439.そういうことか part1
「なんでこんな…っ!乱気流帯が鋭いんだよっ!?」
「機体のダメージが大きくなってきてやがる!そのうちにシールドじゃあ持たなくなるぞおおお!」
竜巻から離れている筈のトルネードハンター達は、何故かより悪い方へと追い詰められていた。
気流は鎮まるどころか凶暴さを増し、更に氷粒が鑢となって機体を磨き上げてくるのだ。
このバカ高い玩具ですら、この悪逆気象の中では安っぽいプラスチックに等しい!
その意思の欠片さえ反映させてはくれない!
『おい!あの輪っかが!』
「なんだスリーマン!?今つまんねえ事言ったらぶっ飛ばすぞ!」
『見ろよ!あの光ってる部分がさあ!』
彼女の言葉に従うと、確かに輝きが強くなっている!
そして雲の中に、あの両目が浮いている場所に、何か巨大な影を暴く!
ひゅ、ぅぅぅううう………っ!
「ああーーーッ!あああああああああッッッ!!」
絶叫!
広がる白の中に褪せたセピアの一点!
びゅぅぅぅぅおおおおおおおおおおおおお!
「アアアアアアアーーーーー!!」
彼は風に負けないくらい喉をビリビリと掻き鳴らした!
叫ぶ事で思考を完全に遮断し脳内を麻痺させ恐怖する事自体をやめようとしていた!
そこを僅かにでも動いてしまえば、彼は二度と納得できなくなるから!
自分を許せなくなってしまうから!
ひゅ、おおおぉぉぉ………っ!
〈こんなの、ダメ…ッ!〉
龍は喚く。
溜まり籠る熱を少しでも吐き出そうと。
〈お姉様が、こんなところで、こんなつまらないことで…ッ!〉
足りない。
その程度の放熱では到底払い切れない。
全身から外に発し続けても、それは強まる一方。
〈ちんちくりん!耐えなさい!死など許しませんの!〉
憑依によって底上げされた熱耐性と、詠訵の魔法能力。
その二つでは支えきれないくらい、体温が沸騰していく。
それでも彼女は要求する。
人の身に余る耐久に縋るしかない。
だが、進は答えない。
〈寝てるんじゃありませんの!はやくシャンとしなさい!力を入れて!〉
彼女は全身の自由が抜け逃げていくのを感じていた。
それは本体としている者が、完全に果てた事を意味しているように思えた。
〈カミザススムぅぅぅ!認めませんわっ!こんなっ!あなたもっとしぶとかったでしょうっ!?〉
生気が感じられない。
羽根がひらひらと宙を返るのに似た、一切の意思を感じさせない無為無力。
〈そんな…っ!軟弱者ぉぉぉーー…っ!〉
ということは、少なくとも彼の意識に関しては、
〈踏み止まれ…っ!おい…!ふざけてるんじゃ…っ!〉
もうここには居ないということで〈さっきから——〉
——さっきから何言ってんだ“臥龍”
〈は?〉
それは、
その気配は、
確かにカミザススムの物だった。
〈『止まる』、なんて、なんてこと言うんだ、“爬い廃”〉
だが、掴めない。
確かに、はっきりと、彼の頭は動いている。
なのに体は流されるまま、
一切の抵抗を、一挙手一投足を放棄している。
〈なにを…!?〉
〈さっきから勝手に、変に力もうとしちゃってさ〉
寒い朝、温かい布団の中で指一本動かさない。
行動だけ見れば、それ。
なのに、眠たそうではないのだ。
目をしっかり開き、覚醒しているのだ。
〈それ、どうなって…!?〉
〈肩の力、抜いてくれない?〉
〈なんです、って………??〉
〈今、過去一調子が良いんだから〉
ひゅ、ぅぅぅううう………っ!
『なんだ?』
「また異常事態かよ今度は何だ!?」
『いや、これ、良いニュース…なのか……?』
「演出に付き合う暇なんてねえんだよ勿体ぶるなっ!!」
「スリーマン!とにかく何が起こったかだけ言え!」
『風が…』
「「風が?」」
『風が、弱まってる……?』
ひゅ、おおおぉぉぉ………っ!
〈これが、今この状態が、『良い』、ですって…!?〉
〈そうだよ、力が入ってないのが良いんだ〉
〈奴の攻撃を無条件に受けている、今が……?〉
〈俺を動かそうとしてる力に、これっぽっちの邪魔も入ってないのが、良いんだよ〉
ひゅ、ぅぅぅううう………っ!
「ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああ!!ああああ……!……?」
「あたた、かい……?」
ひゅ、おおおぉぉぉ………っ!
〈わざわざあっちのサービスで高くまで、上の雲まで運んでくれてるんだから〉
〈レレレレレレレレレレレレ………アレ?〉
〈ゆっくり寛ごうじゃん?〉
〈アレ?アレレレレ?〉
〈ぐるぐる君の厚意に甘えてさ?〉
〈レレレレ……レレ……レレレレレレ……?〉
雲が、薄くなっていく。
晴れるように、光が遠くまで届く。
風が、
〈これは…!〉
和らいだ。
その気勢を明確に削がれている!
〈シャン先生が言ってたんだ〉
台風についての授業の延長。
回って昇る暖気と、降って下に入り込む寒気。
この二つが竜巻を作る。
〈“暴風”は俺達を自爆させようとした。でも、俺の身体機能じゃなくて、メガちゃんの方を使おうとした〉
〈……ツガイ女の魔法や、憑依したワタクシによる、損害の肩代わり…!それを避ける為、ワタクシの熱を利用した…!〉
呼吸をさせないことで、憑依している“臥龍”の力を発揮させず、
そのまま灼熱で、進を灰にする筈だった。
だが進は、相手からの干渉を丸々受け入れた。
風に逆らわずそれを利用して飛ぼうとしていた、自力の推進が不足した飛行機。
それを目の端で捉え、彼は“脱力”という課題を思い出した。
そうしてみると、半分己を失った状態は、逆に彼の手を取る師となった。
分かるのだ。
意識による作用が切り離されたその時だからこそ。
自分の中で不随意に動いているのがどこか、
自分を外から押している空気がどちらに吹くか。
自分の魔力を使い、身体機能の発生の仕方を調節し、風に乗る。
脱力した体で、届いた力の全てを穴でも開けたように浸透させ、反対側に滑らかに逃がす。
シナプスのシグナルの一つまで、風向きに調和させ、内外の境をぼやかす。
大きな流れの一部に同化。
抗ってその場に留まろうとするより、気流を叩きつけられ破片で削り取られる被害は小さくなった。
彼自身が流風となった事で、
大気の挙動の全てが手に取るように分かった。
動作予想との違和から発生する三半規管の混乱が消え、
それどころか乱風に合わせて呼吸する境地に至った。
背中から胸上まで、空が素通りするような気持ち良さ。
息が軽い。
耐えるのでなく、受け流す。
彼はその意味に至った。
彼は今、渦巻く流気と一体であり、そのものだった。
“暴風”はその時の進を、氷粒の一つとほぼ同じようにしか、いや、押し流される空気の一塊よりも稀薄にしか感じていなかった。
だから、誤った。
自分で膨らませ続けている過熱を、そのまま安易に昂め続けた。
相手を殺さなくてはならないという意識もあって、異常な域に達している温度を気に掛けなかった。
それは自分の能力、自分の起こした現象、自分の体の一部。
莫大なエネルギーを発していたにも拘わらず、それが自分のやったことだからと大雑把にしか捉えず、故に細かい魔力操作を訝らなかった。
内部で起こっている多少の流れの変化に無頓着となり、
だから本能が危険信号を発さなかった。
進がとっくに万嵐を読み切っていることに、
己に取り憑いた者のポテンシャルを問題なく引き出していることに、
その肉体の燃焼や高熱への耐性が高まっていることに、
気付けなかった。
そうやって、「まだ大丈夫」「もっといける」「どんどんやろう」と“臥龍”から熱を発散させ続けた事で、
高空が暖まり過ぎた。
雲が蒸発し、冷えた下降気流がその途上で軽さを獲得、地面に着く前にその落下を阻まれた。
循環が、大きく削がれた。
大地にぶつかり広がった冷たい高気圧が温かい低気圧の下に入り込み、そこに乗り上げた空気が回転しながら上昇していく。そのプロセスが大いに緩んだ。
それは戦闘経験、それ以上に『経験』と名の付く全ての事柄の浅さ。
まだ生まれてから数ヶ月。
自らのスケール感への注意の欠如。
自分にとっては指先の些事でも、世界には大きく影響すると、彼は知らなかった。
illは大き過ぎて、強過ぎる。
格が違う。
積み木の街を無遠慮に横切れば、たとえ子供でもバラバラに原形を消し飛ばすのと同じように、幼さに不釣り合いな広大さを持つリスク。
そこまでの想像が足りていなかった。
竜巻がその身を細めて、纏う衣を薄めていってしまう。
自由をより強く行使し、故に弱くなってしまった。
いやはや、全ては逆になった。
「高熱で自滅」したのは、“暴風”の側だった!




