504.生物であり災害であり
〈辺獄現界〉
そこに壁は勿論、天井すらない。
だが、反響が聞こえた。
残響が這いうねった。
そいつが暗幕で、虫の雲海で身を包んでいたからだろうか。
やけっぱちな気分で設定されたエフェクターのように、直感と反する閉塞感を与え、上演前の暗いホールを思わせた。
〈“等朽醍”〉
暴風が洞穴を鳴らすような轟音。
空腹が漏らした呻きに我を取り戻した時、穂先を靡かせる麦畑に立っていた。
「な、んだとおっ!」
日魅在進がその根本に魔力を炸裂させる。
ギィギィとパニックになった鳥群のように鳴き散らかしながら、バッタの塊が蚊柱のように空へと立ち昇る。
「こ、これは…っ!?」
がさがさがさと、黄金が振られる。
風は無い。
それは根本から揺さぶられている。
「これ、全部……!?」
草葉に隠れて蠢く群生によって掻き鳴らされている。
“刺面剃火”が魔力砲で火を放ち、一帯をカーボンブラックで焼き払うと、石を引っ繰り返された後の土蟲共のように、ワラワラ慌てて飛び出す黒風。
「これ、ここ、一面にぃぃぃいいい!?」
三本角が魔力を収束させた光線を撃ち込み、そいつらを乗っ取り自らの防御に回す。
それぞれが寄らば斬るの構えを取って、その餓鬼畜生の腹には収まるまいと抗っている、その2、300m先に、悪食の化身が着陸する。
立っているだけでも筋肉を締め付ける縦波振動。
土を踏んでいるままであるのに、視座の高さが目に見えて上下する横波|震濤しんどう》。
固形に立脚している事を忘れ、荒れる大海を彷徨う船乗りの気分に足を取られる。
近くで見ると、その巨虫の体表に、滝のような勢いが奔っていた。
水族館でしか見ないような、雑然としているようで統率の取れた魚群を思い出させる。
横溢した死を絶えず激流する暴食大河のうねり。
衝撃波と、揺れと。
それらと共に、黒い川がそいつの足下から流れ出してしまう。
〈警告〉
「うぉぉぉおおおおお!!」
「じゃ、まアアアアアア!!」
彼らは躍動する命の洪水の下に沈んだ。
太陽が、見えなくなった。
そこはまるで夜だ。
闇が大食漢として、触れる物全てを飲み干し尽くす、凶暴な真夜中。
“刺面剃火”の背面スラスターノズルが持ち上がり、両肩に載せられ前を向く。
他の黒炎攻撃と共に、そこからジェットを噴射して正面の宵闇を焼き照らす。
それに巻き込まれないように、完全に背面に隠れた三都葉瑠璃も、紅白の巨像の三本角と六本腕をフルに使い、一匹の討ち漏らしも許さんと猛る。
日魅在進は低く腰を落とし、立てた両の上腕と脛とで前面を完全ガード、そこからの噴射に出力を集中させ、熱裂削断で来るものを刻み拒む。
だが彼らの奮闘虚しく、
一つ、
二つ、
降り始めの雨のように、ポツポツとその体表が打たれる。
〈『十人、寄らばぁ……チケンも、ケイガイ』ィィィ……〉
巨大バッタが宣言した、それが“醉象”の窟法。
この数。
この密度。
この惨禍は、バッタの大群が単に強力な実体弾斉射と言うだけでなく、ローカルで元の数倍以上の強体へと昇華されている、という最悪の事実をも示唆する。
一匹一匹が、元々優れた強固さと脚力、飛行能力を以て、彼らに命知らずの突進を仕掛けている。
本体から分け与えられた溶解液に、口元を濡らしながら、だ。
そこにローカルの能力上方修正。
一部の隙なく空間に敷き詰められた重機関銃撃が、一秒の絶え間なく押し寄せるのと同じ事。
人類の中で最強クラスの戦士が、単なる移動の余波だけで、何も出来ない。
そして副次効果として、
「ひゅっ、ぅぅぅ、ウウ……ッ!」
バッタ共が過剰な身体能力を発揮する為に、代謝が極めて活発に促進され、空気中の酸素を使い込んでいく。
二酸化炭素濃度が高くなった空気は、質量が重くなり下に溜る為、全てが飛んでいってくれるわけではない。
日魅在進、またしても酸欠の危機。
「息が……」
土を舐める片膝の皿!
「なら……、少なく……!」
なんと、バッタ共はそれを襲わない!
何故か綺麗に彼を避けていく!
理由は日魅在進の戦術転換!
正面衝突では魔力の使用量が大きくなり、その分呼吸が、酸素の消費が多くなる事を理解した彼は、黒流に寧ろ追い風を与えてやった!
彼らを自分の方向に後押ししながら、少しずつその進路を外側にずらし、自然と逸れてしまう軌道!
極小魔力を群れの中に放ち、自らの体に着くよりずっと前の段階に干渉。適時適所で破裂させ、止めるのでなくいなす事で、空を横切る見えないレールが敷設されたのだ!
自分達の勢いが強過ぎるが故に、その背を進が更に押してやっているが故に、逆らっての方向転換やUターンが難しい!
直前で誘導されている事に気付いたとて、急激に頭の向きを修正しても、後続が押し流してしまうのだ!
「力づくがダメなら……!受け流せばいい……!」
暫時延命。
だが時間制限が後ろ倒れただけであり、そこに“詰み”の二文字は依然、横たわったままである。
特に、全霊探知状態に没入し続けなければならない関係上、終わりは数分の内に来る。
否。
彼は、彼らは目の前を切り抜けようと死力を尽くしたが故に、忘れかけていた。
これは所謂、初期微動でしかない。
惨劇は、ここから始まるのだと。
〈フィィィィィィド〉
100mも無い地点で、再度の墜落衝波。
密々と隙間なく詰まりながら飛んでいる故に、たった一枚の上等なケープめいて滑らかな虫海。その内、胸がある辺りからバッタの巨頭が二つ、水面のアシカのように顔を覗かせる。
その下唇が外れたように落ち開き、その中からにゅうと数mサイズのバッタが顔を出す。
それらが、揺れによって足を止められた人ケラ共に向かって、
跳んだ。
唇の内、大顎の奥、喉にはバッタの後ろ肢が備わっており、それと中型バッタが肢裏を合わせ、互いに蹴り合う事でジャンプ力をモロにプラス。
「喉から肢が出る」程の渇望をパワーに変換した挺身特攻。
更にそれが“装填”されていた内外に、小型バッタも中型バッタも大量数が詰め込まれており、ローカルをガンガン存分に適用。
狙撃銃を超えた速度で砲弾を遥かに凌ぐ口径から射出されたも同然。
空力摩擦で激しく熱された衝撃波を放ちながら2匹とも着弾。
鼓膜どころか脳を破り捨てるかのような轟震。
爆煙と共に相当量の土砂が轟々と跳ね上げられる。
暴力!
ただ上から殴る!
拳に力を籠めて殴る!
それだけ!
それだけで人間の優れた防御技術が台無し!
強くなったとは言え流石に肉体への許容圧力を超過したようで、弾頭となった2匹は風船めいて弾け破れる!
それにより農業用スプリンクラーの如く溶解液が中に詰めていた小型バッタごと散布!
味気ない穴ぼことなった畑の跡地が、焼ける音と煙を上げる火山の噴気孔的観光スポットに早変わり!
ただし暴れん坊な黒霧に視界が埋められるせいで、景観としては最低の下の最悪である!
巨影が虫の海の向こうから、六つの複眼を光らせて探る。
バッタ共が見ていた。
奴らはまだ死んでいない。
「敵わへんわ。食滅の闇黒が、骸の山麓を築いとるぅ!」
腰に差した日本刀、鞘から僅かに抜かれたそれがバチバチと灰色の電光を散らさせ、そこにのっぺりとした雷雲を集めている中年の男。
灰の髪をオールバックに、髭は顎から人中まで、口周りを覆っている。
旧丹本軍の将校が着るような、赤が入った灰黄緑ベースの軍服の上から、黒いマントを覆い被せる。
「ハッハッハッハーッ!一騎当万の我と言うても、こないなぎょーさん、ちいとばっかし本気を出さんとアカンやないかい!」
大見得を切るように上げた腕を横振り、マントをわざとらしく翻す。
彼が黒衣と二人で立っている小高い丘上、灰雲がそこに帰って来る。
間を開けて幾つも並ぶその末端、渦巻く形に、3人の人影が掴まれていた。
「おおい!不可視の奏手クン!汝の命を縮める事んなる故に待たれい!言うたがな!」
「……クソ、ポエム詠みが増えた……!」
「なんてえ?聴覚解析不能や。再度の復唱を要請するでぇ」
「肝に銘じますって言ったんですよ、政十さん」
「我の事は“堕天灰鋃”呼べ言うたろがい」
「それ自称でしょう……!」
「“グレイ・ハイロウ”ゥゥゥうう……!?何故ここにィ……!」
「何故か定着してるし……」
政十道眞。
特作班が用意した、同行者の最後の一人である。




