461.ご対面
6月22日、日曜日。
丁都にあるとある喫茶店での出来事。
その日は朝からよく晴れた一日で、午後には麗らかな日差しが、店内の時間をウトウトと緩めていた。
ストレートティーのように色付く窓際の席は、丁度一つしか使われておらず、静かに黄昏れるには格好の日和、絶好の時間。
けれどその長閑さを独占する少女は、冷めた空気を纏いながら、手元の端末に目を落としていた。
日常が垣間見せる美しさにニコリともせず、日向を浴びる原始的な心地良さに浸るでもなく、不満そうな顔のままで角砂糖を数個掴んで、テーブルの上のコーヒーに混ぜ溶かした。
高く弾んだ鈴の音が鳴る。
店に新たな来客。仮初めの貸し切りに終わりを告げる鐘。
「待ち合わせです」
そう言って板の上を迷いなく歩く足音。
窓辺の少女は、それに注意を逸らさなかった。
彼女はここに、煮詰まりの解消に繋がるかもしれないと、気分転換をしに来たのだ。
見知らぬお友達グループに、抱く興味なんて脳の無駄遣い。
と、そこまで思考を進めて、わざわざここまで来ているのに、ろくすっぽ休めていないと気付くき、端末の電源を落とす。
一旦何も考えず、頭を眠らせる事も必要だろう。
未だスプーン越しにゴリゴリと、生き残りを伝えて来る糖分。
それが形を失うのを待たず、ミルクで鈍った褐色を、その熱さを喉元に叩きつける。
——ああ、しまった。
よくよく考えたら、カフェインを入れたら却って目が冴えてしまう。
考慮が過ちに及ぶのが遅く、結局は左脳が勝手に、論理と分析を組み立て始める。
議題は何でもいい。
活力を持て余した幼児のように、動いて発散したいだけ。
例えば、「待ち合わせ」。
さっき聞こえた言葉。
だけど少し変な気もする。
後からどんな人間が、何人来るとか、そういう事まで伝えないだろうか?
店側も、聞いて確かめないのだろうか?
それよりまず、最初に店主と目が合って、第一声がそれなのだろうか?
どういった慮りの末に、そう言おうという結論になったのだろうか?
問題の人物はまだ歩いていた。
彼女の頭蓋の中が忙しなさ過ぎて、他より時間を広く感じていたのだろう。
さっき声を聞いてから、10秒も経っていないらしい。
足音がやっと止まった。
近い。
顔を上げる。
グレーのブレザー。
一瞬同じ高校の生徒かと思い、だが細部をよく見れば、似ているだけの別物だと分かる。
知らない制服だ。
更に視軸を上へ。
綺麗な少女だった。
どこか青っぽく見える、黒髪ショートボブ。
二重瞼からキョロリと覗く黒目以外、顔のパーツが小さく控えめ。
春の朝7時めいた快活さを燈しながら、その身体で作られた影に夜が棲むような、陰と陽の両極端的調和体。
天真爛漫で貞淑魅惑。
花も嫉み憤して枯れる乙女は、人好きのする笑顔を浮かべ、親愛を装いながら向かいの席に座った。
ここで放つべき言葉は、「誰ですかあなた?」、又は、「何のつもりですか?」、あたりか。
実際の彼女は、
「どうしてここに?」
押し殺した忍び声で、そう訊いた。
その少女が誰なのかは知っていたし、何しに来たのかも予想がついていた。
ただ、今彼女がこの店に居るのを、どうやって嗅ぎ付けて来たのかが疑問だった。
「調べて貰ったんです」
鶯舌はシンプルに振るわれた。
「調べる?」
「探偵さんに。と言っても、人探しは助手の人の方が、得意らしいんですけど」
「平たく言えば、張り込まれてたって事ね」
「そういう言い方も出来ます」
店主がやって来て、注文を訊ねる。
少女はシンプルなアイスティーを頼んだ。
「じゃあ次。どうして私を?」
「大声で人の悪口言える人って、止まる所を知らないんですよ」
要領を得ない答え。
だが続きがある。
彼女は黙して促した。
「ああいう人って、正しいって思ったら、どんなルールにもマナーにも、法律にだって唾を吐くんです。学術的な探究心とか、国民としての知る権利とか、そういう物をごちゃごちゃにして、好奇心は全部満たされるべきなんだって、そう信じているんです」
「そうね。そうでしょうとも」
そうだから、彼女の指揮に、簡単に乗ったのだ。
「だから、ヘンだなって」
「ヘン?確かにあれで、人を正しい方に導けると、本気で信じているのは可笑しいけれど」
「そうじゃなくって——」
——どうして私の顔が出回らないんだろう?って
成程、そのルートか。
確かに、そこからなら辿れるのだ。
「少なくとも、最初に私とススム君を撮った人が居て、その人は顔を隠す前の画像を持ってるんです。ネットにそのまま上げたんだから、フリーの記者とかでもなくて、単なる通りすがりの野次馬さん。だったら、これだけの注目の中、一番求められている私のプロフィールを、公開せずに居られるのかな?って、それが不思議になったんです」
倫理も法も意に介さない、猪の如き行動派。
そんな人間が、嫌がらせか世直しかは分からないが、一人の人間に打撃を与えるべく爆弾を落とした。
その威力は、最大化したい筈だ。
例えば写真の中、標的と共に歩く少女。
彼女の身元を特定し出回らせれば、大きな強打になる。
特に、明胤学園の制服姿が出回っている方は、“くれぷすきゅ~るチャンネル”その人だと目されている。是が非でも情報を欲しがる者だって居て、そういう人間を見つけて元画像を売り払えば、それだけで自らはリスクなく放火出来る。
「真実を暴く」事に繋がるから、知りたがり達の道義に照らし合わせてみても、公開し得でしかない筈なのだ。
だが、少女達の匿名性は最後まで守られた。
それに関してのみ、手段が選ばれた。
手ぬるいのだ、不自然なくらい。
運ばれてきた飲み物を、少女は礼を告げながら迎え、ミルクを流し入れ琥珀を濁らせる。
「そう思うと、最初に大量に出回ったディープフェイク画像が、『デート写真』についてばかりだったのも、ちょっと怪しく思えちゃったんです。まるでダミーを沢山撒いて、本物の写真に撮られた二人を守ろうとしてるみたいで」
「群集心理なんて、何をするか分からない相手なんだから、そういう事もあるんじゃない?」
「そうかもしれません。でもそうすると、あなたとススム君が再会したあの日、ピンポイントで見張ってた人が居たのも、そもそもあの日にあなたが、待ち伏せてたかのようなタイミングでススム君と出会ったのも、全部疑えてしまうんです」
「偶々、あの辺りに用事があったのよ」
「そうだとしても、普通の人はダンジョンの近くに寄り付きません。マスコミの人だって、あそこでの出待ちを断念するのが殆どなんですから」
モンスターが中から湧き出て、ディーパーという人外が集って、一般人はその場所を意識的に避ける。
周囲にあるのは、ダンジョン関連企業か、或いは潜行者を顧客と見込んだ飲食店など。
ただの女子高生が、偶然歩いているような道ではない。
「その時、仮説としてなんですけど、思ったんです。もし今回のことを仕掛けたのが、写真に写ってる女の子だったら、結構簡単に説明がつくなって」
明胤の少女の身元へ注目を集めれば、自らにも累が及ぶ可能性がある。
それを避けるため、大火に乗じて「誰が写っているのか問題」を晦ました。
「想像力が逞しいのね」
「そうですね。私もそう思って、知り合いの探偵さんに相談したんです」
まず知り合いに「探偵」なんて人種がいる事自体、彼女にとっては想定の外だ。
明胤に通うお嬢様だと、そういう事もあるのかもしれないが。
「それで、あなたの事を調べて貰いました」
「何か面白いものはあった?」
「それなりに」
あの男を雇った所を、誰かに見られていたか。
それか、アドレスからあのネットカフェまで辿り、投稿時間と監視カメラの映像でも照らし合わせたのか。
心当たりは色々ある。
これは刑事的な取り調べではないので、その少女を確信させる材料さえあれば充分なのだ。
重要なのは、怪しむに足るだけの根拠が見つかった事。
だから少女は「探偵」とやらに、彼女を見張らせたのだ。
よく似た市販制服まで用意して。
「もしかして、今起こってるこの流れも、あなたと探偵さんの仕業?」
「どうでしょうか?よく分かりません」
「認めるわけないか。立派な犯罪行為だものね」
さて、実のところ彼女はここまでだった。
雲を掴むような正体不明、そもそも実在するかすら分からない、それがこの炎上の絵図を引いた、彼女の唯一にして最大の武器。
悪意あるたった一個人として特定された時点で、彼女は二度と彼らに逆らえない。
真っ向勝負で、彼女は勝てない。
だから今度は、その少女が要求する番だ。
「十叶叶十さん。ススム君から、手を引いてくれますよね?」
闇色の邪視が交差する。
——あなたとわたし、よく似てる
詠訵三四は思い出していた。
あの日、
あの高級央華料理屋。
「二人きりで話す」と締め出しを食い、気を揉みながら道化と待ちぼうけ。
そんな時、向こうから話し掛けられた。
剽軽な態度から一変、重々しい舌遣いで、
ピエロは詠訵を評したのだ。
——宵から覚めず、酔いを醒まさず、
——それが狂態と知りながら、
——己が嬌態に痴れるばかり
——同じだ
——鏡を見ているようだ
詠訵はあの時に初めて、
そのメイクの下にある本物の口が、
ピクリともその端を吊っていない事に気付いた。




