忘却させる毒 part1
「オヌシ、放し飼いが過ぎたのではないかえ?」
彼女はテーブルを回し、皿を取る。
その上にあった薄いパンみたいな生地で、家鴨の肉だとかいうものを包んだ。
「放し飼い?」
「そうじゃ。家畜に与えるだけで、好き嫌いを矯正したり、怠けを殴打し運動をさせたり、せんかったじゃろう?病を感染す危険も知らせず、身を摺り寄せ合う儘にもした」
「故に、今こうなっておるのでは、ないのかえ?」、
そのまま一口小さく齧り取り、手をほとんど汚さずにするすると食べる。
「食わんのか?」、そう勧められるけれど、今は食欲があまり湧かない。
試しに刺身のような外見のアロエを一つ頂くが、高値でござい、みたいな威厳の割に、感動するような旨さは無かった。
「例えば、これじゃ」
「これ?」
「この料理」
彼女はまたテーブルを回し、ダクダクのオレンジ色に埋もれた海老の身を取る。
「妾はこれらを注文し、その分の対価を支払う。それを、妾以外も行う。その回数を重ねた上に、この献立が成り立つ」
またまた回し、置かれていたメニュー表を手に取り、開いて中の料理名を指差して見せる。
「誰にも選ばれなかった名は、ここから消えていく。それを作るのに必要な作物、海産物、畜産物にも、対価は支払われなくなる。それが続くと、生産者はそれを作らなくなる。ここまでは良いな?」
「そりゃ、単純に言ったらそうだな、うん」
「それで、じゃ。ここから1km北に、もっと安く空腹を満たせる料理屋がある。同じ央華料理じゃが、味はまあ…、普通じゃな。『庶民的』とでも言おうかのう?『普通に』美味じゃ」
そういうのも「美味しい」と言うのか。
それについては、ちょっとイメージと違う一面だった。
「オヌシが食事を摂るなら、いずれじゃ?」
「うーん、町央華の方だな。味の良し悪しとか細かくは分からないし」
「同じように考え、値段の安い物ばかりが食された事で、この料理屋の経営が立ち行かなくなったとして、偖——」
——何が失われる?
「何って、」
この料理屋と、
そこと取引していた農家の人達の儲け。
「だけではないじゃろう?」
黄金色を揺らし、餃子みたいな物を頬張る女。
「まずこの料理屋。そしてそれに雇われていた従業員や、それと契約していた流通業者、元となる生産者達が生き残る“安全性”。更に其奴らの親類縁者の生存率も低下するのう。それぞれがこれまでと同じように作って、売ってくれるという、“現状維持の担保”も無うなる。冗長になる故にそれ以上の詳細は省くが、ここが繁盛した場合とそうでない場合で、随分と背後の景色が様変わりするのう?」
“背後の景色”。
「これまでと同じように」って言うのは、作る方やそれを売る方が、元々持っていた拘りをそのまま継続する、みたいな話だろう。
俺はテーブルの上を見る。
ここに並んでいるのは、比較的オリジナルに近い央華風料理だ。
ラーメンとかチャーハンとか、丹本の大衆に合わせて作られたような物とは違う。
ほぼ有り得ない事だけど、地球上のみんながみんな、「安いし充分美味しいからこっちでいいや」と、こういうのを食べる代わりに、似非央華を食べるようになれば?
食用の家鴨が買われなくなり、育てる人は儲からないから辞めていく。いずれ、その料理が作られなくなって、作られないものを残しても仕方ないって、レシピも、存在までもが忘却へと捨てられるかもしれない。
料理っていう、昔から繋がれて来たある種の技術、文化の一筋が、消滅する。
逆にそういうのは、多くの人が買っていれば、求めてくれれば、存続する。
資金とか技術とか、色んな物を費やせば、費やしてくれる人が居ると伝われば、まだ残す価値があると見られて、自然と生き延びる。
「これが、経済活動じゃ、小童」
「経済…?それだけで……?」
「左様、多くの民衆が、金持ちの特権的道楽、大金を揺らす遊戯だと思い込んでおる概念。それは実際には、小売店での一幕にまで集約できる。乃ち、“選別”じゃ」
何を選ぶのか。
何を選ばないのか。
たったそれだけで、社会への参加になる。
何を残して、何を消すのか、そういう政治への参画となる。
そんなありふれた行為で、人は社会の在り方を、自分の手で歪めてしまう。
「膨大な選択肢の中から、どの店の、どの商品を選ぶのか。甲ではなく乙、仟円、佰円、拾円でも低い方、或いはそれだけ高くとも、価値があると考える方を。オヌシらが日々そうやって手に取り、或いは切り捨てる事で、それらの一品一品の背後に存在する数多の構造を取捨選択し、それらで組み上げられる社会の形状も無論、変容する」
人々が選んでいるのは、その商品の背後にある「構造」だ。
それが店頭に並ぶまでの仕組みを是とするか、否とするか。
人が何かを買うって言うのは、投票行為に等しい。
社会という複合立体の中に、この形をしている部分があることを、許すのか?
それへの意見を、その場で現実に反映するということ。
「欲しくもないものを独占、或いは窃取する。それが稼業として成り立つのは何故か?購う者が、その仕組みを良しとする民がおるからじゃ」
「技術が育たない」と言うなら、技術を凝らした物を買え。
「安い仕事しか入らない」と言うなら、高い仕事を選んでやれ。
「国が貧しく冷たい」なら、国が使える資本を増やし、
「安全安心が欲しい」なら、それを守る者達を富ませろ。
そいつはそう言った。
社会や国は民から出来ていて、民の同意無しではどんな国も成り立たない。
独裁者であっても、下々が恭順を示さなければ、ただ王を名乗る法螺吹きでしかない。
国を作っているのは、他ならない民だ、と。
「弱き民などいるものか。怠惰な民がいるだけじゃ、無能な民であるだけじゃ。毎日毎時毎昼毎晩、自分の選択がどこにどう波及し、それによって国の形がどのように削り彫られ、自らにどう酬いるのか、それを考える手間暇を惜しみ、或いはその能力が足りておらず、故に思いもよらぬ不都合が舞い込み、それへの憤りを糧としてその日暮らし」
「下らんな、愚かしい、酷い三文戯曲じゃろうて」、
彼女は何かに対して、本気で怒っているようにも見えた。
「まだ己の力で何も出来ぬ幼子ならまだしも、今の世が不満足であるとなった時、自省や手段の模索、大衆の観察と説得ではなく、高位の責任や過誤ばかり見る者に、住み良い環境など生涯訪れん。偶々それが成ったとて、無自覚に己の手で破壊するからじゃ」
そういう人が、きっと心から嫌いなのだろう。
「同時に、社会が他者に不幸を強いるのであれば、それは己が生んでいる事も知らねばならぬ」
「そう、なのか?お前の言い方だと、不幸は自分の行いが返って来る事なんだろ?」
「両方じゃ。『どちらの場合もある』、ではなく、『どちらも正』。国や社会の一員となった者は、一つに繋がっておるからの」
「一つ、って、色んな人が居るんだから、必ずしも一枚岩とはならないだろ?」
「いんや?どのように対立し、分断しようとも、同じシステムを利用しておるのであれば、相互に影響がフィードバックされる、運命直結共有体と同じじゃ」
回す。
暗赤色で挽肉を含んだ液体に浸った豆腐数個と、透き通った黄土色のソースがかかった厚切りの鶏肉を、手元の取り皿に盛り付ける。
それぞれの汁が広がり、混ざり合い、絡み合う。
「“個人主義”など、あれは選ばれた強者の論理よ」
諸々が分かち難くなったそのドロドロの中に、小さな杯を刺し立てる。
その中の酒には、食材も調味料も一切触れられない。
「強者」。
それは「社会に選ばれた」という意味ではなく、
「世界に選ばれた」という意味らしい。
例えば俺の中に棲む、モノクロの奇跡のように。
でも人間である以上、9割9分は、それを宣言出来ない。




