厳冬が生まれた日 part1
キリル連邦第二の都市、サンク=ピョートルフに存在する、“六花宮殿”。
国内有数の長河に面し、寒空の下のその水面に似た、緑がかった寒色の青色、そして白い石材から成るそれは、旧キリル皇国の王宮として建造されたものであった。
中央に上から見ると正六角形の建物を囲み、横から見ると長く四角ばった姿をしており、所々にあしらわれた金や尖塔が上品な瀟洒を醸す一方、全体としては「質実剛健」といった堅い佇まいとして纏まっている。
その中の、宗教画や非日常的純白で囲まれた、アーチの連なる洞窟のような構造の中、左手に木立が並ぶ中庭を窓外に見下ろし、護衛の騎士団が居並ぶ廊下を、背格好がほぼ同じである二人の男女が静々と歩く。
彼らの頭上には、大きな一つの白い輪が浮いている。
大衆が思い描く天使、それが三次元の肉を持ったら、そのような形になるのかもしれない。
二人はある両開きの扉の前で止まる。
その脇を固める者達に目で合図を送り、距離を取らせる。
それから二人ともが外側の手で、全く同期したノックを3回。
「「入りますよ」」
そう言ってから押し開けようとするも、
『こないで!』
内部からの声に、動きを止める。
「「入室を、お許し頂けませんか?」」
『はいっちゃダメ』
「「御顔を拝見しながら、お話したいのですが…」」
『そんなことしたら、あなたたちも……』
その声に混じる怯えるような色が、一枚隔てた外にも伝わる。
彼らは了解していた。
彼女が何を恐れているのか。
彼女に近付くのがどういう事か。
「「我々は、あなたのお手伝いがしたいのです」」
『ダメ。そんなことしたら、あなたたち、しんじゃう…!』
「「いいえ、平気ですよ」」
『へいきじゃない!あなたたちは、しらないから!』
「「大丈夫、我々は理解しています。あなたの力の事も、今、その身に何が起きているのかも」」
彼らは、それを解決する為に、ここに来た。
『……しって、るの……?』
「「はい。我々には大丈夫な自信があります」」
『どうして……?どうして大丈夫なんて言えるの…?』
「「ここを開けて、あなたに歩み寄る事をお許し頂ければ、お教え致します」」
『………』
誰も巻き込まない。
その決意は立派だ。
しかしまだまだ幼くか弱い子ども。
孤独への覚悟なんて、それほど強く固まっているものではない。
パキパキと、扉の向こうで何かが割れ落ちる音がした。
木の幹が折れ倒れるような、軽さと重さの両方を持つ響き。
『……はいって』
二人は改めて背後の者達を振り向く。
彼らそれぞれが防護用の盾型魔具を設置し、備えが完了している事を確認してから、重々しく入り口を開いた。
まだ射しこんでいる日も影も短い時間。
そこに、夜も山も深いと思わせるような、寒冷が破裂するように溢れた。
床の表面に薄く氷が這い、騎士団の前線から内側には、凍える青を含む白色が吹き付ける。
二人はその中でも、震えも見せず中へと踏み入る。
罪を知らぬ真っ白な円から、二本の腕が出現し、彼らを守るように包み込む。
中では家具も空気も凍り付き、天井から滴る雫が氷柱となり、電灯も熱を奪われ暗く沈黙している。
屋内であるのに雪が降り、床に積もって冷たいクッションを作っていた。
この部屋の内にだけ、冬がある。
その寒風の根本には、天蓋付きベッド。
その上にちょこんと、毛布の山が作られていた。
暗い中でよくよく目を凝らせば、それがぷるぷると小刻みに震えていると分かる。
「「こんにちは」」
呼びかけに応えて顔を出したのは、両目の上半分が隠れるような、恥じらう前髪を持った童女。
カチカチと歯を鳴らす彼女は、不安と疲弊とで蒼褪めていた。
「「初めまして、お会い出来て嬉しいです」」
彼らの背後で、扉が閉まる。
ここからは任せた、という事だろう。
「その、すごいまほうが、だいじょうぶなりゆう……?」
彼女の力に、対抗できるだけの強力な奇跡。
それは希望でもあり、だがそれだけのものがなければ、矢張りその寒波は人を傷つけるのだと、その幼心についた新しい傷を抉る。
「「いいえ?」」
だが彼らに言わせれば、そんなものは奇跡でも何でもない。
「「我々はあなたに、もっと、とびきり素晴らしい物を、ご覧頂く為に参りました」」
「すばらしい、もの……?」
話している間も、彼女はいつ、二人の命が尽きてしまうか、気が気ではない。
その不安が、更に室温を深く潜らせる。
その心の動きを知ってか知らずか、二人はまた、ゆっくりと距離を詰め始める。
「……!だ、だめだって…!」
「「何故、でしょうか?」」
「だ、だって、そんなちかくにいたら……!」
彼女の目前、ベッドの端に彼らは立った。
「「我々は、平気ですよ?」」
「いまはそうだけど、でも、ずっとこうしてたら、しんじゃうよ…!」
「「お生憎ですが、我々は——」」
——この程度で滅びません
「あなたたちがつよいことは、わかったけど、で、でも、もしかしたら…!」
「「いいえ。もしもがあろうとなかろうと、我々は滅びようがないのです」」
「……?ど、どういう、こと……?」
その言い方ではまるで、「死」という概念が無いかのような。
「「内緒に、できますか?」」
二人は顔布越しに、口元がある辺りに人差し指を持っていき、「隠し事」のジェスチャーをする。
童女はそれに倣い、自分の口元を人差し指で塞ぎ、「しぃー……」と頷いた。
「「善い子ですね」」
同時にしゃがみ、顔を近づける。
童女も布団を引っ張りながら、縁に寄る。
「「我々は、魔法なんです」」
彼らが話した内容は、一言ではよく分からなかった。
「ま、ほう…?」
「「はい」」
「あなたたちが、って……?」
「「そのままの意味です。我々は、神聖ローマ市国教王猊下が行使する、天上の父から与えられし祝福、その権限体」」
魔法能力そのもの。
「「かねて、人は父からの伝言を、その真意を解こうとし続けています。その探究の一つとして、父から下賜された力、権能そのものに、人の言葉で語らせる、そういった試みが提案され、実行に移されました」」
魔法。
神から与えられたその奇跡自身なら、真理を知っているのではないか。
そこに活路を見出した教会は、教王候補の教育の中で、「天使」というメッセンジャーの占める割合に重きを置く。
それは命令者であり、導く者。
それは神と人間を繋ぐ鎹であり、架け橋であり、人にも理解できるよう、噛み砕いて単純化した教えを授けるものである。
例えば「恐れる事勿れ」。
例えば「これを書き留めよ」。
例えば「栄えは全地に満つ」。
これは神の力の中でも、「情報」が含まれている奇蹟だと解釈できる。
その物語を子らに刻み、歴代の教王の役割を「神の声を聴く」事と定義し、その魔法を代弁者として構築する。
魔法という、情報で統制されたエネルギー、現象。
その中に、“人格”というより精緻な秩序を作り上げる。
“霊格”を人の目に映る形へと生み直す。
一代だけでは、為せる業ではない。
だが物語が“教王”の号と共に受け継がれ、その座に就く者達が試行の重なりを後世に連綿と残し、魔法は誰かの死で消滅せず、個々の命を超えて磨き抜かれていき、いつしか言葉を語るようになった。
教王という座に、魔法が宿る。
その構造が、その偉業を成した。
そしてとあるダンジョンを見た者達から、人々の肉体の中にその精神を直接注ぐ、そのアプローチが発想される。
両性具有的、或いは無性的であり、人を超越した存在であるそれが、この世に命として降り立つ。
その為の器は、必ず一対の男女で構成されなければならない。
教王は今も、市国の枢央教会に座している。
だが枢機卿団を始めとする信者達の祈りと、魔素を絶えず生成し続ける機構によって、世界中にその声を、神の代弁者を届け続ける事が出来る。
「「分かりますか?教王猊下がご健在であらせられる限り、いいえ、“教王”という地位を教会が擁する限り、私は消えてなくなる事はありません」」
だから、
「「ですから、他の何を壊してしまっても」」
彼女がその力に覚醒した、その瞬間の悲劇を繰り返したとして、
例え国中を氷漬けにしたとして、
彼らだけは、彼女を一人ぼっちにはしない。
絶対に、置いて行く事など有り得ない。
「……でも、」
それでは——
「あなたたちに、からだをかしてる、そのひとたちは……?」
賢い子だと、彼らは微笑む。
優しい子だと、心を温める。
「「それも、心配御無用です」」
だが、そこは救世主教会を信じて貰う。
「「皆、覚悟を持っています」」
「かく、ご……?」
「「はい。我らが父の為に、その身を捧げる覚悟が」」




