474.世界規模マーケティング part1
「「招待状、かと」」
緊急招集された、神聖ローマ市国枢央教会教王庁枢機卿団会議。
大気まで潔白にするかのような、目に痛いほどの清さ。精緻かつダイナミックな彫刻が柱に施され、史上に名を残す様々な宗教画が壁に描かれ、下界と繋がりが断たれたその神秘の地下堂にて、二人の男女に降りた天使の声が木霊した。
「招待状?」
「誰に対して、何処へ招くと?」
円形に並び、ざわざわと波風を立てる参加者達を余所に、中央へと四面立体モニターが運び込まれ、そこに地球地図が投影される。
「「問題となる央華未確認兵器が、最後に観測されたのが、この地点です」」
球面のほどんどを覆う領域、その中でも特に広い、極東と南北聖大陸の間を隔てる海、太蔽洋。
島国丹本から東に行った先、青色一色の中に、赤い点が立てられる。
「位置情報をそこで失ったか」
「大回りして央華へ蜻蛉返り、というルートだろう。追手を振り切るという点で見れば、分からなくもない航路だ」
「「いいえ、そうではありません」」
彼らは思い違いをしている。
これは、そこで反応が途切れた、という意味ではないのだ。
「「我々は、いいえ、世界のどこであっても、この飛行兵器が丹本上空、明胤学園での襲撃者回収を遂行するまで、これを捉えられはしませんでした。そして、そのまま領空を出た時点で、一度完全にロストしています」」
央華の技術なのか、どこかから買い上げた、はたまた盗んだ秘術なのか。
いずれにせよ、その偽装効果はかなりの高水準で完成しており、厳なる警戒を張っているわけでもなかった諸国は、それを掴み漏らした形となっている。
「ですが、それではこの、海上における観測は、どういった?」
「「そこです。我々が注目すべきであるのは、この瞬間、僅か0.5秒の間、この地点を圏内に見下ろしていたあらゆる監視衛星がこの機影を捉えた、という点なのです」」
また、枝を擦り合う木々のような、さざめく風の音があった。
「「クリスティア、キリル、陽州各国、その他多数、世界中の勢力が、この一瞬だけ、同時にこれを見つけました」」
「それまで一切出さなかった尻尾を、その時だけ、一斉に?」
「「そういう事になります」」
「……『招待状』、か」
誘っている。
ここに来い。
そうすれば“交渉”に応じてやる。
そう言っている。
「地図上には何も見えないが……」
「秘匿された人工島でも存在している、と考えるのが妥当だろう」
「彼の国の隠匿の巧みさは、今回の計略で骨身に沁みた所だからな。有り得ない話ではない」
問題は、宛名が誰か、ということ。
「普通に考えれば、全世界に宛てて、だが……」
「彼の“右眼”が、我々が恐れていた通りのものであっても、遍く全土を敵に回すほどに、大それた戦争を許すだけの力は持たない」
「永級保有国に対しての脅迫というのは?」
「“不可踏域”消失の大役を欲している……いや、労に見合う益がそこにあるか?」
「「様々憶測が出ておりますが、央華が“あれ”を持ち帰らず、このような回りくどいやり方で、けれど広く呼び掛けた、という部分に端緒があります」」
ただ特定の国に、“右眼”に利を見出す者達にコンタクトを取るだけなら、安全な国内に持ち込み、有力な勢力が接触して来るのを待っていれば良かった。
自分達だけで独占したいなら、こんな広報など必要なかった。
何故、央華から離れた上で、危険に飛び込むような立ち回りをしたのか?
彼らが話したがっている相手とは、何者か?
「まさか……」
幾人か、見当がついてしまう。
だが、その解答は、受け容れ難い。
それを認めるなど、あって良いのか、そういう葛藤が言葉を詰まらせる。
けれども、筋は通る。
その理屈が、複雑な道を、一本に纏める。
「“聖聲屡転”聖下!あなたはこう仰せなのか!」
一人が意を決して、正気を疑われかねない、その論の口火を切る。
「彼らはモンスターに、人の世に潜むillに呼び掛けているのだと!」
今度の波は大きく荒かった。
各方向から一斉に、高く立ってから乱突し合う。
「馬鹿馬鹿しい!illが人の皮を被り人の世に紛れるなど、御伽噺でしかありはしない!」
「神学的解釈から言って、illに意志を見出すのは異端の発想ですぞな!」
「ダンジョンは神の御意思である!人の姿、人の言葉で人を惑わすなど、悪魔の所業を自らの使徒に許す筈がない!」
「「しかしながら、悪魔もまた、神の御業の落とし子です」」
森が、凪いだ。
父の全能性を、天使が今一度唱え直す。
「「我らが父の意図に対し、我々は未だ、完全な理解に至れてはいません。『そんな事はない』、果たして本当にそうなのでしょうか?“悪魔”が肉と形を持って実在し、それが人を堕落させるべく暗躍している。我々教会の見えない裏側で。そういった試練が、存在しないと言い切れるでしょうか?」」
illモンスター。
永級と何らかの繋がりがあると考えられ、しかし実証には至っていないダンジョン内異常現象。
ダンジョンの声や人に化けた悪魔として、巨万の富を与える一方、国を裏から滅ぼす、戦争を起こし世を乱すといった悪事を働いていると、かねてより民間伝承の端々に残る知能型モンスターが、彼らillの事ではないかと、囁かれて既に久しい。
その読み解きについては、枢央教会の中でも分派が激しく、一貫した論の確立に至ってはいない。
「「恐らく央華は、illと対話が可能であり、更に人間社会の中に根を伸ばしていると、そう考えた。そして、こう持ち掛けているわけです。お前達を滅ぼせる剣を手に入れた——」」
——我々に従い、ただ恩恵のみを差し出すべし
「「伝承において、悪魔には派閥が存在し、相争う姿が描かれる事もあります。央華が“右眼”を本国に入れなかったのも、恐らくそれが理由です」」
illを殺し、永級ダンジョンを埋め立てる、“可惜夜の右眼”。
それを恵って、悪魔の邪なる大力が、全力の闘争を繰り広げる。
彼らはそれを、既定路線と考えている。
「この場所で、仮に巨大規模の魔法がぶつかり合うような、なにかしらの惨禍があったとしても、その被害が真っ先に襲うのは丹本国」
「その列島が防波堤となり、央華本国に及ぶ頃には、被害は最低限へ減衰される」
「悪魔と契約するデメリットを、売り払う魂を他者から奪って代用し、自らは旨みのみを享受する」
「彼らから見て、悪魔がどこに潜んでいるかは分からない。しかし、人類種に見つけられぬよう、いずれかの国に深く入り込み、そのシステムに巣食っていることは必定」
「故に、主要な情報網全てに、己の居場所を晒した、という事か」
「永級に意志があると仮定した場合、“右眼”が制御不能な人間の手にある現状は、容認できない」
「必ずや向こうから、やって来るということ」
そして彼ら救世主教会は、それを止めなければならない。
ところが、事は市国の遥か東、離れに離れた海の上。
救世教勢力下の国に戦力を出させるとして、それなり以上の大義名分が無ければ、宗教の暴走と見られ国際社会の緊張を煽り立てる。
他勢力も同様の事をすれば、主要諸国の大艦隊が一同に介し、今にも抜剣発砲しそうに気を尖らせ、牽制し合って身動きが取れなくなる。
どころか「動けない」だけならまだいい方で、暴発、着弾なんて事が起こった暁には、第三次大戦の火種になる憂き目すら見える。
そしてもう一つ。
相手が知性を持つillモンスターである、その仮説が正しければ、どれだけ大軍を寄越した所で、実力が一定以下の人員はいないに等しく、犠牲者数が増えるだけ、という事態があり得るのだ。
「「我々は世界に気付かれぬほど静かに、同時に契約が終わってしまうより早く、あの場所に到達し“右眼”を得なければなりません。我らが父の真意を量る事への、飛躍的一歩に結び付くそれを、交渉が絶望的な者に明け渡すなど、あってはなりません」」
少数精鋭。
それも救世主教会が今すぐに用意出来る、最上戦力。
「「以上の理由を加味し、我々“聖聲屡転”麾下“聖別能徒”、及び、東方聖騎士団団長リーゼロッテ・アレクセヴナ・ロマノーリを派遣するのが、現状取り得る最良手である」」
「それが、教王猊下の結論です」、
代弁者は、そう結んだ。
そして世界中で、強力な兵を持つ者達が、似たような事を考える。




