476.呑んでもらう
『君はこう言いたいのかい?今のままでは世界全土が詰みだって』
「はい。奴をそのままにしていたら、どんな惨事になるか分かりません」
吾妻と五十嵐は液晶越しに目配せをし合った。
行き詰ったからではない。
簡単に話が進み過ぎているからだ。
“可惜夜の右眼”奪還の場に、日魅在進を“器”として持っていく。
そのアイディアの実行において、本人のやる気が一番の障害であった。
彼が恐れでピクリとも動けず、自衛能力を失えば、その瞬間から居ない方がマシのお荷物になる。
その心配は、話して数秒で取り払われた。
「俺を“可惜夜”の元まで連れて行ってください。奴を制御出来るのは俺だけです」
ベッドの上の少年は、彼らから大まかな話を聞くなり、勧誘に先んじてそう要求してきた。
積極性を宿しながら、不自然に冷たい隻眼。
右を覆う医療用眼帯、その下は空っぽのままだ。
肉体欠損を修復する事を、当の進が拒絶しているから。
彼は“可惜夜”遭遇から今日まで、その身に何が起こっていたか、掻い摘んで経緯を語った。
曰く、そいつに初めて出逢った後、その気紛れで動かされていた、と。
漏魔症でも可能な力の使い方を教えられ、それで出来るだけ派手に戦って見せろと、道化のような役回りを演じていた。
それを満たし続けなければ、或いは他の誰かにこの事を話してしまえば、
大いなる破壊を解放する、という脅迫に背を押され。
「一つ所に押し込められる、そんな退屈、奴はいつまでも耐えられません。あれは地球破壊規模の時限爆弾です」
『君がいれば、それを止められる?』
「俺にはまだ可能性がある、奴はそう考えていました。これからもっと面白くなる、と。元の通り、俺の成長を感じる事の出来る席に戻れば、破滅までの時間は延ばせます」
『現状それが興味を持つ事が、他に分からない以上、その可能性に縋るしかない、か』
「いきなりヤベー話が出て来てんなー」
『全くだよ。ゲームジャンルそのものが変わった。戦略ゲーやってたのに、トゥルーエンドが開放されるまで口説き続ける恋愛シミュになっちゃってる』
世界大戦がどうの以前の問題だ。
そして“右眼”が“可惜夜”の意思と通じているのなら、一応交渉が出来てしまう、という事。
央華か、他国か、どこかがそれと奇跡的に仲良くなれてしまえば、それはそれで本邦最大の危機。
元鞘に押し戻す。
それが最も安全で、波風を鎮められる。
『どの道、君を連れて行かざるを得なくなった』
「はい」
「魔素発生装置とか持ってくか?新型が出来てただろ?」
「問題ありません。ill共が出張ってくるなら、それに困る事は無いと思います」
『僕達は全力で君の“可惜夜”回収をバックアップする。難しい任務だけど、帰還が叶った後は、厳重な保護下に——』
「いえ、それも必要ありません。と言うより、やめてください」
タブレットを持つ五十嵐の付き人、睦月十巴は、空間のズレのような物を感じていた。
この少年は、こんな人物だったか?
あどけなく、幼く見える顔立ちだった。
今も、その造作に違いはない筈。
で、あるのに、
鋭く成熟しながらも、皺どころか歪曲が、罅が奔っているように思えてしまう。
どこか、鬼面を彷彿とさせる、という感覚すら浮かぶ。
勿論、言葉を交わした経験はごく僅かで、その短時間で人の奥まで覗けるなんて、思い上がってはいない。
それは重々理解している。
しているが、これは、
この断層のような隔たりは、なんだろうか?
『いいかい?君の中に納まるのは、本来は世界中の共同管理の下に無いといけない、地上で最も危険なオモチャだ。BCD兵器なんか比較にならない。君の中に居着くというなら、どの問題を後回しに投げてもまず、君についての条約締結から始めないといけないくらいだって、それは分かるだろう?』
「そうやって、窟爆と同じかそれ以上の煩雑なプロセスで、俺を閉じ込めてしまったら、結局同じ問題に戻ります」
『同じ問題?』
「“可惜夜”が退屈します」
「人類の死活問題です」、
相手の善意ごと、思惑の全てを一蹴するその姿は、脳の中で過去の彼と、大きく切り離されてしまう。
「奴は結構我儘です。俺が世界大会の時、決勝戦の裏でillの戦争に参加する事になったのも、奴の要望に依る所が大きいんです。分かりますか?奴が求めているのは、刺激です。
アクション映画を見に行って、代わり映えのない部屋の風景を何時間も見せられたら、怒って出て行ってしまうでしょ?それと同じで、俺から出来るだけ危険を遠ざけるというのは、その分だけ奴を苛立たせる事に等しいと思ってください」
『君を、野に放て、と?』
「表向きだけでも今まで通り、ある程度自由な生活を約束して貰います。“可惜夜”を大人しくさせておくのに、必要な措置です」
都合の良い要求だ。
どこまでも身勝手だ。
けれどもしかし、話の筋は通っている。
これは日魅在進の要求ではない。
“可惜夜”の望みなのだ。
勝手なのは、“可惜夜”。
彼ら人間は、それに振り回される側。
そうやって面従腹背を貫き、睥睨されながら地に伏して、足下を掬える機を眈々《たんたん》と待つ。
それ以外に、付き合う術は無い。
と、そういうロジックで、彼は全てを通そうとしている。
自分の中に“可惜夜”を戻し、下手な干渉をされない生活に帰る。
欲張り千万な言い分を、一つの絶対者を理由に成立させている。
神様の威を借る教会みたいだと、睦月は思った。
彼の頭上から照らす、無機質で病的に清潔な室内灯は、まるで後光のように見えた。
その聖輝に浴する事で、俗な少年が力を得ている。
そして人間の側に、それを拒否する権利は無いのだ。
『分かった。保証しよう』
この国を守護する装置として、その身を捧げた五十嵐でも、神の法には逆らえない。
『けど、体面上だけでも、何らかの支配下に置かれて貰うよ?』
ならば、法の抜け穴を探るだけ。
法に基づき、利を貪るだけ。
『君はこの部屋を出たら、もう僕達の一員だ。非公式組織の一人、防衛省特別職員の扱いにする。我が丹本国の所有物になり、その上で人類の今後を勘案して自由行動を許可、という処置を受けているって、そういう形にさせて貰うよ。他の国にも、裏でそう話を通す』
神相手には戯言でも、人同士には効力を持つ。
単なる言葉が、盾となり、壁となる。
神から許しを与えられた、その事実こそが人の力となる。
神授の王冠、五十嵐はそれを取りに行った。
「………奴との交渉次第ですけど、それくらいなら、多分大丈夫です。あからさまな過干渉だと、気分が冷める、ってだけだと思いますから、舞台裏を充実させるなら、許容範囲だと思います」
これだ。
睦月は気付いた。
この少年から“可惜夜”への、理解度が高過ぎるのだ。
まるで分かり合った友のように、
生き別れの半身のように、
彼は預言を予言するのだ。
右眼が彼の中にあったころ、脳から直接思考を読まれていたらしいが、その繋がりが逆流して、神の考えの一部を体感したのか?
思う所はあれど、睦月はそれを指摘する立場にない。
その少年に協力させる、その目的で設けられた場。
こちらの欲しい物が手に入ったのだから、円満に会話を閉じるしかない。
『相分かった。その方向で調整するよ。あ、一応言っとくけど、組織の存在含めて職務上の守秘義務が発生するから、オフレコでね?リークは即戸籍BANだよ?なんて』
五十嵐の支持で、睦月はタブレットを左手一つで支え、右手を差し出した。
『ようこそ、丹本防衛隊別設特殊作戦班、縮めて特作班へ』
「……よろしくお願いします」
日魅在進に握り返された時、
一瞬その体温が、赤くぼやけた鉄のようだと錯覚した。
それはすぐに思い違いと分かったものの、
惧れは火傷のように、
彼女の皮の下に烙印された。




