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ザ・リベンジ・フロム・デップス~ダンジョンの底辺で這うような暮らしでしたが、配信中に運命の出逢いを果たしました~  作者: D.S.L
第十六章:どれもこれも、もう止められない

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421.戻せるなら、ね

 どろどろ

 もこもこ

 ふわふわ


 浮いている。

 足が付かないから、そう思う。

 沈んではいない。

 上と下が辛うじて分かるから、深まってはいないと思える。


 どろどろ

 もこもこ

 ふわふわ


 街が形を変える。

 その流れに巻き込まれている。

 今まで見えない所では、こんな風になっていたのか。

 その秘密の変化を、初めて実感しているようだ。


 どろどろ

 もこもこ

 ふわふわ


 息が苦しくなっていく。

 頭が痛くて痛くて、目を開けていられない。

 脳がゼリーみたいに溶け出し、泥と一緒に掻き混ぜられる。

 眠りというぬかるみが、苦痛から逃げろと誘っている。


 このまま自分も、生まれ変われたら。

 

 あの日、

 彼を生んだ時のように、

 全く別の何かとして、吐き出してくれたら。


 今よりは、マシだと思う。

 一人ぼっちで泣くしかない、弱くて醜い今の自分より。

 

 一人ぼっちで——


——あれ?


 彼の記憶を、何かが撫でた。

 今、何か、変だった。

 一人ぼっち、

 一人、

 ひとりきり、


 ひとりだけ?


——違う

——そうだった




——二人で逃げてるんだった。




 カエルはそこで、彼女を抱えていた事を思い出し、水面から手を出してふちを掴んだ。


「う、ううううう……!」


 二人分の体重を引き上げようと、悪戦苦闘。

 彼女そのものは軽かったが、互いの服がドブ水を吸って、名残惜しそうに汚濁と絡み付く。


 肉体強化さえ満足に出来ない彼だったが、魔法によって操った廃棄物の助けを借りて、なんとか地上に登り、窮地から脱する事は出来た。


 彼女の様子を窺う。

 溺れていないかを心配したが、水を吐きながら脚を抱き寄せ丸まったので、死んではいないとホッと胸を撫で下ろす。


 ここは貧民街を流れる、ドス黒く濁った川の下流。

 どこかの道路の下だろうか?頭の上から時折、タイヤと排気の響きが落ちてくる。

 

「う、ぐ、フー…ッ!フー…ッ!ウッウッウッ…!オェ……!」

 

 右の脇腹を抑える。

 服にコイン大の穴が開き、その下の皮膚は汚泥が蠢き塞いでいる。


 彼の魔法は、排泄物、廃棄物に触れて、自分の一部のように使う。

 こうやって傷を埋めたり、臭気を催涙ガスみたいな濃度にして放出したり。

 「カエル」というあだ名が定着しなければ、「スカンク」とでも呼ばれていたのかもしれないと、彼は偶にそういう益体も無い事を考える。


 衛生環境最悪な“生家”の中で、彼はこの能力によって生き延びた。

 それが無ければ、スリ傷からバイキンが入ったりして、年齢2ケタに満たずに動かなくなっていただろう。


 さっき、

 45口径で撃たれた時、

 ローマン達が便所やゴミ捨て場にしていた水流に、その力を当てにして咄嗟に飛び込んだ。

 そして、流れる汚物に自らを守らせ、安全な所まで運ばせたのだ。


 撃たれた瞬間は色々と頭がいっぱいいっぱいで、痛みを感じる暇が無かった、というか当たった事に気付く余裕すらなかった事が、逆に功を奏していた。そうでなければその場に尻をつき、這い逃げる事すら出来なかった。


「フー…ッ!クフー…ッ!」


 尾を引いた痛みだけでも、耐える為に入る力で尿やら便やらを漏らし、こうやって落ち着くのに時間を食う。

 上位のディーパーは時に、意図的に手足を犠牲にするらしいが、彼の想像の埒外にある行動だ。


「………」


 激しい、と言うより、内からゴリゴリと削るような苦しみが過ぎて、それに伴う吐き気も引いていく。壁に手をつけば、なんとか立ち上がれそうだった。


 彼女の方はどうか。

 そこでようやく、彼女が撃たれて、彼と同じく声も出せずに苦しんでいるかもしれないという可能性に気付き、慌てて体を調べようとして、その指先が宙を迷い、


「だ、だ、だい、じょうぶ……?」


 最終的には声を掛けるに留まった。

 それで返事が来なければ、拒絶なのか答えられないのか、結局判断出来ないと気付き、どうしようかと途方に暮れていたが、


 彼女が何事か、ボソボソと呟いた。


「え、え……?」

 

 吐息にも紛うそれに、彼は耳を近づけて聞き出そうとして、


「いまもいつもよよにいたるまでそうあれかしわれはしんずてんとちとあまねきをそうぞうせしぜんちぜんのうなるちちをまたしんずゆいいつのちちのおひとりごたるすくいのしゅをしゅはてんよりくだりせいれいによりてきよきせいぼよりおからだをうけひととなりたまえりて——」


 耳に馴染まない言葉の羅列に突かれて顔を離す。


 純白だった修道服は穢れを飲み溜め、今や黴だらけの浴槽のように淀んでいる。

 その下にある目蓋は、力を籠めてきつく閉じられており、盲人には必要の無い筈のその力みが、彼女の恐慌の度合いを饒舌に語っていた。


 彼女は、怯えているのだろうか。

 それとも、許そうと努めているのか。


 それは分からなかったが、ここに置いておけば、いつか死ぬだろうとは理解出来た。

 こういう場所に慣れていて、それに適した魔法を持っている彼と違い、彼女は飴細工みたいに脆く見える。


 そしてローマンであるから、そこらの道端で助けを待っていても、見捨てられる可能性が高い。

 この街にはディーパーばかりで溢れているから、彼女がローマンだというのは隠せないだろう。


 どうにかできないかと考える。

 どうにか?

 彼女を巻き込んだのは彼だ。

 ローマンは人間じゃないんだし、それがどうなろうとどうでも良かった筈だから。


 それなのにこうやって、組織に逆らってまで連れ出している。

 助けたい?

 何を今更。

 それならあそこに住んでいたローマン全員に、慈悲を恵んでやればいい。


 そうしないと言うなら、それは優しさや憐みじゃない。


 助けられたから?

 匿って貰えたから?

 その借りを返す為に?

 それなら彼を拾って育てた、あの組織を裏切る不誠実さと、話が合わない。


 彼はどうして、あのスタジアムを抜け出して、あそこに戻って、彼女の手を引いたのか?


 戻す。

 そう、

 戻そうとした。


 元の位置に、置いておこうとした。


 ボスがよく、共有物は使ったら元に戻せと言っていた。

 だから、彼女もそうする。

 なぜ?

 彼女は組織が所有する事を決めたから、あの小屋が居場所になった。

 戻すなら、あそこだ。

 

 どうして彼は、アパートに送り返そうとしたのか?


 びゅう、

 ノック、ノック、


 振り返る。

 何も居ない。

 そこにはそもそも扉は無い。


 聞こえた気がしただけ。

 風は……外が寒いから、吹いているだけだろう。


「か、かえ、り、たい……?」


 愚鈍な彼は、自分の事を何も分からず、自分で何も決められず、判断を彼女に投げようとした。

 だが彼女は、聖句を機械的にリピートし続けるだけ。

 その人をどうするかを左右出来るのは、彼だけだった。


 彼は——


——()()()


 そう思った。

 何か面倒で、大変で、取り返しのつかない事ばっかりだけれど、

 ボスの命令を果たせず、兄貴分の一人からは撃たれたけれど、


 全部、全部元に戻れば終わるのじゃないか?


 彼女は彼女の家に、彼は下っ端の半人前に、

 それぞれ本来の場所に戻るだけ。

 

 たかが大会一つ荒らせなかったくらいで、ボスに殺されるわけじゃない。

 失望されるし、罰は受けるだろうが、元から彼の居場所は底辺、一番下なのだ。

 もう欲張らない。

 それでいいじゃないか。

 どれだけ下に見られていても、罵られ唾を吐かれても、家族が居て、食い扶持があって、死にはしなければ、それでいいじゃあないか。

 

 彼女についても、別に本気で欲しがっているわけではなく、「あったから拾った」程度でしかない。

 わざわざ拾い直したいとも思わない筈。


 戻せばいい。

 元の位置に。


 彼は決めた。


 その為にまずは彼女を連れて、あのアパートに行かなければ。


 目的地はうろ覚えで、現在地もよく分からないが、大体の行き方は分かる。

 

 あそこはルデトロワから東に出た先。


 東に行けばいいのだから、


 つまりこの川を更に下った先に、

 

 湖に行けばいいのだ。

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