455.普通ってことは、特別じゃないってこと part2
「コミックやら、丹本のMANGAやらを思い浮かべてみると良い。マスクで顔を隠すヒーローっていうのが、沢山出て来るだろう?」
「うん。カッコイイ」
「人は自分を隠し、自分でない何かになると、遠慮や恥から解放されるのか、社会的地位の鎖を解くのか、とにかく力が湧く。強くなれる」
「ふひゅ、それは分かる気がする」
アルバは動画に映る際、“edy”の名前と厳重な工業用ヘッドセットを被る。
ディーパーとして戦う時も、顔を出したがらない。
そうすると兄以外にも、一方的とは言え口を開ける。
「なら考えてみて欲しいんだけど、僕らと、僕らを見る方と、どっちが強いと思う?」
「そんなの……、……!アフッ!そういうこと!?」
そういう事だ。
スーパースターは、絶対強者どころか、その逆。
何者でもない観客の方が、遥かに安全なのだ。
「逆に言えば、人の前に発信者として立つ者は、その無敵を、まあ実際には完全な無敵状態ではないんだけど、とにかく優位を捨てる事を選んだ人間だ」
ライトの下に出てしまえば、顔や姿を隠しても、声であったり仕草であったり、知識であったり思想であったり、素質であったり素養であったり、自分の何かを切り売るように晒し、それを的にすることが確定する。
顔を持たない、何者でもない、群衆と雑踏に紛れて見咎められない誰か。
その安心領域から、一歩外側に抜け出す。
檀上に立つ者は、一方的強者の側から降りた者である。
「じゃあ何故、そんな人々が生まれるのか?」
それは問い直し。
彼らは答えを、もう持っている。
逸脱した者達とならざるを得ず、
その通りに生きる事を決めた彼らは。
「………他の誰でもない、特別が欲しいから」
「その通りヨシヨシ」
エドウィンはアルバの頭に手を伸ばし、ぴしゃりと払われても気にした素振りなく続ける。
「誰だって優越感を、唯一の特別感を得たい。人間が『自我』なんてお題目を見つけちゃった時点で、集団に埋没するという楽で有利な選択肢が、酷く色褪せてしまうようになった」
だがその場所が、安全なのには変わらない。
踏み出したら死ぬかもしれない。
そうなったら元も子もない。
「彼らが欲しいのは非日常であり、異常だ。だけど異常って危険な物だ。だから大抵は手が出せない。だけどごく稀に」
「フヒュッ、外れる人がいる……!」
安全圏から出られない者達はこう考えた。
あの人を見ていればいい。
「見る」というのは“体験”だ。
異常の中に居る人を見る。
異常を見る。
異常を体験する。
私は特別な体験の中に居る、特別だ。
しかも安全な特等席に居ながら、異常を得ているのだ。
「アー?でもアニキ?」
「どうしたんだい?」
「“普通”、“みんな”、“正常”……そんな物この世に無いよね?」
「そうだな。それぞれの人間が勝手に思ってるまやかしだ」
「そんなのどうやって決めるの?」
「簡単だ。『特別』な物が何か分かれば、《《特別じゃない物が普通になる》》」
「それって………」
循環。
理論の周回。
人は「普通」の中に隠れ、そこから外へ踏み出した「特別」なものを見て、自分も「特別」に預かろうとする。その時彼らは「普通」の中に居る安全を噛み締めるが、その立ち位置は「特別」が現れた事で初めて、「普通」であると決まったのだ。
「普通」も、「特別」も、どちらも人間を生きやすくする為の、脳髄の嘘。
だからこそこの、どちらが先行しても矛盾しそうな、鶏と卵が成立する。
「特別が普通を決めるって言うなら、匿名や大衆の安全、強さは『特別』側が生んでる事になって、つまり普通でありたいと強く願う人も『特別』な物の登場を願うって事になるから………」
「いいなアルバ。頭が温まってきたんじゃないか?走って来たんじゃないか?」
「シッ!うるさい考えてるとこだから……!えっと、人間は安全安心を求めるという生物的希求を持っててだから『特別』が生まれる事を必ず求めるように出来てる?カラーリング豊富な飴玉が幾つもある中で、その中の一個が前に出て、『ハーイ!ワタシは水色と黄色の縞模様!』って言ったら、『水色と黄色の縞模様』じゃないそれ以外が何色をしてようと『普通』になって………、この場合『水色と黄色の飴』がインフルエンサー、それか王様になるから……」
王様?
アルバはその有り様を想思して、言葉の響きと裏腹な悲惨さを覚えてしまう。
「犠牲」、そう、犠牲だ。
安心の為に「特別」にされる誰か。
人柱だ。
「スターに脚光を浴びせる為に、何十、何百、何千、何万もの人間が情熱を注ぎ、一人を照らすパワーの量、数字として処理される。その非対称性は一見すると、一つの巨大な勝者に無数の人間性が吸い上げられていくような、大勢を犠牲にするディストピアの現出のように見える。
だけど最初に犠牲になっていたのは、ステージの上に立った方だ。『自分の変わりにライトを浴びてくれてありがとう』、そう言う大衆から報酬を受け取り、人身御供になるのが仕事。多くの人間の支持や支援でもなければ、やってられない立場なんだ」
「奉仕の矢印は双方向に伸びてるって事……!」
「王様は、空腹の虎にその身を差し出す聖人と同じだ。プラスマイナスの両側面を併せ持つ『特別』という烙印を骨身に刻み付け、大衆に自らを搾取させ、対価として認知や金銭を受け取る。時を超えて『世に残る』為に、現世を群れへの献身に当てる者達」
「ファンが騙されている」と、そのカルチャーを外から見た者達は、軽率にそう嘲笑する。が、神輿の上に座る方が過剰に犠牲になっている場合も、往々にして存在する。
そこにあるのは単なる上下関係ではなく、バランスはケースバイケース。
どちらが取られ過ぎているかは、外野から見ただけでは分からない。
そして形は微妙に違えど、ほぼ全ての人間は、同じ構造の中に居る。
単なる紙切れ石ころの一種を、万能の交換券として流通させ、その多寡で物の価値を測るように、
「特別」な何かを切り離し、自分を「普通」と定義する。
「ヒヒヒヒフヒィッ!そっか!王様への忠誠、インフルエンサーへの入れ込みはそれで理解出来るんだ…!『特別』っていう偶像を、自分達の一部を注ぎ込む容れ物にする行為なんだ!『特別』は存在が記憶や記録に残るから、そうなると世界から認知される物の一部として同化する事になって……!ヒューフ…ッ!ってことはぁ……!」
彼女は語彙袋の中に手を突っ込んで、ガサゴソと触れる形が合う物を探す。
「生体遺伝子を残すだけじゃ個体としては死ぬから満足出来なくなった人間は、フフフヒフ!後の時代に残れる『特別』が限られているなら、それを自分の欠片を埋め込む容器にするっていう生存戦略にシフトしたんだっ!ふーひゅっひゅっ!情報的強姦!強固な情報遺伝子へのタダ乗り!」
種や遺伝子としてではなく、個の存在として生きる事が至上となった、世にも珍しい生物、人間。
彼らは個でありたいから「特別」を求めた。
安全でありたいから「普通」から出られなかった。
だから、「特別」な誰かに託すことにした。
「王国における王様以上に、インフルエンサーは選びたい放題。今の時代の人間達が『特別』を『照らす』時、『見る』『呼ぶ』『讃える』だけでなく、無数の中から『選ぶ』という究極の自由を得る事が出来る」
「特別」を、自分で「選ぶ」。
「普通」を、自分好みにカスタマイズ。
世界の形を決めるのと、ほぼ類義の行動。
“推し”、“インフルエンサー”、“スター”、
彼らを応援する者達が得るのは、
純然純白な隷属感ではなく、
性的な物に近い優越感なのだ。
「これで分かったかい?」
「うんうんうんうん分かってきたわかってきたフヒャッヒー!カミザススムは王様みたいだけど、でも王様で溢れた今の時代では簡単に『選ばれなく』なるんだ…!」
「普通」から切り離し、「特別」として消費していいと、銘打たれたコンテンツの氾濫。
「特別」の偏在。
どこにでもいる王様。
それは何か?
「奴隷…!」
エドウィンはフィンガースナップを鳴らす。
「そう、王様と奴隷は同じなんだ。どっちも『人間』とは何かを決める為に、『人間』でなくなるのが役割だから。違いは多いか少ないかだけ」
王のように崇め敬いながら、要らなくなれば奴隷みたいに、蔑み罵り捨ててしまう。
熱心な応援者が、傍観者や敵へと容易に転じるのは、「王と奴隷が同じもの」だから。
そこにどんでん返しは無いのだ。
地続きどころか、元は一つの物なのだ。
区別など付けられず、だから忠義が篤いほど、同時に侮蔑も深まっていくのだ。
「アニキ、フヒッ、こんな、こんな簡単な……フハン!だからなの?」
「そうだよ。俺達双子がディーパーになった時から、俺達にはこれしかなかった」
ダンジョン配信者。
インフルエンサーと、ディーパー。
二つの非人間性が惹き合い、融合した文化。
そこでは「人間ではない」事が、自然と受け入れられている。
その証拠に、時に死亡シーンが流れるダンジョン配信が、プラットフォームに規制される例は、驚くほどに稀なのだ。
ディーパーにとっては日常であり、「人間」にとっては「事故」でなく「悲劇」だから、それはスナッフフィルムでなく、「参考映像」か「バッドエンドストーリー」なのだ。
突き詰めると、常人達の中でのディーパーは、モンスターとほど近い位置に置かれている。
配信中の死は、モンスターや、或いは物語の登場人物の滅びと同列。
それを受け取る際の心理的抵抗は、著しく低まっている。
人ならざる者が、人ならざるがままに、人々に需要され、受容される。
だからこそ彼は、この道を選んだ。
人間でなくなってしまったあの日から、探しに探してその先に、人外専用の立場を見つけたから。
誰もに差が無く一緒という「きれいごと」より、彼らがそのままで欲されるという実利を用いて生き残ることにした。
社会には、化け物の居場所が、既にある。
「カミザススム。彼は漏魔症罹患者、つまり非人間、奴隷の中でも更に最下層、底辺だのと揶揄され嫌悪まで抱かれる属性を持ち——」
「だから逆に、テッペンの高貴さを持った王様にも成れる…?」
「そう。実際それは上手く行っていた。だが一度爆発してしまえば、『選ばれなく』なってしまえば、彼は奴隷の姿に戻る」
それは表裏一体、見え方の違いでしかない。
カミザススムという存在は、その振り幅が極めて大きかった。
その相転移から発されるエネルギーも、当然に莫大だった。
引き起こされたのが、キナ臭さをプンプンに嗅がせる、これだけの火災騒動である。
「残念だがこうなったら、インフルエンサー“カミザススム”に復権の目はない」
彼ら配信者は、「この世に自分を特別として残せない」という、個体保存欲求不満者達のサンドバッグ、捌け口となる為のおもちゃそのもの。
だがカミザススムの場合、もう乗り物として見られなくなった。
後世への聖なる方舟、その清浄で希望に満ちた機能は、無根の讒言で汚し尽くされ、凌辱された事で失われてしまった。
これに搭載した遺伝子は、醜く歪んで腐り落ちるだろう。
そう思われたなら、もう誰も乗らない。
味方から見放され、敵から飽きられ、全てから忘れられる。
そのままひっそり、活動を追えるのだろう。
明日は我が身。
二の舞にならぬよう今回のケースは、広報担当と私設法務チームにも共有しておこう。
何か学びになるかも「アアアアニキ!」
アルバが立ち上がる。
さっきまでゴロゴロ寝返りを打っていただけだというのに、余程強烈な天啓を得たか。
「今度は何を思いついたんだ?」
「違うちがう!これ!」
彼女は再び開いていたスマートフォンの画面を、兄の鼻先に突き付けた。
Xnetの投稿。
丹本語だ。
翻訳文が下に表示されている。
それによると、
「なんだって!?」
カミザススムの、
次回の潜行配信予定が発表された。
泥中の奴隷は、未だ気高く。




