465.それ以外、先は無いと思ったんだ part1
この世界では、今こうしている時も、様々な悲劇が起こっている。
それは人の手で作られているけれど、作った者の手で変えられないと言う。
では、彼ら当事者がそれを変えられないなら、余裕のある人間が、手助けをするしか方法はない。
それでは、余裕のある人間とは誰か?
そんな人間はいない。
誰だって持てるリソース全てを使って、明日をしぶとく生きる為に、今日の束の間を楽しんでいる。
どれだけ過剰に思える財だって、風の一つでも吹けば飛び去る。
安心の為に溜め込んで、それでも真の満足などなく、永遠に失う恐怖と暮らす。
本当は、助け合える世の中の方が良いのだ。
貧民を救うのは、テロリストにしない為。
他人の神を認めるのは、自分の正義を否定させない為。
見知らぬ研究にお金を使わせるのは、想像だにしない災いと戦う武器を増やす為。
互いが互いに、それなりの距離を取って線を引いて、一部だけ支え合いつつ過度に操ろうとはしない。そういう尊重のし合いが、各地に同時に存在すれば、地球は平和に丸く収まる。
他者に構い、他者を想う人が多いほど、生死の間の余裕は伸びる。
だけど人は、そんなに強くはなれない。
自分が手に入ったかもしれない何かを、黙って差し出す事が出来ない。
それがある方が、より安心だから。
自分が我慢したら、相手から取られるから。
相互に不安と不信を抱いて、奪って奪われてを繰り返す。
彼ら全員がそれを同時に止めれば、夢を完全無欠で手に入れる事を諦めれば、この世から地獄は消えてなくなる。
しかしそれをするには、人間は弱過ぎる。
そして人間はそれなりに賢いから、相手も弱い事を知っている。
相手がその手を止められない事を、知っている。
圧倒的な暴力に膝を屈した日、彼女はそれを思い知った。
人が人に虐げられる理不尽は、強弱の不均衡から来るものじゃない。
人が全て弱いから。
自分の事以外まで手が回らないほど怠惰だからだ。
保護者からの要求にも、ある程度ノーを言わないと、いつかより大きな面倒を背負い込む。
積み上げられた決まりに背いた、暴れん坊のやり方で解決するのを拒まないと、明日には自分が即席の理屈で叩かれる。
だから、彼女に味方した方が良い。
明日の我が身の為に、今日から行動するべきだ。
だけど、彼らは今、この瞬間に辛くなりそうだから、痛くなりそうだから、
だから手を出そうとしない。
自分がやったとして、他の誰もやってくれないんだから、
起こる変化とは、自分が傷つくだけ。
やる意味がないと確信している。
それらが詰まった底が、無法が日常を侵食するのを、黙って突っ立って見ているのみな、行動をしない“賢人”の群れ。
自分もみんなも弱いんだから、変えられるものなんてないと責任から逃げる。
手段はあった筈なのに、運が悪い、人間が弱いのが悪いと諦める。
そして諦めれば諦めただけ、本当に理想が離れていく。
本当に弱くなっていく。
人間は、強くならないといけない。
その為には、「強く成れる」と示さないといけない。
御伽噺の中だけじゃなく、本物の人間にも、「強い」人が居るのだと、
幾万もの論証にも勝る、一見によって実感させる。
賢者だけが紐解く歴史でなく、愚者すら触れ得る経験として、
「強い人」を見せなければならない。
弱い事を「仕方ない」と、言い訳させない現実を見せるしかない。
その第一号に一番近いのが、日魅在進なのだ。
彼女はそう確信する。
少なくとも、彼が見える周囲一帯、
それだけでも、変える力を持っている。
光を、
星の曜光を余人に浴びせるには、
偽物の眩しさを遠ざける事だ。
炎と共にある不夜の暮らしの横で、真の夜空を仰ぐ事は出来ないのだ。
満ちる大気のレンズの下で、本物の輝きに触れる事は出来ないのだ。
切り離す。
彼の手から一つ残らず、紛い物の救いを、奪い尽くさないといけない。
光を紛れさせる発光物を、不純物を、取り上げなくてはならない。
幸いにも彼は今、折良く彼女以外の全てを失っている。
世界で最も不運な立場に、追い込まれようとしている。
無一文に堕とすなら、ここしかない。
彼女以外の世界全てが、彼に悪感情を向けている、今だけしか。
「あんたの態度、ずっとムカつくのよ!」
彼女は、
「付きまとわれるの迷惑なの!分からない!?空気読んでよ!デリカシー無いの!?」
やり切った。
世界にとって、正しい選択の為に、
自分の手から財宝を捨てる、その決意を貫き通した。
彼はこれから、何も持たずに、人を救うのだ。
彼女だって、些末な痛みの一つや二つ、耐えなければならない。
「些末」、そうだ、ちっぽけなんだ。
地球とか、人類史とかと比べると、小さな悲哀なんて、ここでは邪魔だ。
後は、どうやって誘導するか。
どうすれば、一番綺羅綺羅しく炸裂してくれるのか。
彼に思わせるのだ。
自分にはもう何も無い。
死ぬまでこのまま一人ぼっちだと。
考えるのが楽しくなってきた。
毎日目の端で捉える彼の、胸がきゅうきゅうと捻り締められるような半ベソ顔も、段々と味わい深いものになっていた。
この後に彼が報われると、彼女だけが知っている。
本人すら信じていない救いを、彼女は予期している。
ああやって窒息しそうになって、夢も希望もぐちゃぐちゃに踏み潰されて、今にも消え入ってしまいそうだけど、
そんな彼が、最後には大輪に返り咲く。
ヒーローもののフィクションなんて、勝つのが分かってるんだから、何をそんなに愉しんでいるのだと、彼女はかつて冷めた目で見ていた。
今では謹んで謝罪したい気分だ。
最終的には勝つことが確定している英雄が、負けに負けに負けを重ねているのが、こんなに胸を高鳴らせるとは思わなかった。
底無しの深淵から天を衝く柱耀、必ず訪れるその絶景を予見して、
全身が発熱で蕩けるかとすら思われた。
神秘なんかで誤魔化せない、確たる救世主の煌臨だ。
なんて喜ばしいのだろう。
長い人類史の中で、世界が進む瞬間に立ち会える。
なんという奇跡なのだろう。
彼はその時、どこに居るのが一番良いか。
それまで彼という原石を磨き上げる、身の丈以上の苦難が欲しい。
彼に与えて不足しない「役」とは何か。




