉
M型達は自身が纏うローカルを強め、屈折による幻像を生み出して隠れようとする!
その前にニークトが一体に両前足の爪を突き立て、引き裂いて殺す!
「紺!」
反対に位置していたもう一体を詠訵のリボンが貫く!
側面から斥力発生!
四角く抜いたような傷口を開いて殺討!
〈他は!?〉
「感じません!」
詠訵が持つ、進への道を阻む障害物探知能力。
それが近くの問題を検知していない。
ニークトは急激な魔力消費を一旦避ける為に変身を解く。
「行きましょう!ここが越えられた事はバレてる筈!敵はこちらに兵力を差し向けてくる可能性が高い!」
六波羅の尤もな忠告に従い、彼らは敵を警戒しながらその足を速め、未だ無事な林の奥を目指す、その挙動が、段々、と緩、慢に、なっ、て、い、く、、、、、………
——なに……これ……!?
静かで、呑気で、
濃密。
詠訵のリボンが、そこに唐突に、畏敬すら覚える最悪の壁の気配を喚き立てる。
——こいつ……!
「こぉ、いぃ、つぅ……!」
口が頭について来ない。
だがリボンは動く。
斥力をフルに開き、周囲を強制加速する事はできる。
それで応戦を「あいやストップ!待たれい、ちょっと!」
詠訵が思い付きを実行しようとする直前、それに割り込む声。
聞き覚えがある。
彼女が見上げた先、枝の上に腰掛ける道化。
「……この前ぶり……」
「おいしょと怒るその前に、お話如何かお嬢さん?」
慎重に、敵の出方を見る為、一度リボンを落ち着かせる。
というのは建前だ。
恐れた。
このまま突っ走ると、何かとんでもない過ちを犯してしまうのではないか、そう思わされた。
そいつから発する、事象を遅らせるほどの圧力。
それを、肌身にヒシヒシと押し付けられ、躊躇してしまった。
「………何……?」
頭の周りが軽くなった。
彼女の一部だけが、泥の中から解放されている。
いや、それは最初からか。
一行の外のメンバーは、来訪者を目で追えてすらいない。
意識自体が遅れ過ぎて、この時間の流れに追い着けていないのだ。
「その包装が中々に邪魔そう!愛敵排斥!狭隘なる狂愛!その効能が、窟法にも滅法効く!結構馬鹿にならないくらい!」
彼女のリボン。
それが“奔獏”のルールに、100%ではないが抗えてしまう。
押し出す事による強制加速は勿論、ローカルの効果適用そのものに、抵抗する力を持ってしまっている。
「悩ましい!ああ!嘆かわしい!」
「そこまでとは思わなかったけど、」
けれど、「効く」という事は分かってしまった。
「それを私に教えて、お前はどうしたいわけ?私の確信が、このリボンの効果を更に強めるんだから、もっと仕留めづらくなってるでしょ?」
「その通り!うん、大正解!そしてここからが我が本題!」
この認識を利用して、何を仕掛けてくる?
彼女は知って、意識に「出来る」と植え付けられてしまった。
そこを逆用する手があるのか?
訝る彼女に、道化は片足で枝を掴みながらぶら下がり、両腕で彼の後方を示して言う。
「あなただけ、許しましょう!」
「……!?な……!」
「目指せ欲深き矛先の少年!通り給え!獲り攫え!」
詠訵だけを、通す?
「私に、みんなを、」
視線だけで、3人を見渡す。
「見捨てろって言うわけ……!?」
「ああ勘違い!少し思い違い!」
両手を顔の前で振って否定する“奔獏”。
「私はこれから抑えねばならない!乱暴狼藉なんでも御座れ、狼率いる神気取り!」
指差す先は、直進するルカイオス本隊が、境界面と衝突するであろう地点。
彼はこれから、そちらとの戦いに本腰を入れなければならない。
「けれどこちらも見逃せない!ちょこまかやられちゃ堪らない!」
「……私が居なければ、先輩達は先に進めないから、足止めぐらいなら出来る……。その間に本隊の方を潰して、後からここに戻って先輩達を相手にする、ってこと?」
「左様!そうそう!どうでしょう!」
耐性を持つ詠訵との戦闘では、この場に居る他のメンバーを覚醒させ、本筋ではない戦場を長引かせる危険が生じる。
詠訵側も詠訵側で、より手間を掛けさせられる確信は持てるものの、本格的に戦えば、ほぼ間違いなく負けて死ぬ。
ならば、互いに戦いたくない。
それを踏まえて、この取引に乗る事を考えると?
ルカイオス本隊が“奔獏”に勝てば、それで解決。
“奔獏”が勝ったとしても、彼女がスムーズに進を連れ戻し、ニークト達と再合流出来れば、友人達を救える。
エイルビオンの精鋭が、瞬殺される事だけがリスク。
ただ、どの道でも確定している事がある。
彼女だけはいち早く、進に会いに行ける。
これは確実。
「……私が、この3人が絶対に危ない状態に陥る危険と引き換えに、ススム君の許へ急ぐって、そう思ってるってこと?」
「違う?違うの?そうじゃない?私は分かるよ!君はそう!」
くるくると枝を鉄棒代わりに回り、その上で側転しながら先端へ。
「私は知ってる!君の眼を存じる!信奉者の目!崇拝を宿して!」
枝ぶりを撓ませながら、折れそうな梢に爪先立ちして、片足でフラフラとバランスを取る。
「刺激的で詩劇的!熱狂者の鈍い視輝!」
その首が90°横に向き、顔がこれまた90°傾いて、
「鏡を見るようだ」
風の日の木立のように囁く。
「………私は、」
彼女は、
「私はススム君を、王様とか、カミサマとかみたいに、思ってない」
同類同族だけが嗅ぎ取る、
「そんなモノにはしたくない」
親和と嫌悪を同時に感じ、
「ススム君は、私のモノにする」
もう偽るつもりもなくなった。
「私とは、違う、と?」
「純白な信神なんかじゃない。彼を最高になんて、一人になんてするもんか。私が持ってる気持ちは、脚の筋肉綺麗とか、おなか触りたいとか、恋人繋ぎしたいとか、髪に顎載せてシャンプーを嗅ぎ当てたいとか、自分の胸を彼の胸板で潰したいとか、そういう俗っぽい、欲塗れの感情」
「それが私が思ってること」、
リボンを引く。
全てを巻き取り、自らの周囲にのみ浮遊させる。
「そうか。なら、やってみるといいさ」
プールの中で、歩くみたいに、
彼女は前方の空間を蹴り拓き、出来るだけ大股に一歩を踏む。
「ごめんなさい。先輩」
すれ違う際に、言葉だけを残して、
「ごめんなさい。みんな」
“奔獏”の下を通り、遅れの外へ。
互いが互いを「理解ってしまった」、道化と妖狐が交差する。
けれど分かり合うが故に、馴れ合う事を最大の侮辱と通じ合い、
それ以上は一言も無く、
背を向け合ったまま離れて行く。
枝がまた音を鳴らし、葉を散らして舞い落とす。
それを為した風と共に、
道化の姿は消えていた。
3人は、光陰の泥濘に囚われる。




