488.思惑交錯
緑溢れる木々の園。
その中のある範囲は、陥没し、土色や地盤を露出させ、尋常ではない滅壊があったと克明に表していた。
と、穏やかな森林と破壊の爪痕との境目辺り、泥土が盛り上がっていく。
下からは氷が生え、その太さを増し、内部にトンネルを開けるまでになった。
梯子のような取っ手が彫られ、それを伝って昇ってくる女。
“全仇冬結”ことリーゼロッテ。
彼女は地上で大きく背を逸らし、深く外の空気を吸った。
「虫臭くにゃい空気ぃ、おいし~~~!」
その開放感を肴に、スキットルから一口。
自らの内から間断なく湧き出で、寒暖の感覚を狂わせる冷気から、束の間だけ遁れられる。
「さみーさみー……」
彼女は周囲を見渡し、同行していた人間の姿を探す。
が、能力で呼び掛けてすらこないという段階で、彼らの末路を予想済みであった。
「はー……」
その場で天に向けて、両手指を組んで見せる。
「彼らの魂に、死後の安寧を」
祈りの後、黙禱。
「おっけー、もういいにょ」
そして背後の気配に振り返る。
「おまちゃー」
「わたしに殺されるまで、そのままでも良かったんだよ?」
セパレートビキニに麦わら帽子の女。
サングラスを下に傾け、白眼が黒く虹彩がオレンジ色な眼球がお目見え。
「こーみえて、責任感はちゅよい方にゃんだな~~」
「きみは結構、見たまんまだよ?見た目通りに——」
——弱虫だ
どちらに走ればいいか分からず右往左往する虫ケラを、高みから見下ろし成り行きをせせら笑うように、そいつは彼女の、リーゼロッテの虚勢をあっさりと見破る。
「弱いって思うんなら、ほっといてくれにゃあい?」
「でもきみ、思ったより邪魔そうだったからね」
「だかりゃ、残ったってえこちょお…?」
「そゆこと」
羽ばたき。
羽根を撒きながら近くの枝の上に、とんがり帽子を被った旅装の男が降り立つ。
そのコートは、よく見ると羽毛になっていた。
前面が朱色の鳩胸、腕の部分が完全に翼に変化している。
「ま、わたしはロー君の方にお手伝いに行く予定だから、場を整える裏方だね。きみのお相手は彼にお願いしてる。紹介するよ、“鳳凰”、トリ君だ」
「気付いた時には手遅れに」。
そのローカルが適用されている対象が死ねば死ぬほど、残った者が強化される。
バッタ共を使って、能力の底上げを図っていたわけだ。
あれが今、どれだけ力を増しているか、まずベースのそいつが、どれだけ圧倒的な戦闘能力を有していたのか。
未知数ではあるが、「絶対に強い」という事だけは分かる。
「こっちの意思疎通魔法が使ふぇないにょもぉ、君達のしわざなわけえ?」
「それは多分、あれだよ」
見上げた先を目で辿れば、飛行船と遜色ないサイズまで膨れたバルーンが浮いていた。
「“奔獏”……!」
「夢幻の如くなり」。
“伝達”を阻害し、意思疎通を難化させると言われている。
魔法での遠隔連絡にも干渉するという話は、どうやら遭遇者のパニックによる勘違いでは無さそうだ。
「でもあれぇはきみたちの……あ、敵対してんだっけ……?でも今目的は……、ツツツ…、あ~……、頭痛い……」
リーゼロッテは勢力図を整理する。
①絶対に“右眼”を破壊したい勢
ill共はグループ関係なく全員ここに入るが、隙あらば互いの首を頂こうと狙っており、必ずしも完全な共闘関係ではない。別々の陣営をぶつければ勝手にやり合ってくれるかもしれない。
また、姿はまだ見ていないが、クリスティアのチャンピオン——どうせ来ているし生きている——を分類するならこの派閥だろう。
世界一位の覇権を握る為、裏でこそこそ大規模プロジェクトを画策している連中だ。新たな発見、発明にイニシアティブを持っていかれるのは、歓迎しないこと請け合いである。
②自分達で確保するのが望ましいが、出来なければ破壊したい勢
消極的破壊賛同勢力。
キリルや陽州各国等、現在世界を牛耳る側に立っている者達、或いはその座を獲ろうと臥薪嘗胆を耐えている各組織、集団。
彼らの目の中では、央華から奪えばその急激な台頭に待ったを掛け、ライバル達からのリードも得られ、弱小の身上であれば一発逆転も夢ではなくする、といった理想的なツールとして輝いているに違いない。
同時に、他の奴に物にされると、自らの理想を反転してぶつけられるという脅威としても見逃せない。
特に一国でチャンピオンを3人も保有している丹本は、誰か一人でも送り込んでいる筈だ。
③破壊せずこの世に残しておきたい勢
央華を除いた残りは、救世教会や各国の学術会議等、真理を究める事を善しとする、信仰や好奇心といった衝動の奴隷達。
勿論のこと彼らとて、自らの手でそれを成したい欲がある。
けれども最悪、他の誰か、信頼できる勢力が細々とでも、嗣いで繋いでくれればいい。
正しさへの求道は一日、一世代にして成らず。
今生、自らの手で遂げられなくとも、彼方の明日で不可避の執行が、審判が訪れる。
故に自分は、その道に含まれた砂の一粒。
開拓の導を残せるだけでも本望。
破壊されない事を次善と考えられる、思想家にして夢想家の群れ。
これまたどうせ来ているであろう、ガネッシュのような学者もここに与するだろう。
リーゼロッテは家族に、キリルの皇族に自分は国と同じく②の人間だと説明しているが、腹の中では③である。
この立場では、①と完全対立、②の中の誰かが一抜けしそうで、それが信用に足る相手なら全力支援、という姿勢だ。
とは言っても、「こいつに任せておけば戦争とか起こさないでくれるし、真理への這い寄りに利するだろう」、という信頼を与えられる対象国など、存在するかは疑問なのだが。
——あ、でも、
一人だけ。
常世の深層に手を突っ込みながら、己が持っていた潜在能力のみを握って、離しも欲しがり過ぎもしなかった、「信頼」を体現していた人間に一人、心当たりがある。
丹本は彼をどうするのか?
回収に使えるかもしれない持ち札として、ここまで連れて来ているのだろうか。
——ううん、人に頼り過ぎるのは良くないな
隣人同士で愛を与え合えど、自己を律する事を忘れてはならない。
他者からの都合の良い働きかけを、当てにしてはならない。
それを頼るのは、まず自らが、最大限信仰を示してからである。
——そうだよね、ガヴ?
「ふ~~~……」
彼女の吐く息は、いつも白く煌めいている。
今はその度合いが益々酷くなっていて、俯きがちな相貌の先に、這うような霜を下ろし広げている。
「やる気だねぇ?」
「まあ~~~ねっ」
日光が、強い。
氷の生成速度が鈍い。
これはビキニ女の、“提婆”のローカルによるものだろう。
「サポート」とはそういう意味か。
「一つ、教えとくよ」
リーゼロッテから吹雪く冷気に肌色一片変えず、その女は彼女の真横を歩きながらすれ違う。
「わたしらイリーガルには、まだ使ってない切り札がある」
それはそれなりの消耗を伴う事、相性による有利不利が確かに存在する事もあって、ill同士の戦闘であれば後出しの方が有利だと言う。
ドミノボムによる相互確証破壊のように、互いに報復発動を警戒して使っていないだけ。
「逆に言えば、きみらの誰かが“あれ”を持ち出すのに成功しそうだったら、わたしらイリーガルの誰かが、即セーフティを外すんだよお?分かる?わたしの言ってること」
人間同士の争奪戦など、“ままごと”でしかない。
勝者には景品として、全illからのこれまで以上の攻勢が与えられる。
勝ち筋など、存在しない。
「ただで帰れると、思わないことだねー?」
「そうおもってていいにょ~」
足下を凍らせ、低く構えながら、樹上の翼と睨みを交わす。
「びっくりするのは君だから」
噴水のような液体の壁。
それは瞬時に凍り付き、
貫通しかかっていた羽根のダーツを、
内に呑み込み固定する事で止めた。




