502.別働隊
目では殆ど見えない。
高速戦闘には慣れた方だったが、それでも彼の動体視力は、そいつの残像くらいしか認められなかった。
絶望的であったと思う。
目にも留まらぬ敵との戦闘に、彼が慣れていなければ。
左に持ったショートソードの機構を起動、丸盾型の電磁フィールドが展開。
鳩化した前肢を外に回し受け、直撃を避ける。
左腕が捥ぎ取れそうな衝撃に耐えながら、その強打を乗せた右のシミターを相手の胸に突き刺し、左後ろ肢での腹キックは魔力が詰まった狼眷属による疑似反応装甲で耐える。
シミターが魔具機構発動。
数秒だけ硬い鉱石のようなものを生やして刀身を肥大化。
傷内部を破裂させながら横に振り抜いて殺す。
ショートソードを逆手に。
嗅覚で背後を取られた事に気付いていた彼は、敵の詰めに対して刃を置いて待つだけで済ませる。
勢い余って勝手に刺さってくれる旅装バッタ。
電磁盾展開。
内臓が縦に抉られて重傷化。
自らの頭に被さっている狼の顎で相手の首から上を食い千切りながら次の敵へ。
M型を抱えているタイプ。
その発射口に黒と青のリボンが突き刺さる。
畳み掛けようと接近。
M型の体が折れ、腹の先が彼を向く。
念の為にサイドステップを踏む直前まで彼が居た位置に、たった今生まれたかのような小型バッタ達の群れ。
言うなら産卵散弾か。
電磁盾で焼き叩きながらジャンプの予備動作に入ったG型の膝を踏みつけるような蹴りで破壊。
そいつが傾く左側からシミターを回し振って首を飛ばす。
内から外への腕の運動を止めずに背面跳び。左肩の後ろから狼の頭を生み出し、その顎で握らせた、先端が太く片方にのみ反りのある短めの両刃、ファルシオンに回転を乗せる。
グリップスイッチを入力している間、切断で生じたエネルギーを斬撃軌道の内に閉じ込める機能を持ったそれが、彼の体重も加わった一斬りを空間座標上に固定。
そちらから刺撃を狙って放たれたG型の後ろ肢を裂き止め、体の前面を半周させて、怯んだそいつへ向き直りながら曲剣で袈裟斬り。
その間何度も彼を食おうと集っていた小型バッタ達は、数本のリボンによって叩き払われていた。
彼は同行者の様子を確認。
口から拍を奏でる探偵の、防弾ベストやアーム、レッグガードには、目立った外傷が見当たらない。
黒と青の少女はと言えば、涼しい顔でV型2体の首を捩じり折るのと同時に、C型の腹を引き裂いていた。
「今ので近くのは最後ッス!」
身を低くしながら逃げ回っていた従者が、兎の長耳をピンと立てながら収束を伝える。
また生き延びる事が出来たと分かり、一同は浅くなっていた息をゆっくりと吐く。
「正気じゃないですよ、この島」
六波羅探偵が樹木の一つを背に、煙草を取り出して一服する。
ライターはまだしも、その嗜好品は厳格な事を言えば、「余計な物資」と指弾出来なくもないのだが、常軌を逸した戦場で、ルーティンワークは軽視できない安定剤となる。
だからニークトは、それの持ち込みについて何も言わなかった。
「色ボケ女。確かにこっちなんだな?」
「間違いありません。それについては全幅の信頼を置いて頂いて大丈夫です」
「だと良いがな……」
「お前は奴の事になると前後不覚になるからな」、という嫌味を気道の中腹で止める。
不安や焦燥から余計な事を言いそうになっていると、そう自覚しているからだ。
ここでは一つの不和が命取りになる。
日頃潜るダンジョンが、桃源郷のように思えてしまう危険地帯だ。
「八守、そのまま警戒を続けろ。少しでも不審があれば必ず報告しろ」
「了解ッス」
「ヨミチ、お前は防御の要だ。そのよく分からん能力を常に張っておけ。燃費が良いなら尚更な」
「分かりました」
「では我々は、この難題に向き合うとしますかね……」
機動隊が使うようなフルフェイスヘルムの、口元を守る装身具をずらし、一筋の白煙を昇らせながら、六波羅がうんざりした声音で意味する先。
ニークトも毛皮で覆われた首を、そちらに回し向ける。
イルカ達の行進。
どうしても越えられない防衛線。
詠訵が明かした新能力は、どうやら彼らの目的である、日魅在進を探知できるらしい。
その反応は、あの向こう側から。
信憑性に疑問符が付くものの、他に目指すべき方角を持たないのも事実。
隠していた事について詰めるのも、今は後回し。
あの馬鹿者を生きて連れ戻すには、ここを突破するしかない。
だが事前に眷属の狼等を突入させ、その難度は確認済み。
「六波羅殿は、どう考えますでしょうか?」
「『殿』はやめてください。残念ながら、情報不足の中で私が思い付く選択肢はそう多くありません。って言うか一つしか思いつきません」
「遅らせる」ローカル、そう類推した力学への対処法。
小難しい現象に対する解は、極めてシンプル。
「大きなエネルギーを使って、誰かの背中を思いっきり突き飛ばす。それだけです」
遅らせ、方向を変えられるなら、その力を振り切るくらいの強行で突き進む。
要は水中のように抵抗が大きくなって、そこにやりづらい流れまでついている状態なのだ。
「力づく」が簡単で確実。
「やっぱり、私が向こうの地面に一本撃ち込んで、長さ短くしてみんなを引っ張るのがいいんじゃないですか?」
詠訵からの提言は、実際の所かなり魅力的な案だ。
彼女のリボンは、深級のW型を貫いたという。
「斥力」を本質に持つその能力なら、確かにあちら側へ渡す事も可能かもしれない。
だが——
「撃ち込めはするかもしれないですけど…、撃ち込んだ後が問題ですね」
六波羅の言う通り。
リボンが通れるのは、大気との接触面が薄く小さく、圧力が集中しているから。
人一人を通すには、どう頑張っても何十倍何百倍もの接触面積が生じてしまう。
抵抗が大きく、速度は遅くなるのだ。
体を横に倒して、リボンから発生する斥力の形を工夫して、鏃や円錐のように流体を受け流す事も考えたが、それも確実とは言えない。
全員を同時に向こうへ通すなど、至難の業である。
ではリボンを届かせてから、境界線にトンネル型の斥力を開くやり方は?
ローカルは運動エネルギーで突破しているのだ。斥力で減衰は出来ているかもしれないが、効果を完全に弾けているわけではない。事実、彼女の護りの内でも、“火鬼”のローカルが作用した前例がある。
トンネルを開けても、その内はまだ遅いままだろう。
スピードで突破する。
100m5秒のスピードが10秒に引き伸ばされるなら、100m1秒のスピードを出してしまえ。それがこのプランの外せぬコンセプトだ。
そして何より、この作戦を断念する根本の懸念が存在する。
「あの海豚共……」
「あれがネックですね。大抵のプランがあれで破綻します」
そう、そこにはただ壁があるだけではない。
敵がそこに居て、それを張っているのだ。
短い間で、一度に全員を運ぶ。
それが叶わなければ、遅くなった状態で、illの眷属と戦う事になる。
それも、二種が合成されたものと。
あの番兵達の強さは未知数だが、スイスイと跳ね泳いでいるのを見ると、減速の対象になっていない事が分かる。
ハンデ戦を強いられると言う事。
一人ずつ運ぼうとして、あの中で滞留してしまったら、もう嬲り殺しの可能性大。
「私の魔法に賭けてみませんか?障害なら確実に排除します。ローカルへの耐性が思ったより強いかもしれません」
「どうだかな?『試して駄目だった』、では終わらないぞ?この結界を作っている“奔獏”本体が侵入を感知し、排除に向かって来る危険も見落とせない」
「離脱に手間取るだけでアウトなんです。詠訵さん」
「試しに今リボンで……」
「それで本当に効いたら、脅威視されて出迎えのタイミングが早まるだけだ」
やるなら、8割以上の勝算を持った上で、本番一回こっきり、全員を一度に素早く移動させる作戦。
それしかない。
「八守さんの能力は……」
「自分のは“逃げる”時しか本領が出ないッス。向かって行くのは不得意なんス…。五目麺無いッス……」
「“面目ない”だ」
「それッス……」
「それぞれの能力を合わせてなんとかなりませんか?」
「お前のリボンのバネと、俺や八守の脚力。六波羅殿の能力によって強化されたそれらで、同時に地を蹴って向こう側へ、か……」
「『殿』はやめてください。それがこの条件下で出せる最速になるんでしょうが……」
この領域がどこまで続いているかも不透明なままで、その力任せそのものな、策とも呼べないものに全てをベットするのか?
詠訵はその気でいる。
だが全員を生きて帰す責任を感じている、ニークトや六波羅はそれを決断できないでいる。
もっと画期的な、敵が強いる法則に潜んだ脆弱性がないか、そう頭を唸らせていたのだが、
「ッ!?」
重苦しいのに破裂寸前、その空気を弾いたのは八守だった。
「な、なんッスか、これ……?」
「どうした八守?何か来たか…!?」
「え、えっと、なんか、これ、なに…?なんなの…?」
「八守!落ち着け」
屈んで両肩を掴み、前髪の向こうと目線を合わせるニークト。
「何が聞こえた」
「わから、ない、ッス……。でも、なんか、でっかい人間が、人間?天まで届くみたいな、巨人が、起き上がった、みたいな……」
「何…!?」
彼は太陽が雲間から抜けたかと思った。
夏の真昼のような日射しが出たのかと。
だが、強過ぎる。
従者に掛かる、自らの影が濃すぎる。
振り返り、見た。
白金の波濤。
ドーム状に広がるそれが、こちらに来る。
「ヨミチィィィ!!」
全員が一箇所に集まり、リボンの防御が狭い範囲に絞られる。
「ぐゥゥゥウウウウ……!」
アンカーのように先端を足下に刺し、地面を捲り抉る奔流に、歯を食いしばって逆らう少女。
長く感じた数秒が過ぎ、景色に色が戻っていく。
いや、そこにはもう土と石の単調な禿げ地だけだ。
10秒もなく、目が届く一帯が一変してしまった。
「今の、イリーガル……!?」
「いや……」
その魔力光。
その威力。
ニークトには思い当たる節がある。
「兄上……!」
“起動”した。
そう見るべきだろう。
ルカイオス秘蔵のチャンピオンが、遂にそのヴェールを脱いだ。
「八守。音源を追え」
見失う、いや、聞き失う筈がないと分かっていつつ、ニークトは命じる。
従者が恐怖に震えるだろう事を知りながら、それを押して後を追わせる。
「兄上を利用すれば、通れるかもしれない」
渡りに船、とはならない。
これに巻き込まれる前に、仲間全員でこの島から逃げる。
それが今回の最善だったのだから。




