469.捕まえて、離される
丁都の郊外に建てられた、2階建て一軒家。
6月27日、金曜日の深夜、電灯も点いていないその廊下で、黒で固めた影が動く。
それは複数いる。
音も無く、低い姿勢のまま早足で駆け進む。
先頭の一つが止まり、手を横に伸ばして後続を止めた。
魔力反応を探知したのだ。
五本の指で天井を差し、「戦闘態勢移行」の命令を下す。
敵に襲撃が察知されていると判断。
それぞれが腰から特殊警棒型魔具を抜き、展開。
反応はリビング。
そっとノブを回し、開ける。
やはり暗闇。
どこかに潜んでいるのか?
魔力探知デバイスでは、大まかな範囲しか分からない。
反応はこの部屋中に散らばっており、稀薄。
恐らく事前に知らされていた、群体型の眷属がどこかに潜んでおり——
「会敵!」
一人が叫んで天井から滲み落ちて来たシナバー色の小人を叩き落とす!
全員が外を向いた円陣を組んで死角を補い合う!
頭の上から足の下から雪だるま体型の眷属が滲み出る!
液体に似た状態で木造部に浸透し、地雷のように潜んでいたか!
大波のようにワラワラと彼らを囲い襲うそれらを、右手の警棒と、左前腕に取り付けられた耐衝撃及び魔法効果妨害機能付き盾型シールドで弾き壊していく!
「7時の方向!」
「N!簡易詠唱許可!火遊びの時間だ!」
「3時からも来ます!」
「足裏からもです!」
「下のは踏み潰せ!防御シールドが削られるのは割り切れ!」
「簡易詠唱許可了解!“赤鬼”!」
躑躅色の浮遊する火球が彼らのを更に外側を一周!
小人達に引火!
揮発したガソリンが満ちていたかのような急速火災!
窓ガラス等が破砕する高重音!
小人共はそれぞれ一個一個が焼夷弾のように変化するも、侵入者達に手を届かせる前に爆散してしまう!
炎の熱自体は、彼らの装備に搭載されたシールドによって、ある程度無効化されている!
「こちらスカウトワン!“鷹は飛び立った”!繰り返す!こちらスカウトワン!鷹は——」
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車庫に設けられた地下室、そこから掘られた秘密の抜け穴。
こういう改造を出来るように、“彼ら”はこの周囲の土地を購入した。
火災の被害が一般市民を襲う事も、まずないだろう。
故に彼はさして心配せず、少し離れた所にある別の民家、その庭にある水道栓を押し上げ、中から這い出す。
「余裕はあと何分——」
白。
半径ほんの1mに満たない白昼。
サーチライト。
その中に宇宙飛行士めいた防護服の男。
「ゼロだ。これ以上のアディショナルタイムはナシ」
彼は声のする方に顔を向け、金縁に囲われた青い鬣をバイザーに反射させる。
詠唱の為に組まれようとしていた腕と指がビクリと震え止まる。
「拘束!」
獅子を背負った男の声に従い、四方から繊維が射出される。
それは防護服の上から強く巻き付いて強制的に「気をつけ」の姿勢を取らせ、逃げようと出した足も押え込んで転倒させる。
暴徒鎮圧用ボララップガン。
「ホラ確保!」
「確保ー!」
黒い装備の数人がそこに飛び掛かり、防護服の頭部のロックを解除、開いた隙間から首輪を装着。
これで彼は魔力のコントロール、貯蓄が出来なくなり、当然の事として魔法を使えなくなった。
「午前2時11分、容疑者確保!」
「これ以上深夜労働を延ばされて堪るかってんだ。ゼロだよ。絶対にゼロ分。明日早起きする俺の身にもなれ」
獅子を引っ込めた男は、そう言ってヘルムを脱ぎ捨てる。
「ったく、まだディープフェイクの件が解決してねえってのに。最近仕事が増え過ぎだ!しかも全部があのボウズ関係と来てやがる!お宅の教育はどうなってんです!?」
「ご迷惑をお掛けしますが、これは我々教員間のトラブルであり、当該生徒には何らの責も御座いません。そちら、お間違えの無いよう」
「あー!あー!わーってますって!お宅に嫌味を言いたかっただけです!」
不平ばかりの男の横で、虹彩をリングライトのように光らせる老女。
その色は波長の長い方から短い方に、そして短い方から長い方にと、周期的に変化している。
「なる、ほど……!」
取り押さえられた防護服の男は、その女を見て事態を把握した。
「あなたが、出て来るなら……、逃げられる、わけもありませんね……!ええ、八志先生……!」
八志兼。
動きが早いとは思っていたが、元機動隊員である彼女の伝手を使って、警察当局の尻を叩いたのか。
広域情報収集及び短期的予測演算能力を魔法として持つ彼女なら、彼がここから出て来る事も見通せる。
「白取先生。あなたに幾つかの容疑が掛かっています。中でも我が国の魔法関連施設の内部に第三者、第三国の影響を誘致した、特異窟関係機密漏洩罪は重大です」
「はて……、身に覚えのない話ですね……、ええ、事実無根です……」
茶番だ。
ここに魔装機動隊まで来ている時点で、言い逃れが不可能なのは彼にも分かっている事。
「あなたが顧問をしている新跡開拓部の部費は、昨年度になって大きく跳ね上がっています。それも、去年の10月から、急速に」
「増えた分は、主に……、実験室を補修する、資材搬入です……」
「それ以前、数年前より一部資材について、安価で設立から日が浅い別企業へ転注が為されている。今回問題になっている予算増のうち、ほとんどがその企業との取引増加によるものです」
「前年度の予算使用額に、出来るだけ近づけようと…、比較的安い業者を、利用しただけですよ……」
「そこで我々は、念の為に内閣特務調査室を使ってあなた方を調べさせて頂きました」
「で、かつてそこは三都葉関連企業が作った、営業実体の無いペーパーカンパニーで、今は央華の企業から流れてる金を入れて、ロンダリングしてるらしいって事が分かったわけだ」
「国家保有の国内特異窟関連事業に、正式な手順を通さず他国を関与させてはなりません。明胤学園とは最たる例です」
「なんと……、央華が関わっているとは、存じ上げませんでした……」
「面倒くせえなこのモコモコオヤジ!」
「あの企業は本来審査で弾かれるべき。それが我が学園と繋がってしまったのは、恐らく三都葉からの工作であると考えざるを得ません」
「あなたは…、こう言っている……」
「これは央華と組んだ三都葉による、国家反逆に等しい不正行為である」、と。
「あなたはその企業に、近々大々的な発注を予定していた。潜り込ませた獅子身中の虫の手引きで——」
——何を、運び込むつもりでしたか?
白取は答えない。
無感情なバイザー部が、彼女の魔法色を映し出すだけ。
「残念です、白取先生。私はあなたを信じたかった」
「あなたは私を疑っていたのでは?ええ、最初から信用などしていなかった」
「信じていましたよ。去年の8月、あそこで敵を殺すという選択を取れなかった、あなたのお人好し加減を、私は教師として信じていました」
八志は目蓋を下ろし、沈痛な面持ちで踵を返した。
刑事は溜息を吐いて、部下に白取を連行させる。
「熱血学園ドラマはそのへんで。いずれにせよ、あとはこっちで聞き出します。こいつを確保した時点で、企業の方に向かわせた検挙班にも命令が」「刑事!宍規刑事!」「なんだよもう!」
彼を呼んだのは、白取が出て来た地下通路を調べていた隊員の一人。
「早急に対処すべきと具申致します!」
「何かあったのかぁ?」
「地下ケーブルです!」
「……んだとお…?」
「地下の通信ケーブルを掘り出して、そこに何かを繋げていました!」
送迎の車輛に向かっていた八志の足が、止まった。
「なん、ですって……?」
「恐らく外部との連絡の為かと!」
「通信妨害にも対策済みってか…!」
振り返る。
鏡のような無表情が、彼女を見ている。
「あなたは収集・演算内容の全てを、余さず意識として出力できるわけではない。ええ、あなたの魔法が拾っても、あなたの自我が見逃してしまうのです。脳内処理の時点で、フィルターに漉し取られ、残渣として除かれてしまう。地下通路の近くにある、ちょっとした穴隙のことなんて」
そして彼女は、彼を捕えた時点で能力を切ってしまうから——
「“深見”……!」
八志は魔法を活性化。
情報を再詳査。
確かに、更なる地下に繋がっている細い隙間がある。
これが洞道まで伸びているのか。
「他班に関係者確保を急がせろ!逃げられたりしたら大目玉だ、シャレにならん!」
「それもそうです。そうですがしかし……!」
「あん?なんだ先生。どうした?」
彼女はこれまでの取引を、最後の大掛かりな搬入の不自然さを減衰する為の、隠れ蓑のようなものだと思っていた。
徐々に徐々に毒に慣らし、自覚症状を薄めさせる、そういう役割を担っていると。
しかしよくよく考えてみれば、明胤学園はそこまで笊ではない。三都葉の力で誤魔化せるのも、多数の中に一滴混入させる事くらいまで。
急にここまで目立つ発注を上げれば、必ず国の目に留まる。理想的に事が運べば、身柄確保のタイミングは、もう少し遅くなったかもしれないが、搬入当日までには決着がつくのは動かせない。同じ結末が、奴らを仕留める。
と言うか、まずこの予算申請に許可が下りない。
何の説明も無しに、ここまでの大量資金投入。使途不明金に近くなるので、今回のように「泳がせる」つもりが無ければ、一度会計担当に止められる。
その後に調査が入るのも、容易に想像が出来ること。
免疫反応を和らげるどころか、逆にアレルギー的な違和感を引き出す結果にしか繋がらず——
「『逆』……、逆、なのか……?」
これがもし、「逆」だったら?
最後の一つこそが囮であり、目を逸らさせる餌だとしたら?
それ以前の搬入資材を、見せかけのやり取りだと思わせ、
大型発注さえ止めればいいと、明胤学園も含めて、国がそこに全力を傾ける、それを誘っているのだとしたら?
その仮定の中で、奴らが狙う本命とは——
「宍規刑事!機動隊をお借りしたい!」
「は?今これからミツバとやり合うってんで猫も杓子も借りたいってくらいだって、そう言ってんですが?」
「最優先です!このままでは!」
彼らが餌に釣られた魚だとして、だのに今こうやって無事ならば、その釣りの狙いは喰らう事ではなく、何かから離す事。
何か。
何処か。
彼らは今、そこを守るために、出陣している。
攻撃側であるが故に、城を半ば空けた状態で留守にしている!
「このままでは学園に、明胤学園に何かが!」
「何を運び込むつもりだったか?」、
ではない。
問うべきは、
「何を運び込んだのか」。
既に出ていた成果について、
彼らは詰問するべきだった。




