464.「強い人」って、結局なんだろう? part2
思えば、彼女の強さは一度否定されている。
だから、「強さ」の定義を書き換えるべきだったのだ。
彼女はその答えを、その少年に求めた。
世の中に「強い人」は幾らでもいる。
それらを煎じ詰めれば、自分の持っている物を守る頑固さ、或いは敵から奪う為の勇敢さ。
例えば彼の兄だったら、家族や社会の担い手を助け、世の理不尽の解消の為に戦う。
それは何かを得る為の戦い。
どれだけ可能性が低くとも、勝ちさえすれば手に入る。
なら、絶対に勝てない戦いに挑むのは?
それは無謀や蛮勇だ。
だけど、それだって本人達は、「勝てるかもしれない」と思っているのだ。「負ける」事を想像出来ていないのだ。それか、他に手に入る物を思いつけなくて、どうせだったら賭けとこうと、記念受験しているだけだ。
自分の物とか、自分の物になりそうな何かの為に、みんな戦っている。
その意味で、勇者も噛ませ犬も、同じ穴の狢だ。
だから、ここからどうやっても何も手に入らないとなった時、人は全てを投げ出す。
体力やら知力やら精神力やらを削って、何も得られないのじゃ意味がない。
どうせどうやっても自分は擦り減っていく。
だったら、他人も同じように減ればいい。
彼らはそうやって、絶望を爆弾に転化する。
そうなって尚も、他人について考えて、自分にとって嫌な方に進めるなんて、
狂っている。
一番苦しい方法を選んで、自殺するようなもの。
捨てて捨てて、捨てる苦しみを最大に伸ばして、
最期には何も残らないのだから。
だが彼は、それをした。
勝算はゼロだと、少なくとも本人は、心から信じ切っていた。
味方はおらず、勝った所で得られる物は無いと、そう思い込んでいた。
そもそも彼がやっていることは、他人に降った火の粉を、その身を挺して受ける事。
攻撃の概念が無い。
勝ちを捨てている。
でも捨て鉢ではない。
痛いのも苦しいのも恐れている。
抜け出したい。
最後の逃げ先、思考停止に飛び降りたい。
けれども、戦う。
壊すのでなく、守る為に。
全て失って、得られる物が何もなくて、このまま死ぬまで一人ぼっちが続くという、寄る辺ない暗黒。
人類滅亡の果て、砂と地平線ばかりの荒野に残されて、自分の死後に新たな生命が生まれる可能性を考えて、それらの助けにならなければと行動を起こせる人間が、果たして何人居るだろうか?
疑似的とは言え、彼はそれをやった。
やれる側の人間だった。
それは彼が、怖がりだったからかもしれない。
全て失って、失う物が無くなって、でも失う怖さだけはそのままで。
だからそれが他人事でも、何かが喪われる事に、心を痛める。
それを防いで、喪失から守ろうとする。
聖人とは、我欲ではなく世界の為に、その生を使える者の事だと言う。
彼はそれだった。
全てを奪われ、塞がれたその時、
彼は立ち上がれる人間だ。
「正しい」事とは何か考え、自分の感情や、損得以上に、
「幸福の総量を増やす」ことを、目指し続けられる男。
彼女は、彼の強さを感得した。
俗な言い方をすれば、惚れ込んだのだ
問題が片付いた後、彼が彼女を守ると誓ってくれた事が、本当に嬉しかった。
類稀なる一人に選ばれ、守られる。
彼の在り方が人に伝播し、やがて少しだけでも、“人間”を強くする。
「こういう生き方がある」と、その背で示す事で、次代の人々を理想郷に一歩、近付けさせる事が出来る。
その革新を、特等席で見ていられるのだ。
こんなに誇らしくて、幸せな事、他にあるだろうか?
彼女は本気でそう思った。
気が逸り過ぎて婚約まで結んだ。
だからあの窟災の後、彼が呪われた病に侵された後も、彼女は彼の味方だった。
たとえ彼と二人きりで生きる事になろうと、それ以外の一切を敵に回そうと、その運命を受け入れるつもりだった。
不治の病の一つや二つ、彼の内に眠る本物に対して、何らの翳りも与えないと、そう信じていた。
周囲に何と言われようと、彼は強いのだと胸を張れた。
張れたのだ。
その筈だったのだ。
だが、
だけど彼は、
いつまで経っても弱いままだった。
彼女は彼の本質を引き出すよう、精一杯の努力をした。
いじめられるよう手を回して、ストレスを掛けてみたり、
彼女がそれに巻き込まれそうだと演じて見せて、危機感を煽ったり、
仲良しだった彼女の家族と険悪にさせ、このままではいけないと責任感を芽生えさせてみたり。
追い詰めて、追い込んで、その成果は無きにしも非ず。
彼は、彼なりに奮起して、それなりの強さを見せてくれた。
「強い人」くらいには成長した。
でも違う。
そうじゃない。
それじゃ役不足だ。
彼が持っている聖性は、こんなものじゃなかった。
こんな通り一遍の鋭い爪じゃなくて、
心の臓から耿々《こうこう》と照らし溢れるような、
直に触れれば目を潰すくらいの白光。
どうしてそんなに煤けて、くすんでしまっているのか。
どうしたら彼に、本当の自分を思い出させる事が出来るのか。
それともまだ、その時ではないのだろうか?
いつか、相応しい場面が来るのだろうか?
本当に、そんな希望的観測を当てにするのか?
もし今、何か明確な理由があって、彼がその輝きを、見失ってしまっているなら、
大切な彼を導けるのは、この世で唯一それがある事を知っている、彼女だけ。
その責務を、放棄していいのか?
真に価値ある物を、彼女の怠慢で、彼に捨てさせていいのだろうか?
何かが異なっている。
何かが間違っている。
彼女に出来る事は何か——
——私が出来る事?
はたと思い出す。
彼の素晴らしさは、何を得る為でもなく、進み続ける事だ。
では、今は?
彼は何の為に抗っている?
——私だ
彼女を、
彼女との絆を守る為に、戦っている。
「守る為の戦い」になってしまっている。
彼女は愕然とした。
この世で最も示されるべき、真の強さ。
人類をより良くする、この世を少しはマシに出来る、
人倫道徳のパラダイムシフト、それを引き起こす先触れ最前線。
それを詰まらせ塞いでいるのは、
光を握り潰し、殺してしまったのは、
十叶叶十、
彼女自身だった。




