439.そういうことか part2
〈あれが…!〉
雲が一部晴れ、そいつの全身が半分程度露出する。
それは白い体をした、円環だった。
表面に少しずつ異なる二つの瞳の絵が並んでおり、高速で反時計回りをしながら雲間という限られた視界からそれを覗かせる事で、まるで一点に瞬きしている顔が浮かんでいるかのように錯覚させていた。
〈ああいう展示あったよね。“ゾートロープ”だっけ?〉
〈正体見たり、って感じだな。攻撃しても無傷っぽかったのは、こいつ自身が回転してて、それで弾いてたってわけだ〉
ストップモーション撮影と通ずる単純なトリックながら、敵への攪乱としては中々に効果的。
だがそれも、今剥がされた。
〈回転…!ならばワタクシに考えがありますの…!〉
彼女はそれを端的に伝え、有効であるという予感も行き渡る。
〈ただこの体では出せる射程に限界が〉
〈おぉりぃ〉〈上だっ!〉〈レレレレレェッ!!〉
彼らのつむじを狙ったハンマーのようなダウンバースト!
巨視的対流の邪魔にならないよう高熱発生源を直ちに低空へ叩き墜とす!
或いはそれは自分を鈍らせる病原体を遠ざけようとする、くしゃみや咳に近い本能的な忌避反応!
だが、
〈忘れたんですの?うっかりさん?〉
だが下は、
〈「地に足を着けて進むべし」、ワタクシ言いましたの〉
地上は彼女の、
〈そちらから離してくれるというなら、〉
“臥龍”の独壇場!
〈好都合というものですのぉぉぉオオオオオオ!!〉
このヒステリックウェザーの中での呼吸を完全に物にした進の魔力が段階的なクッションとなってほぼ無傷で接地!
受け身を取りながら地に着いた所でローカルのせめぎ合い!風の中から手離された事もありミチミチに詰め込まれたエネルギーのコントロールを奪還成功!
それ全部が彼らの可処分所得に!
〈やって!“臥龍”!〉
詠訵はそこで詰め手を組み立て終えた!
〈何か知らないけれどやりますのっ!!〉
“臥龍”は全身の分子運動力を奪い表面を固体化させそれで浮いたエネルギーを元から持たされていた膨大な余剰分と合わせて一点に集中!
そこでガスを発生させつつこれでもかと加圧することで体液内に無理矢理溶かし込む!
〈“九狐旧亙倶苦窮涸”!!〉
詠訵が完全詠唱!
そこで“臥龍”もその意図を完全理解!
尻尾を改めて筒状へと丸めながらその先端を“暴風”へ!
狙いを定めながらウズウズグツグツと根元の体液を煮込み続ける!
〈ひゅ、ぅぅぅううう…っ!〉
霰や礫がそれを咬み切ろうと飛来!
だが弱まったまま加速が間に合っていない風刃では進の魔力反応装甲を突破できない!
〈行ぃきぃまぁすぅのぉおおおおお!!〉
窯の蓋が耐えきれず砕ける寸前まで追い込み、進の魔力爆破も準備し、そこに背鰭を一斉に内へ杭打つ最後のダメ押し加圧!
ほぼ同タイミングで尻尾から真っ直ぐ伸びる青と白のリボンが4本!
それは言うなれば拡張銃身!
高圧加速の有効距離を伸ばす為の追加レールパーツ!!
その先に至るは破天荒!
ひゅ、おおおぉぉぉ………っ!
『周辺温度が上がってる…!』
「これ以上盛り上がるってか!?今更だが何月だと思ってやがんだ五大湖共はよぉ…!」
『湖面付近の温度が盛り上がっちまったら、湿った上昇気流が強くなってまた竜巻が成長しちまう!それまでに早く!急げ!』
「待てオイ、竜巻が光ってねえぞ!?いつからだ!?見てたかシラフ共!?ってかあのデカいのは何だ!?雲か!?」
「どうでもいい!速くズラかれえっ!!」
ひゅ、ぅぅぅううう………っ!
「風が、温かい……」
「おい!顔!下げてろ…っ!」
「けれど、少し、心地良くありませんか……?」
「いや、それは…!」
確かに、積雪と強風とで体温を奪われ続けていた彼らの体を、その温みは優しく撫でているようだった。
嵐は去ったのか?
あれだけ大きな、あれほど恐るべき、世界の終わりそのもののような暴威が、
止まった?
彼は不思議に思い、頭を上げた。
期待は外れた。
恐るべき雲も、慈悲無き風も、彼らの決心に報いるつもりなど見せず、
眼中に入れる気配すらなく、空間を削り歪ませていた。
灰色混じりに吹雪き、彼の視野すら閉じていき、
この後に闇が到来する事を予感させ、
た。
れ
か
引
が
線
緋
の
本
一
に
界
世
た
し
と
糊
模
昧
曖
線は右回りに一周し、一つの円を結んだ。
棚引く雲海を赤く舐め上げ、
やがて燦然と天地を照らす光輪となり、
一際強く紅輝を充溢させた後、
白も黒も灰色も隔てなく閃き裂いた。
天使の梯子が降り、湖面に煌々《キラキラ》とした宝石が跳ねる。
『い、今の、見た…?』
「………見た、俺は、見たぞ……」
「………」
問いには言葉を返さず、
目を瞠りながらスティーブンは、
息の仕方をその時思い出したかの如く、
「そうあれかし」
ただそう呟いた。
粒子がちらちらと舞い降りる。
雪だ。
炎と共に漂い落ちる、燃える綿雪。
西陽を反した水面からの、天然自然の脚光で輝き、
眼差す者の瞳に星を散りばめる。
スノードームのような澄し白の中にぽつり、
膝をついて呆然と仰ぐ凡俗。
青年は我を奪われていた。
夢か現かと、疑う気持ちも湧かなかった。
真実起こったかどうかに関わらず、
彼がそれを感じ、何かが変わってしまったのは、
間違いのない“本当”だったから。
「なん、だ…!眩しい、ぞ……!あかりが、強過ぎだ…!」
その後ろで、何かが坂を転げ落ちるような音がした。
振り向くと、そこに彼の育ての父親が這っていた。
「このたつまきぃ、おかしいぞぉぉおお……、絶対にぃいい……」
鈍く反射する右手の得物で、白杖でそうするように地面を探って、
「なん、か、やってんだろ……、あいつらなにか、やってんだろおおおお……!止めるんだ、相棒ぉおおお……!」
頭を振りながら顔を上げた。
ガラスで黒く塗り潰された凝視が、青年の方を向いた。
その時彼は、その男の更に後ろ、さっきまで自分が隠れていた水路を見ていた。
何処かから落ちて来たらしい、大きなプロペラらしき部品によって、
そこは左右に割られていた。
ひゅ、おおおぉぉぉ………——




