475.参戦
「兄上、御機嫌麗しく」
「要らん。所詮口実だ」
丁都内の高級住宅地に建てられた、巨大な洋館。
ルカイオス家がその偉威を光らせ丹本の富裕層を圧睨する為の城塞であり、多角的な意味で厄介な三男を閉じ込める用途で作られた籠。
ルカイオス本家、その背後のエイルビオンにとっての重要事でない限り、ここに兄達や父が直接足を運ぶ事はない。
なればこそ、「弟の顔を見に来た」、という体裁を取ったメナロ=ジョーンズ・ルカイオスの来訪は、事情を知る者の目に裏事情の剣呑さをありありと映したのだった。
家族サービスの為に来たわけではない。
そしてニークトは、彼らの焦燥の一端、それに心当たりがある。
「お前の『お友達』の話だ」
「聞き及んでおります。央華が何物かを得た、いいえ、奪った、と」
「お前の友人らしい、だらしのない尩弱振りだ。央華如き金満家風情に、世界の命運を握りかねない資源を掠取されるなど、潜行国家丹本の秘密兵器が聞いて呆れる」
金の狼の紋章を心臓の上に抱いた上着を、屋敷に入ってすぐ使用人に預け、廊下を歩きながら次なる出立の準備をしつつ、あれこれ指示して大広間を会議室に組み替える。
首元のジャボを鬱陶しげに二本指で押し下げ、数人掛かりで運ばれた深いソファに自らだけ腰を下ろし、脚を組んでニークトの顔を刺し見る。
「なんだ?らしくもなく牙を立てているな?」
「いえ、滅相も」
「“あれ”の最も近くにいながら、それに気付きもせず外敵に抜け駆けられ、おめおめと奪われた不肖の愚弟に懲罰の一つでもくれてやりたいが、それは後だ。状況は危急を告げている。その意味でお前は、央華に頭の一つでも下げるべきかもしれないな」
「申し開きも御座いません。兄上様方、本家に与えた不利益挽回の為にも、仔細をお聞かせ願えましたら幸いです」
「小賢しく伏せているだけで、芸を身に付けたつもりになっている所が気に入らんが、ふん、まあいい。お前も数の足しになる事は、私も理解している。その気があるなら此度の任の、余興役の一つとして加名してやってもいい」
「丁度、英雄的功業も上げた所だ」、
それは世界大会優勝メンバーの一人であった事を意味しているが、決して彼を誉めているのではない。
「このまま死んでもルカイオス家としての体面を守れる、その最低限には達している」、
掘り下げれば、
「ニークトをわざわざ死から遠ざける理由が無くなった」、ということ。
もともと犬死にされると不都合だったからこそ、何かしらの大戦果を上げさせるまで、生かし続けなければならない、という状態だったのだ。
面目が立つくらいの成功が果たされたのだから、もうそれについての心配はしなくていい。
むしろ、これから生き恥を上塗りされぬよう、投資継続を強いられるより、すぐに居なくなってくれた方が、実利の面ではプラスである。
その前提があった上での、参陣意志の確認。
「お間の事は助けないし、何なら死んで欲しいとまで思っているが、今回の国際的危機への介入に、首を突っ込むつもりはあるか?」、と、メナロはこう問うているのだ。
「ご同行をお許し頂ければ幸甚の至りで御座います」
そしてニークトは「覚悟の上」と、迷いを見せず言い断った。
「遠吠えは立派だな。聞き惚れそうだ。楽団には向いている」
メナロはそれをただ受け止め、元からどちらでも良かった故に、四の五の訊ねず流した。
「『ヴォー・ブルフと迷宮の主』、我ら輝けるルカイオス家に伝わる英雄譚。それはある至宝の守り手が地上に顕現し、大いなる災いを齎し、楽園を追われた狼王の末裔、勇者にして君主たるヴォー・ブルフが命と引き換えにそれを平定、宝は人の手の中に納まる。そこまでを描いた物語だ」
ルカイオス家外部の人間に聞かせるかのような、今更な基礎的注釈が入ったが、恐らくは例の如くの嫌味だろうと、ニークトは黙って頷いた。
「これは我らルカイオス家による、永級逸失平定の歴史である。そして少なくとも、我が国に現存する最古の、永級ダンジョン観察記録でもある」
物語、神話、文化的意味と同時に、科学、魔学、史学的意義も持つ。
「この物語は、民間において人口に広く膾炙している。が、原本とは異なるバージョンが数多く存在する。勇者が戦うのは、時に巨人であり、時に蛇であり、時に大樹であり、あらゆる方法で刺し違え、決着をつけている」
「これについて、お前はどう見る?」、
アフタヌーンティーセットが、台車に乗って運ばれて来て、燕尾服の初老の男が手慣れた所作で紅茶を注ぐ。
「我らが祖であるヴォー・ブルフ、それは如何なる敵であっても打倒する、という意味であるかと」
「そう、それが模範的、生徒にとって100点の回答だ」
「だが教師が、教える側の最高権威の立場が、王に問われてそう口にすれば、無惨な落第答案となる」、
そこでメナロはカップを取り、暫し香りを鼻孔で遊ばせる。
相手の心情を慮さず、自分の拍と節とで語る、それを徹底して見せる。
「正しくは、こうだ」
伏せられていた瞼が開き、その下で青く染まるニークトの像。
「我々は下々に流布させた筋書きに、何の手も加えてはいない」
「それは………」
どのような意味か?
手を加えていない、
丸映し、
そこにパターンが生まれている。
写本に書かれているものは——
「ヴォー・ブルフの伝説は、変化する?」
「正確には、その記述が」
なればこそ、彼らは包み隠さず、その英雄譚を語り継がせた。
「我々が保有する古写本、あれは“事実に即した記録”という顔を持つ。それを元にした語り聞かせも、同様の詳述となる。一方で、そこから更に写し伝えられ、聞く者の中で再構成された上で語られる筋書、それは人々の間で独自の物語となり、人の特色によって描かれた伝承という絵画となり、“事実”から独立する」
「古写本の内容が……、“ある歴史に紐づいた記録”が書き換わってしまっても、人々が紡いだ“自律した英雄譚”は、その形のまま残る?」
「食肉目にしてはお利口が過ぎるな。まさにそれこそが我々の狙いだ」
例えば、
仮に、
万が、
億が一、
永級ダンジョンの姿が、その過去ごと変わる事があったとして、
民間に残った伝承と、その拡散時期を特定していけば、
変化の軌跡を間接的に調査出来る。
古写本の内容を定期的に確認し、これまで全国的に主流ではなかった伝承に書き換わっていれば、
それ即ち、「永級第8号」が、時間を遡りその最初から、完全に変貌したという事。
「新たな伝承が枝分かれするのでなく、これまで広く語られていない筈のパターンが、何故か基点で発生する。鶏が数を殖やしていた筈が、最初の一匹の遺骸を調べたらツバメだった、という矛盾。それが起こる時、我々はダンジョンの改変が……」
そこでメナロの眉根に、上等なシーツに浮かぶような、控えめな皺が寄った。
「物分かりが良過ぎやしないか?」
「いえ…、その……、元々、突飛ではあれど、発想自体はあった話です。ただ、事が壮大且つ反直感的であり、驚くほどの実感が追い着いていない事もあり……」
「………」
ジロジロと、上から下まで弟を値踏みしていたが、やがて次兄は興味の色を顔から抜いた。
「まあいい。ここで重要なのは、我々はダンジョンが記憶や記録を巻き込み変化している、という仮説を代々検証して来た、という事だ。そしてこの仮説は、別の記録と照らし合わせる事で、その信憑性を深めていった」
「新型illの発見時期、ですか」
「世界に記録が残っている内、一部のillの目撃開始時期、及びその窟法の内容、モンスターの特性等、これが永級8号の変化時期とその詳細にぴったり当て嵌まる、という見方が出来てしまった」
英国王室を中心とした上級貴族達が、illの正体を永級ダンジョンの化身と仮定するには、それで充分だった。
「実際に去年、私はその“書き換え”現象に遭遇した。それが“そう”だと判明したのは後からになるがな」
公式記録において、宝を元の場所に戻さんと怒り、勇者ヴォー・ブルフと刺し違えたのは、岩のような皮膚を持ち、血の河の如き火を噴くドラゴン。
「“爬い廃”……」
「まさにその有り様そのもの。そのような伝承は、これまで市井の、王室及びルカイオス本家から離れた郊外において、有力な形では確認されていなかった。時を同じくし、新型illの発生報告も上がって来た」
“臥龍”。
ニークトが出遭い、彼の友が共闘したという、女の姿をした炎龍。
「恐らく永級保有国のほとんどが、それぞれ何かしらの方法で、同じような結論に至っている。切り替えの鈍い石頭救世教会であろうと、今時まるで黙殺される論ではなかろう」
「央華もまた、その一つ」
「つまり極東圏の連中は、南洋の永級閉窟、それがillの死であるという仮説を、ほぼ確実に立てられる土壌にある。そして更に重ねる事に、御涙誘いがお得意なお前の“お友達”が、非実在モンスター“可惜夜”を利用して、それを成したという未確定情報が、クリスティアを中心として広がってしまった」
特異中の特異、それと触れ合った少年が、illらしき異常現象と、戦闘をした形跡がある。
そしてその後、永級が一つ、地図から消えた。
「以上の事から、“可惜夜”の力を使えば、永級を潰しillを恒久的に滅ぼせる、という未確定情報が生まれ、仮にも大国である央華がそれに全力で食い付き、遂には世界各国の諜報機関に向けて、『手に入れた』と大々的に喧伝した」
そしてその狙いは、他国との連帯などでなく、人ならざる物達を飼い馴らすこと。
メナロはそう仮説を立てている。
「現在活動状態にあるillが全て終結するシナリオも有り得る。近代の感覚を引き摺って、拡大を目指す央華と彼らが結びつけば、また大きな戦争が起こる事も見越すべきだ。
今度は央華対全世界かもしれない。そしてそれだけの戦力差があっても、痛み分けに持っていけるやもしれないと、そう思わせるだけの底知れ無さを、illモンスター達は持っている」
それを止めるのは、人間の中でも最も化け物に慣れた者達。
格上戦を得意とする、人類最強戦力。
それに付随する、極秘事項を守れる口の堅い仕事人達。
「チャンピオン中心少数部隊による“可惜夜”争奪戦……、……!!兄上、よもや!」
「当然我々も、全力で事に当たる。話は我々英国にとっても、全く他人事では有り得ないのだから」
大きな二枚扉が開き、顔を鉄の仮面で隠した巨体に押され、車椅子が入室した。
「そちらで用意出来る兵があるなら、期日までに取り揃えておけ」
「持たざるお前に、持てる兵があるのなら、な」、
メナロはそこで弟を相手にするのを止め、
その場で立ち上がり新たな来客に傅いた。
ニークトもそれに倣い、最大の敬礼で恭順を示す。
実に十年以上を跨いだ、三兄弟の対面であった。




