444.ここまで、来たんだ part2
「私達教会は、様々な教えを人に与えました。『潜行者とは特別である』、それは彼らが背負わざるを得ない使命を前に明白。そしてそれは、潜行者の暴虐を制止する、最低限の安全弁でもありました」
「安全弁?」
「はい。潜行者は超人です。ダンジョンが続く限り、彼らは他者より強く在らねばならない。潜行者に非ぬ者達との間には、生物としての格の隔たりが発生する。自然に任せてしまっていれば、互いが互いに同族意識を薄めてしまうのです」
潜行者が人間扱いされないって言うのは、確かに普通の「あるある」だ。
その逆に、潜行者がそうじゃない人を見下すって言うのも、どうしても出て来る話だろう。
俺だって多分、どこかにそういう意識が芽生えている。
「自分は他の普通の人とは違う」、みたいな気持ちが、良かれ悪しかれ、どこかに根付いている。
「我々は潜行者への崇敬を、潜行者からの隣人愛を説きました。戦う者達は、自らを愛し、その帰りを歓迎する愛すべき人々の為に、戦う。そうでなくてはいけません。道徳を横に置いたとしても、実利として、双方が納得するバランスが無ければ、いずれ暴発が待っている。命を徒に損なう爆発が」
人がディーパーを尊敬しなくなって、地位もお金も何も出さなくなったら、多くのディーパーは人の為に働かなくなる。
ダンジョンから人を守り、その恩恵で文明を発展させて、みたいな事が起こらなくなる。
ディーパーにもそれ以外にも、互いの事を思い遣れと言い聞かせ続けないと、沢山の人が死ぬ将来が残る。
「人間性に下限などありません。人の底なんて簡単に抜けます。潜行者は力を持ち、枷が無ければ暴走します。人は恐怖を忌み嫌い、放っておけば無関心に逃げます。誰かの力で平和を維持する社会には、責任が、正しさが必要なのです」
「それが、神様ですか?」
「ディーパーとそれ以外との差が馬鹿馬鹿しくなるような、圧倒的な上位者、絶対的な真理。それを説く事が、そのまま人の暮らしと生命を守る」
救世教は、というか宗教は、ただそれっぽい物語を並べているのではない。
物語の力で、どんな人でも、例えディーパーとして戦いの運命の中にある人でも、幸福にしようとする人類の知恵。
「そんな“正しさ”の公式から、長年爪弾きにされていた物があります」
「………漏魔症……」
「はい。それはダンジョンが生み出した物ながら、ダンジョンからの働きかけをほとんど受け付けず、その上で害だけを齎すと考えられてきた」
魔力の漏出と、異形化。
まだ発症例の記録も少ない頃、それはいつ悪化するかも分からない、爆弾ゲームのボールだった。自分の手元から、一刻も早く別の誰かに押しつける、そうやって扱われてきた。
「こう言うと言い訳めいて聞こえるかもしれませんが、教会は当時彼らを、神から見放された者達として切り捨てざるを得なかった……、いいえ、矢張り言い訳ですね。訂正します。我々は切り捨てる事を選択したのです」
「………」
「何故なのか、分かりますか?」
「………ディーパーの立ち位置が、ややこしくなるから、ですか?」
「……貴方は本当に呑み込みがお早い」
六使通さんは、何か痛ましい物を見るように目を細める。
「潜行者のなり方と、漏魔症の発症方法は、どちらもほとんど同じです。ダンジョンや、その生成過程への接触。では両者を分ける物は何か?現代では、最初にダンジョンからの魔学的エネルギーを受ける時の、その総量や密度等だとされます。詮ずるに、運です。しかし、それを認めるわけにはいかなかった。いかないと、我々は考えた」
「漏魔症っていう嫌われ者と、ディーパーが同じ物だって、そういう話になるから」
「お察しの通りです。潜行者の聖性は、保たれなければならなかった。人が潜行者を汚らわしく思ってしまったら、意思無き爆弾や疫病のような排除すべき物だと感じてしまったら、敬意と愛は失われ社会は崩壊します」
だから、漏魔症とディーパーを切り離した。
「漏魔症になるには理由がある」、「彼らは罪人だったからそうなった」、「誇り高きディーパー達とは決定的に異なっている」、と。
「潜行者を志し、ダンジョンに向かう勇者達、彼らの決意を鈍らせない為にも、必要な事でした。神の前に何ら疚しい所無ければ、漏魔症には罹らない。洗礼により、栄えある潜行者として生まれ変われる」
「そしてそれが、2000年続いたわけですね」
「………申し訳ない」
「……救世教だけの話じゃないですし、六使通さん個人にどうこう出来る話じゃないです。謝られても、困ります」
「ですので、略式では御座いますが、救世教会として謝罪をさせて頂きたく、本日この場を設けさせて頂きました」
彼はそこで立ち上がる。
他の教徒の人達も一斉に。
俺も釣られて腰を浮かせたが、そのままで大丈夫と手振りだけで伝えられた。
彼らが2列に並び、それで作られた通りを一人が楚々と進む。
たぶん女性だ。
水色っぽい髪を後ろに垂らし、顔は円が描かれた布で隠されている。
彼女は俺の前に立って、それから何故かキョトキョトと落ち着きを無くし始めた。
えっ、これ、俺が何かやった方が良いの?
「殿下、お願い致します」
と思ってたら、六使通さんが何かを促し、それを受けた彼女は少し俯いた後、意を決したようにその布を上げて素顔を晒す。
美人だ。
透き通る青目、整った鼻筋、雪のように白い肌。
………どこかで見たような気もする。
「……御手を」
波線のようにモゴついた口から、消え入りそうな声が辛うじて聞こえ、掌を上にした両手が差し出される。
俺は訳も分からず、彼女に向き合ってから、右手をその上に乗せる。
彼女はそれを捧げ持つように跪いて、ボソボソと何かを唱え始め、
「………教王猊下の代理として、私、神聖ローマ市国東方聖騎士団団長リーゼロッテ・アレクセヴナ・ロマノーリが、御言葉をお届けします」
手の甲に口付ける。
「あなたに神の祝福があらん事を。そして我々救世教会は、これより漏魔症に苦しむ方々の、汚名払拭名誉挽回に勤しむ事を、ここに誓います。あなたに神の祝福を、そうあれかし」
俺が訳の分からない展開に目を白黒させている間に、彼女はそそくさと別室に逃げて行ってしまった。
「あのー……」
「勿論、後日正式な形で、より大々的な式典を執り行う予定ですが」
「いやそうじゃなくて、今のって……!」
流石の俺も名前を聞けば分かる。
キリルの皇位継承権保有者の一人で、キリル正教会の有力人物、何より救世教会の最終手段。
チャンピオン第6位。
リーゼロッテ・アレクセヴナ・ロマノーリ。
「なんで、ここに……!?」
「彼女も我々救世教会の人間ですので、当然同行しております」
「いや『当然』って…!何処にでも出てきて良い人じゃないでしょ……!」
「……もしや、お気付きでない?」
「……え?」
「つい先日、日魅在様には御挨拶を済ませたと、そう聞き及んでおりますが………」
「挨拶……?」
俺の脳内で突発連想ゲームが始まる。
救世教、挨拶、女の人、水色の髪………あっ!「ああっ!えっ、ええっ!?」
あの酒カs……酔いどれお姉さん!
いやキャラ違い過ぎない!?
言われないと分かんないよ!?
「申し訳御座いません。殿下はどうも、人見知りのきらいが御座いまして。酒類の力を借りなければ、あのように四六時中萎縮しておいでなのです」
「それって聖職者的にどうなんですか?」
「どうなん、どうなんでしょうか………」
いやそこでそっちが困らないでくださいよ。
一番困ってるのこっちですからね?
六使通さんは空気を切る為か咳払いを一つ挟み、列を作っていた皆さんを解散させてから再び席に就く。
「我々救世教会は、これまで漏魔症から目を逸らして来ました。しかし真理を得るまでの旅路では、いつか向き合うべき時がやって来る。それが、今だと考えております」
「もしかしてそれって、俺が現れたから、なんですか?」
「その通りで御座います。漏魔症もまた、神の祝福を受ける者であった。彼らは本当に潜行者と同じであり、人がその事実を受け入れるまで成熟していなかった。その可能性が大いに高まりました」
俺が魔力を使えたから、
並のディーパーより強いと世界に証明したから、
教会は愈々、それの読み解き方を変える事にした。
「貴方が、変えたのです」
「俺が……」
「この2000年停滞し続けた、我々の最も大きな罪業、それを贖う鍵、それが貴方なのです」
俺が諦めないで、
強くなって、
活躍して、
漏魔症を、救う。
本当に、
「本当に、そんな、こと…!」
そんなことが…!
「誠心誠意、取り組ませて頂きます。お約束します。我々は今度こそ、漏魔症との対話を投げ出さない」
「それは………!」
腰が、
腰が抜けて座席に深く沈み込む。
いきなり俺は、目の前で一つ、理想を叶えられてしまった。
救世教会が、漏魔症救済に動いてくれる。
そんなことって、そんなことってあるのか?
現実感が無い。
頬を抓ってみたいけど、手に力が入らない。
それじゃあ、
それじゃあこれからみんな、
天王寺さんや、佑人君達や、じーちゃんは、
「あの……!」
「はい」
「丹本に帰ったら、」
誰よりもまず、
「伝えたい人が居るんですけど」
俺の家族に、吉報を持って行きたい。
「急激に広まれば、影響が大きくなり過ぎ、強い反動が返る危険も御座いますので、あまり大勢にはご遠慮頂きたいのですが……」
「『ですが』……?」
「信頼のおける方でしたら、問題ありません」
「そ、そうですか……!」
それなら大丈夫だ。
じーちゃん程信頼できる人、なかなかいないから。
「そうですか………」
ぐったりと熱い頭を垂れて、目に入ったコーヒーをぐいっと呷り、それから、
それから………
落ち着かない。
スキップでも踏みたいのか、
ワッと泣き出したいのか、
それとも今すぐ報せに行きたいのか。
嬉しいのか悲しいのか怒ってるのか焦ってるのか、
昂ってる事だけが確かだった。
「そう……ですか………」
全て失って、漏魔症になった日を思い出す。
それからの学校での日々を、反吐の中でのたうつような日常を思い出す。
自分の足で立って、一人でも生きていけるのだと、意地を張ろうと決めた日の事を思い出す。
く~ちゃんの眩しさを浴びて、いつか自分も誰かを救えたら良いと、漏魔症でもやれるのだと証明してやると、無謀な夢を持った日の事を思い出す。
搔き集めた希望が霧散して、行き場がどんどん狭められて、いつか窒息して死ぬのだと思って、遂にはどん底にまで落ちて………
運が上向いた後だって、困難は数え切れないくらいあった。
漏魔症アンチはいつまでも消えない。
学園の生徒の半分以上から敵視されている。
あっちこっちから命を狙われて、
おじいちゃんとおばあちゃんも居なくなった。
だけど、
沢山躓いて、叩きのめされたけど、
無理だって言われて、現実を見ろって罵られたけど、
やったか?
やった、のか?
俺は、壊したり、殺したりだけじゃなくて、
救えたのか?
世界を、良い方に変えられたのか?
脳が体の中をぐるぐる駆け回っている。
考えて、結論を浸透させる事に全器官を使用して、
汗や涙を出す余裕さえ無くて、
リズムを刻むタップ音。
奏でているのは、俺だ。
俺の両手が、座席を意味もなくパーカッションにしている。
行儀が悪いとか、話している相手に失礼だとか、頭に浮かばなかった。
ただ、
ただただ心臓を破って跳ね回る、今の気持ちを誰かに伝えたくて、
俺は真上に頭を倒す。
彼女が覗き込んでいた。
(((ススムくん)))
両腕を背凭れの上に載せ、袖で口元を隠しながら、
(((面白い顔を、していますね。私好みの)))
愉快そうにそう言った。
ああ、彼女も喜ばしそうだ。
そんなわけがないのに、勝手に共感を得たような嬉しさが胸に広がり、
彼女と通じたような気がして、
全身に再び芯が入った。
甘くぼやけた橙色に映った俺は、
笑っていた。
確かに、
くしゃくしゃで滑稽な笑顔だった。




