481.もっと、もっと上を、何があっても上を
三都葉は盤石、10年20年は安泰である筈だった。
丹本御三家が一つにして、魔学技術への投資額はトップ。
モンスターコア加工技術であれば、政十家ですら及ばない高みにある。
幾らか傾いた所で、丹本政府が彼らを手放す事はない。
政財界へのコネクションと巨大な資本の山を腹に入れ、国の臓器として自らを組み込み、押しも押されもしない不沈構造を手にしていた。
だから、こんな事は本来、やる必要がない。
しかし要不要で全て決まるなら、個人だけに限定すれば、衣食住さえあれば満足できるという話になる。
人はそこで色気を出す。
もっと先に、更なる満足があるんじゃないか?そう考え、求め続ける。
鼻先に人参をぶら下げられた馬のように、
だからこそ弱く滑稽で、
故にこそ強く不屈でいれる。
何の話かと言えば、プライド、その一言で集約出来る。
御三家と呼ばれるまでに、丹本を牛耳る立場に登り詰めたコングロマリット達。
その中でも三都葉は、武家でも公家でもない、ただの百姓の出。
ダンジョン、そして潜行者。
その“特別”達の一員から、生じたものではなかった。
それは、「素晴らしい」と称賛されるべきものだ。
強き戦士達、潜行者こそが価値基準の中心に置かれ、それによって人が値踏みされる構図を過去の物とし、新時代の幕開け人の地位を担ったと、そう誇るべきものなのだ。
だが当の三都葉の創業者は、そうは考えなかった。
そもそも彼が支配的シェアを握った運輸・海運業は、戦争の兵站を握るという野望から始めた事業。
その本質は、戦士達の心臓を握ってやるという攻撃性の発露であり、当時特権階級以外に成る権利のなかった“潜行者”への、嫉妬からくる恨み骨髄を晴らす手段であった。
彼にとって、「潜行者でない」という事実は、重篤なコンプレックスだったのだ。
そしてそれは、魔学回路を獲得していない民が、潜行者達を下に置く時代を到来させても、癒えぬ渇きを疼かせ続けた。
モンスターコア加工とは、どんな潜行者をも強兵に押し上げる分野。
彼にとっては、非潜行者でも魔法に並ぶ力を持つという、復讐。
没落寸前の名家を買い、その家に継承されている物語に数節を書き加え、「三都葉」という家名に魔学的な効力を移させたのも、憎き怨敵の娘を犯すが如き腹癒せである。
潜行者の中でもハイカースト、「古くからの名門」という物語を持ち、「歴史」というポッと出の潜行者が太刀打ちできない強みを持ったそれまで征服してやれば、乃ち全潜行者を上から足蹴にするようなものだと、彼はそう考えたのだと言う。
馬鹿馬鹿しい。
三都葉瑠璃は心底そう思う。
妄執は時に人を底から押し上げ、誰にも真似できない成功への道をこじ開ける。
道が無ければ、自分の足でそれを踏み拓く、という事までやらせてしまう。
それは素晴らしいと、彼女もそう思う。
だが同時に、理性に代表されるブレーキ機構の多様さと強さ、それもまた人間の長所であると、彼女はそうも思っている。
生存本能すら凌駕する最高速は、それを必要に応じて止める事が出来る時こそ、真にその強力さを発揮する。
緩急、適時の“メリ”と“ハリ”だ。
それをコントロールできる人間こそが、本物の“人間”と言えるのだ。
三都葉の祖は、それを分かってはいなかった。
力の限り前を向き、進み続ければ、いつか報われて満ち足りる。
そう思い込んでいた。
そうとしか思えない暴走ぶりだった。
その意味で“人間”失格だった。
そしてその妄念は、肉体死せる後も慣性の如く、三都葉という家を動かしている。
潜行者、そして丹本。
その頂点とも言っていい座に就いて、
だが三都葉は、「先」を欲した。
玉座。
「最強」として並び称される同格達の中から、抜きん出る王の頂。
“御三家”、それでは足りなかった。
五十妹が差す傘の下、それが気に入らなかった。
創業者は推進剤として上昇志向の塊達を集めた。
その社是社訓はそのまま残り続け、止まらぬ進軍者を蒐集し続けた。
寄って来るのは、類に呼ばれた友ばかり。
今更慎重な足運びに戻そうとしても、崖を転がりながら土砂を身に纏い重さを増していく車輪は、自分を止める術を知らなかったのだ。
馬鹿である。
大馬鹿である。
瑠璃は今の三都葉を作った男が、恨めしかった。
彼女の人生は、大いなる悲願の為にある。
その生の意味を、そう決められてしまった。
一度そう言われると、後からどれだけ「もういい、自由に生きて良いんだ」と言われたところで、解放される事は二度とない。
違う生き方をしても、頭の隅にこびりつく。
自分が生きている内に、終わるとは思えない戦い。
どう足搔いても、自分がやった事の正否さえ、答え合わせさえ見せて貰えない、それが確定した人生。
彼女はそれを恐れて、だけど逃げる事は出来なかった。
逃げた後の人生で、ずっと自分自身に言われ続けるだろう。
お前はお前が見た中で、一番大きなものを捨てた。
今お前が生きているのは、意味を失った絞り滓の生だ。
自分の、そして将来の三都葉の、あったかもしれない栄光を捨てて、今のこの、そこそこのどこにでもある幸せを取ったのだ。
お前は臆病者の出涸らしだ。
幸せになりたいと言いながら、その為の努力は惜しむ卑怯者だ。
自分の中に特別を欲しがっているのに、ちょっと好みに合わないからと言って、生まれながらの「特別」を放棄した、愚かしい怠慢の徒だ。
被扶養者の生き方しか出来ず、本物からは絶対に見放され、見せかけの空虚を100年続けて、自分でも知らないうちに消えるのだ。
そうやって、後悔すると分かっていたから、
だから彼女は、三都葉の子として生きる事を、捨てられなかった。
離れられなかった。
“特別”を、降りれなかった。
結局彼女も、止まれない側。
不満足を引き摺り続ける人種。
血は争えない、彼女は自嘲する。
馬鹿だ。
馬鹿なのだ。
今般の案件にもまた、三都葉の馬鹿さ加減が見て取れる。
世界が開かれ、丹本が国際社会の一部となって、主要ダンジョン保有国主導で条約が締結され、大戦後には「チャンピオン」という枠組みが現れた。
新たなる敵。
踏み超えて唾を吐きかけるべき最終目標の上方更新。
より上を目指す。
視野も見識も狭かったと、目的地の再設定。
広い世界に順応し、装い新たに本物の最高点を見据える。
その理念は立派なものだ。
その為に海外人材を積極的に取り込む。
理屈としては頷ける。
だが央華の人間を、企業の中枢に無批判に受け入れる。
そんな地雷すら止まらず踏み抜くのは、暴挙と言う他なかったのだ。
別に、民族がどうのだとか、そういう話ではない。
同じ地域のお隣さん。
種としてはそこまで遠くは離れておらず、穢れた血がどうのだとか、そういうくだらない言い掛かりをつけるつもりはない。
問題なのは、央華という国家、国体の方だ。
三都葉は同類として、彼の国のブレーキ軽視姿勢を、正しく理解するべきだった。
「出来なくはないが、まさかやらないだろう」、それをやってくるのが央華なのだ。
三都葉が雇ったのは、個人として信用出来る人物だったのかもしれない。
勤勉な善人だったのかもしれない。
しかし自分の家族の命と、今働いている企業への恩義とを較べ、後者を重んじる人間はなかなか居ない。
そして彼らの家族は、当然彼らの故郷、央華側が全面的に握っている。
央華という国が彼らの家族を使って脅迫すれば、信頼によって持たされた機密を、簡単に売り渡してしまうだろう。
央華側にとって都合の良い人材と、元いた者達を入れ替える手伝いだってするだろう。
当たり前だ。
だがその「当たり前」を起こすには、国が人を良いように使い潰す、そういう前提が要る。
その意味で、三都葉は丹本という環境に甘やかされていた。
彼ら丹本国民は、政府から理不尽に攻撃を受けたりなど、しないまま世を去る事の方が多い。少なくとも、家族を盗撮した写真が公的機関から送られたりだとか、そういう事は起こらない。
優しさや誠実さを愚劣と捉える国に、「人権」なんて「お約束」を守ってくれると願う方が、間違っていた。
だが三都葉は丹本という国を無意識下の基準とし、央華に人権意識という過大な期待をして、間違った相手への信用の代償を払う事になった。
元々丹本に好感情しか持たない人間ほど、巧妙に隠蔽された爆弾と化す。
自分も不本意な善人ほど、スパイとして優秀な駒はない。
忠実な僕が、身中の虫に。
裏切るどころか裏返る。
本来金では買えない“忠誠”というものを、国が何本か線を超えれば得る事が出来る。
良い打ち筋だ。
善悪を論じないなら。
呆れるほど有効な手で、内部の3、4割が央華に巣食われ、管理職どころか役員の席まで持っていかれる段になってから、やっと彼女にまで現状報告が上がってきた時、瑠璃は笑うしかなかった。
三都葉の向こう見ず気質に、恨み言を幾つも言ってやったが、所詮独白で処理するのが精一杯。何を変える事もなかった。
確かに、雇った全員が無害な可能性だってあった。
地雷原を真っ直ぐ駆け抜けたら、ちょうど不発ばかり踏んで生き残るみたいに。
でもそんな皮算用、計画として組み込むのは、狂気の沙汰だと分かりそうなものだ。
どう考えても、手足の一つ二つ、どこかしらに失くすのが普通だろう。
ほぼ確実だろう。
更なる高みどころか、柱が腐って家屋倒壊の危機。
どう転んでも、大きく力を失い、転落を免れない。
報復は果たせず、底辺に舞い戻る。
創業者は、そこで今度こそ本当に死ぬ。
敗死する。
これまでと同じやり方で、丹本の御三家として真っ当にやるなら、だが。
央華は魔学関連技術を欲していた。
それで、世界唯一の新技術を確立するのだと。
彼らが成そうとしているそれには、三都葉が不可欠だ。
彼らだけでは、技術を生み出せないのだからこそ、乗っ取り工作なんぞ仕掛けてきたのだ。
だったら彼女達は、「世界唯一」の、“共同開発者”になればいい。
このまま央華に呑み込まれるくらいなら、敢えて自らその腹の中に入り、そいつを世界一に押し上げ、
その胃を食い破り足下に叩きつける。
そうすれば、全てが見下す対象になる。
どんな人類も、潜行者も、チャンピオンも、illでさえ、彼らに従わざるを得ない。
天上を渡す虹の架け橋、そこに腰掛け、下々を見下ろす。
“三都葉”という家名を失ったとしても、その意志と理念を継いだ誰かを、そこに就かせる。
民族が変わったとしても、そいつを彼女達の思想で乗っ取り、最高点に運ぶ為のデバイスにしてやれば同じ事。
重要なのは、生体遺伝子の配列ではない。
魔法と同じ、物語だ。
執念だ。
狂奔斉走を、継いでいるかどうかだ。
三都葉運輸創業者。
かつて苗字も無く、“弥七”とのみ呼ばれた男。
彼をその背に負っているかどうかだ。
彼女如き単なる一人間に、もうこれ以上価値のある意味なんて、巡って来るわけがない。
だから彼女はやるのだ。
目を開ける。
魔素供給装置の一つが、音を立てて空になったカートリッジを排出する。
防護服姿に似たアーマーを装備する護衛の一人が、新しい一本を規定の位置に挿し込む。
「来ました、よぉぉぉ……」
彼女の魔法が、隠し切れない気配を捉える。
「随分早い……、千客万来、疾風迅雷……」
予定は前に倒れたが、問題無い。
武装治安部隊も、三都葉瑠璃親衛隊も、歓迎の準備は既に整っている。
「来客を早速客室へ」
胡坐を解き、立ち上がる。
央華の代表にも、連絡を送る。
ここからの商談が、
本プロジェクトの成否を決する。




