452.即死コンボやめろ
かのとちゃんと仲直りした翌々日、5月23日の事だった。
カンナにビシバシ比喩的な意味でケツを叩かれながら走るという、そこそこ過酷なモーニングルーティーンを熟した俺は、自分の部屋に戻って運動着から制服に着替え、そのまま登校。
校舎の前でミヨちゃんと合流し、明日のコラボの予定について色々話しながら教室に入ると、
室内がサッと静まり返り、
視線が一斉に俺達に集中した。
「?……おはよう…?」
最近はミヨちゃんと俺が一緒に居る事に、周囲もある種慣れ始めていたから、今更そのせいじゃないと思うが、何だろうか?
顔に針を千本突き立てられる勢いで凝視され、挨拶を返してみたものの、そういう反応が求められていないとすぐに分かる。
更におかしいのが、いつもはグループごとに、群島のように分かれていたクラスが、今はパンゲアみたいな一つの塊になっていること。
クラスで取り組むイベントの予定には、まだ早い。
この時期にみんなで話し合うことなんて、去年は無かったように思う。
な、なんだ?
召集を掛けられた軍隊が漂わせるような、痛いくらいの緊張が張られ、音という音を閉じ殺している。
「みんな?どうしたの?」
このまま自分の席まで行くべきか、俺が沈黙の膜を破れずにいると、機先を制するようにミヨちゃんが口を開いた。
「詠訵さん、こっち」
返答は、一人の女子、七草さんからの手招き。
誘導に従う為、固まっていた足をようやく前に踏み出せた俺達に対し、
「お前は入ってくるな!」
別のクラスメイト、今年から同じクラスになった、確か米田君って名前の男子が、俺を突き飛ばすように怒鳴る。
「詠訵さんだけ来て」
「教えたい事があるんだ」
「早くそいつから離れな」
これはまた、俺関係か。
でも最近の話をするなら、やらかした心当たりが一片も無い。
何なら反響が徐々に広がってきて、確かな上り調子を感じているくらいだ。
そういう時ほど危ないと言うから、足下にも気を配ってるつもりだったというのに、「まさかあの時の!」みたいなのすら無い。
まあ、俺の主観は狭過ぎて当てにならんか。いつもの見落としだろう。
仕方がない。ここは一旦ミヨちゃんに状況を確認して貰おう。
俺は要求に従い一歩下がって、
いきなり右手をぐいと引っ張られて彼女と一緒に教室に突入する形となった。
「ミヨちゃん!?まっ、」
「詠訵さん!?」
「どいて」
直にその体温に触れている俺でさえ、背筋が凍るかに思えた冷たい一言。
彼女を制止しようと半ば寄って来ていた数人が動きを止め、目を離せないとでも言うように顔の辺りへの視線を固定しながら、ゆっくりと左右に分かれていく。
森の中で熊に遭った時の対処法と、正に瓜二つな動き。
俺からは見えないその顔貌が、どのように変じているのか、想像が付かない。
人垣が割れた事で、彼らの中心に在った机の上に、誰かのスマートフォンが置かれているのが確認出来た。
電源が点いて、画面には文字列とブラウザゲームの広告。狭い液晶の中で、出たり消えたりチカチカする。
記事だ。
それも“まとめサイト”みたいな称され方をする類の、情報発信ページだろう。
「見てもいいかな?」
「………」
「これ些原君のスマホだよね?」
「あっ、うん、ハイ」
「見ても、いいかな?」
「ドォッ、うぞ…!」
気の毒なくらい狼狽する彼に断りを入れ、端末を手に取って内容を読む。
サイト名は『ダンジョン速報!』。
あんまりこういうのを見ない俺でも、名前くらいは聞いた事がある有名どころ。
記事の表題は、
『【悲報】ローマンさん、調子に乗ってしまうwwwwwwwww【オワコンの始まり】』
案の定、俺についてみたいだ。
腹に赤みを帯びた、恥じらうようなカーブを描く小振りな親指が、パッと表示を持ち上げて下へと流す。
写真だ。
数枚の写真。
帽子やマスクで顔を隠した俺と、もう一人が写っている。
俺じゃない方の人相にはモザイクが掛かっているが、制服は無加工。
中には私服が晒されているものも。
ついこの間、俺とミヨちゃんの二人で、装備を何種類か新調しに行った時の写真だ。
——ついに来たか!
正直そう思った。
俺とミヨちゃんがプライベートで仲良くなった時点で、俺の周囲を嗅ぎ回る奴らが彼女に目を向ける事も、いつかはあるかもとは思っていた。
“カミザススム”の人気が高くなるほど、その懼れは濃くなっていく。
まだミヨちゃん=く~ちゃんまでは辿り着いてないようだが、自分で言うのもアレだが人気の配信者が、休日に可愛い女の子と二人きり、デート紛いな事をやっているとなれば、試しに話題の種として撒く人も、食い付く人も出て来るだろう。
変装をするにも限界がある。極端な話、俺が学園から出て来そうな時間を狙って、張り込んでいればいいのだから。
こういう記事も時間の問題だった、とも言えるだろう。
いつ執念深い追跡者が現れるか、それだけだった。
今から気が重い。
く~ちゃんが明胤生である事も、俺が彼女の固定パテメンである事も、周知の事実。
写真の中の明胤女子と結び付け、決め付ける人なんて沢山出る。
パーティーを組んだ時から覚悟はしていたが、それでも実際に直面しなきゃいけない段階になると、何ともげんなりさせられる。
このサイトに取り上げられるくらいだから、それなりの小火になっていると見た方がいい。「背任行為は特にありません」と、ガン無視を決め込むのも理屈では正解だけど、それぞれの視聴者さん側の感情が、それで収まるかどうか——
——え?
スクロールしていったら、途中で画像の中の少女が変わった。
このグレーをベースにしたブレザー。
かのとちゃんだ。
——一昨日のあれまで見張ってたのか!?
それもこのアングル、店内からだ!
どんだけ俺に付きっ切りで付き纏ってんだよ!?
自転車移動もお構いナシか!?
記事内ではネット掲示板のコメントがコピペされており、俺が二股を掛けているような論調が支配的だ。
どっちとも付き合ってねえーっつーの!!
二人にも失礼だろ!
女の子と話してたら恋人同士って、小学生の発想だぞ!
それとも何か?この構図で付き合えてない俺が異常だって言いたいのか!?俺の非モテぶりは常識の外だってか!ふざけやがって!第一かのとちゃんは彼氏持ちだよ!ちゃんと調べろファストフードジャーナリズムめ!いやファストフードに失礼か。ダンボール製ハリボテジャーナリズムめ!
と肚の内で毒を吐くのと吸うのとを繰り返し、何とか怒りを内に留めて冷静になってから、現状の危機をじわじわと理解し始める。
ネットの世界は、「どう思い込まれるか」、だ。
最悪の場合、そこでの正義は法律すら超える。
どちらも友達で、かのとちゃんに至っては最近久しぶりに会っただけ。
その事実を論じた所で、バッシングが止まるとは思えない。
漏魔症の事もあり、俺の固定アンチ層というのは、普通のインフルエンサーより若干ぶ厚い。また、世間が最も憎んでいるのは、有名人の男女関係の不祥事だ。
浮気だとか不倫だとか強制わいせつだとか、そういうのは時に外国の戦争の話題すら押し流すレベルで、火力激高な話題なのだ。
こうなると、検証モードに入るまでが長い。
「まだ本当なのか分からない」、そう言ってくれる人の声が表に出るまでに、一度表面だけでも焼き払われる事になる。
燃料が切れて、火を放つ側が刺激の少なさに飽きて、その辺でやっと「ところでそれって本当?」、みたいなテンションになる。
事情説明と言うか釈明と言うか、そういう物がこれで必須になったし、それすらやり方を間違えれば爆発力を上げる事になってしまう。かと言って何もやらないと、「信用」っていう土壌部分が失われるので、もっと悪い。
爆弾解除に等しいそれを超える事を前提として、更に耐える期間がどうしても要るのだ。その間く~ちゃん側にどう飛び火するか、想像もつかない。
思った以上に深刻な事態に、貧乏ゆすりみたいに無意識で片足が上下する。
かのとちゃんの事も気掛かりだ。
この写真から特定される危険もあるし、写真を上げた人間が尾行とかで調べている可能性まである。
彼女の身が危険だし、この話が広まってしまうと、学校での立場にまで累が及ぶ事まで考えないといけない。
火薬庫に放り込まれた一本のマッチのように、その軽さと裏腹に甚大な被害を齎すその記事を、俺は鋭く恨めしげに睨む事しか出来ず——
スクロールした先に、更に写真。
話題を提供したのとは、別のユーザーから。
「や゛…ッ!?ぐぅ…!」
もう少しでまろび出そうだった、「やられた」というクソデカい上声を、歯を削る勢いで噛み止める。
驚きという爆発、からの空白、その後に一つの気付きが出現した。
俺にそれを分からせた一枚の画像。
望遠レンズか何かで撮った、やたら画質の良い横からのバストショット。
俺が箱を開けて、中の物に目を向けている。
それが何の入れ物なのか、メーカーに至るまでくっきり読み取れてしまう。
『今度は未成年喫煙だってさ。コイツほんま終わっとる』
嵌められた!
あの煙草ケース!
こういう事か!
俺はまだ甘かったんだ。
火のない所に煙は立たない。だけど放火魔は往々にして現れ得る。
だから燃えやすい物が集まっている場所に、注意を向けていた。
だが違う。
放火魔だったら、自分で燃料を持ってくるんだ。
もともと燃えやすいとか関係無い!
火の気が無いなら作れば良い!
「詠訵さん、分かった?」
「こんな不良からは距離を置くべきだよ」
「詠訵さんのこと裏切って、しかも非行に走ってる!」
「おい分かっただろ!お前のやった事バレてんだよ!」
「お前詠訵さんから離れろよ!」
証拠に乏しいけれど、感情を煽れる二股疑惑。
印象へのダメージは比較的小さいが、容疑を9割に高める証拠がある、喫煙疑惑。
その二つが、同時に。
チャンネルの成長ぶりが話題になり、逆に反感も買いやすくなっている、この時を狙って!
俺はいつの間にか、教室の隅、自分の席に座っていた。
どうする?
どうするもこうするも、俺が出来る事は、事実を伝える事だけ。
だけど、それがどれだけ通用する?
何人信じる?
疑惑の一つが黒なら、全て黒だと考えたくなるのが人情。
俺が印象と異なる主張をすれば、それは醜い嘘だと捉えられ、逆に彼らの疑念を深める。
喫煙を否定するほど、二股疑惑まで含めて全てが、黒色に重ね塗りされていく。
100%にはならない。
法的な意味でも、それは同じ筈。
だけど普通の人間に、99.9と100の違いなんて分からない。
これは、爆弾だ。
誰かが仕掛けた地雷を、見事に踏んだのだ。
どこまで、
どこまで失う?
手足を捥がれるのか?
胴を失うのか?
五体例外なくバラバラにされるのか?
俺だけでなく周りも巻き込むのか?
攻撃はどこまで苛烈になる?
最善手はどれだ?
それを打てたとして、軽減できるのはどの程度?
俺が築いたイメージは、全部灰になるのか?
“カミザススム”も、漏魔症も、汚名に戻るのか?
上手く行きかけてた救済プランまで、白紙に還るのか?
ミヨちゃんやかのとちゃんに、何が起こるのか?
どこまで、
これは、どこまで、
俺一人の手抜かりで、
どれだけの物が台無しに?
俺は怖くて仕方が無くて、
授業には全く身が入らなかった。




