473.ステイルメイト part2
「自分が誰かに良いように覚えて貰えて、誰かがその良い感じの記憶を心の栄養にする。俺の活動はそういう物だって考えてるけど、それは娯楽の中でも、要らないよりだって?」
「そうとも言えるやもしれん。娯楽は既に、世に溢れておるからして」
「それらじゃ刺さらない、あぶれた人が、本当の楽しみを見つけられる可能性が出て来る、としても?」
「適応進化論的見地における、種の多様性の強みじゃな?じゃが生物学の話をするなら、それ以上の害を唱える事も出来る」
「その『害』ってのは?」
「少子化じゃ」
子ども喰らいのコンテンツ。
彼女は敢えて、その強い蔑称を提唱する。
「繋がりがよく見えないんだけど」
「なんじゃったかのう?“推し活”、じゃったか?それら全般に言える話じゃ。乃ち、未成熟な存在を、観客の手で育て『自らの代わりに活躍させる』という文脈に乗った、文化的潮流」
それは、時間を超えて残る特別な存在に、自らの手を入れること。
自分の情報遺伝子を器に注ぎ、それが世界に保存されるよう、立派に作り上げること。
「とどのつまり、情報的“育児”、それこそがあのムーブメントの本質じゃ」
生物の保存欲求、そこから来る子孫の庇護、育成欲求、それを利用したビジネス。
「それが成功し、受け手が満足した場合、生体遺伝子を残すという、肉体的保存欲求も、食われてしまう可能性が生じる」
「それで、子どもを産もうとする意欲が、消されるってことか」
「左様。情報を受け取る肉体的物質的新世代が生まれなければ、有限たる人間は、社会を維持出来ぬ。滅びを待つのみ」
日魅在進に、反論はなかった。
確かに彼が提供している“楽しさ”の一部は、誰かの父性母性が無ければ、成り立たないものと言えるかもしれない。
「だけど、それはプラスの可能性とトレードオフだと思う」
「情報の上でだけで、実体を持たない“子育て”をさせる、そこに利があると?」
「普通の子育てと比べればだけど、“推し活”って言うのは楽だ。少なくとも、子どもを生かす責任自体は、子ども側が担ってくれる」
「ふむ、ある種の陳腐化が発生しておるわけじゃな?じゃがそれは利点たり得ぬぞ?」
「もし生物的な育児が、何度でもトライ可能な、やり得な行為だったらな?」
「………ほーう?」
人間にとって、出産も、育児も、大きなリスクやコストを負う。
取り扱っているのが人間である為、「一回目での失敗を活かし、二回目を成功させたのでオーケー!」、とはならない。
子どもの人生は、本人にとってはただ一つ。
本来的に言うなら、失敗は一度も許されない。
「そのシビア過ぎる、だけど人間の社会を続ける上で避けられない行為を、練習できるとは考えられないか?」
「酷く簡略化された、美味しい所取りの紛い物じゃぞ?」
「簡単で良いんだ。そこが初歩なんだ。責任重大で必要性が山盛りで、なのにやたらめったら苦しくて難しいから、だから子どもを作らなくなるんだとしたら、『その困難の中にもある楽しい事』とか、『自分の力で人を良い方に変えられる』とか、そういうのを言葉を超えて“実感”できる、その機会の意味が大きくなる」
「取っ掛かりとして、存在するべきじゃと?」
「ゲームの体験版とか、映画の予告編とか、数学の理論を理解する為に、変数に1を入れてシンプルに考えたりだとか、そういうのと同じってこと」
それが重要な行為だからこそ、チュートリアル無しでやるのは心細い。
子どもを作る意欲を失わせるかもしれないが、逆に背を押すきっかけとなるかもしれない。
「それに、“推し活”は美味しい所だけじゃない。どこかで解釈違いみたいな事が、自分が見たい事と、本人達がやりたい事、その間に折り合いをつける、みたいな時が、よほど運が良くなければ、必ず訪れる」
人間は、種でなく“自分”を保存しようとしている。
だからほとんどの親が、我が子を自分の延長、時間軸方向への拡張パーツ、思い通りに操れる手足だと思っている。
自分が叶えられなかった夢を、子どもに無理に託すようなグロテスクさを、誰だって大なり小なり抱えている。
「子ども」というのは“自分”を残す為、作った道具であった筈だから。
「“推し”の行動を縛るっていう厄介心理の先に、子どもの進路を過度に強制したり、二言目には殴って怒ったりするっていう悲劇がある。自分の子だから、操り人形なんだ、っていう無意識がある。
だけど、“推し”から拒まれたり、或いはそれに振り回された“推し”が上手く行かなくなったり、そういう色々を経て、気付くタイミングがどこかで来る。界隈のマナーと向き合う日が」
「教訓、か。我が子を喰らう強迫観念を自覚させ、懲りさせ、娘息子達と人格的に切り離す、その儀式を先に済ませておくわけじゃ」
「お前が、“推し活”が子どもを減らす“可能性”の話をするなら、俺は、“推し活”が子どもを増やしたり、既に生まれた子への親からの当たりを和らげたりする“可能性”を提示する。他の全てと同じように、どっちが出るか、どっちにも関係無かったかは、サイコロを振るまで分からない。振った後も分からないかもしれない」
だが、無駄ではない。
害ばかりでもない。
それは確かに、人を支え、人に必要とされる、社会の歯車となる。
重い腰を上げさせる、一助になり得る潜在価値を持つ。
バランスが問われる事はあっても、存在そのものが抹消されるべき、そう主張する根拠は成立しない。
「ふむ、中毒性物質で身を持ち崩されるよりは、幾分か良し、かのう……?」
「後はホラ、核家族化とか、隣の人と疎遠とか、連帯感みたいなのを感じにくくなってく風潮の中で、同じコミュニティに属してるっていう感覚を与える場所って、結構貴重なんじゃないかな?
お前が言う『個人主義』に陥らない為にも、『自分は人の繋がりの中にいる』とか、『自分と子どもは別々』とか、そういうのを思い出させる何かが要るんじゃないか?ほら、“エンターテインメント”って、『迎え入れる』っていうのが語源だって言うし」
“靏玉”はそれを聞いて、目蓋の開き方を真円に近付ける。
「オヌシ、意外と物を考えておるのじゃな?」
「失礼過ぎる…!ド不安定オブ不安定な進路を選んだ身だし、自分のやってる事の存在意義とか、普通考えるだろ。誰でもない、俺自身の話なんだし」
「普通……そうじゃのう……」
女は、何故か嬉しそうに酒杯を呷った。
「自らの事を、自らの頭で考える。それが普通であれば、良いのじゃがのう」
彼女はテーブルを回し、日魅在進の前に一つの皿を運ぶ。
「どうせなら食っていけ」
「何これ、肉まん?」
「小籠包じゃ。それなら見知った味に近い故、抵抗感もそこまであるまい」
少年は半信半疑でそれを手に取り、醤油を付けて恐る恐る口に運んだ。
「あっつ!………うまっ!」
「落ち着いて行儀良く食え小童め」
毒が盛られているという事も特になく、ただ美味しい思いをさせただけ。
急に湧いてきた食欲を満たしつつ、意図が分からない怪しさも感じ、喜色と怪訝の間で顔の肉を波打たせる少年。
彼女はそれを感じ取り、しかし目を細めるばかりで、答えてはやらない。
代わりに、彼女から問い掛けるのだ。
「オヌシがそれ程の理論武装までして、“配信者”に拘泥る一番の理由とは、何じゃ?」
肉汁溢れる挽肉を呑み込んだ彼は、
「自分がやった事で、誰かが幸せを掴むのを、手助け出来たら最高だろ?」
希望に満ちた笑顔で結んだ。
「フゥ…ザッ、け………ッ!!」
気炎で歪む鬼の形相で吠える。
「お、、まあええええ……!!」
交戦の影響で、火事が延焼し始めた寮内。
ケースが割れ、ズタズタになった中身が、火の粉を被って灰と化していく、ドライフラワー。
「おマエラ……ッ!、、、、ふザ、けぇぇぇ、る…な…っ!よ……!」
そこから這い出す、幽鬼や物の怪とでも表現するべき、一匹の怨念。
いつからか降り始めた、バケツを引っ繰り返したような雨の中、水滴に奪われる以上の偏熱を、魂から発していた。
「かえ……せ……!!」
右の眼窩から滂沱の赤涙を流し、
左眼の瞳孔は開く一方で、黒目全体は収縮して見える。
「ガアアアッ!え……ッ!!せぇぇエエよおおお……!!」
首の筋繊維が千切れそうになりながら、空を精一杯に見上げ、
体に刺さった雑多な物品が深まるのに構わず、僅かにでも前へ。
「おれ、のぉぉぉおお……!ダゾ……ッッ!!」
呪詛という名の毒炎を垂れ流し、
空の涙を気化させて、
我が身さえも焼きながら、
「チクショオオオオオ……!クソがああアアアア…っ!!」
友や知った顔の血も混ざった川の中、
呪われし地竜のように、
潰れた蛆虫のように、
「クソ…っ!クッ、そ゛おおお!こロっ、おおおお!ご、み、く、ずぅぅぅっぅ!!」
嗚咽と怨嗟と黒ずんだ赤と胃の内容物、
それらが渾然となったダマを嘔吐し、
夜の闇を吸って黒く澱んだ水溜まりに混ぜ、
痙攣するような足掻きで攪拌。
「ゴミィィィ……!!ゴミク、ソぉおおおっ!クそカスゥゥゥゥ……ッッッ!!」
残った眼球の光彩に、土砂降りが刺さる事も構わず、
肩が外れる程、強く手を伸ばす。
「ごぉぉロ゛ス゛ゥゥゥゥぅぅぅ!!ぜっ!だい!!ぶっ!ごぉぉぉろォォオオオっ!!」
舞い落ちていた、黄色い花弁。
指が触れようとした先で、それは塵となり風に散った。
「クソァァァァァァァァァァ!!お゛お゛お゛お゛ぉぉぉぉアアアアアアア!!」
彼はそこで目を覚ました、
白い壁、白い天井。
かつて彼女と出逢った後、初めて目に飛び込んだ現実と同じ。
夢、だったのか?
彼は強くなってなどおらず、
“可惜夜”など、カンナなど存在せず、
全て深級から生き延びた彼が、都合良く描いた夢想の画なのか?
彼は視界の塞がった右半分に気付く。
手で触ると、そこに何かが貼られ、塞がれている。
部屋の側面にあった横長い長方形の鏡を向いて、
彼は邪魔なそれを取り払って、
目蓋の下に指を入れた。
命よりも大切だった一個は、
間違いなく忽然と失われていた。




