395.「大人になる」ってこと
それが何であっても、妥協と修正というものが必要な時もある。
理想が高い時こそ、一歩一歩地に足を着けてやって行くのが良いだろう。
がけ崩れに直面したら、スピードを上げて下を潜るより、焦らず落ち着いて回り道、それが大人だ。
そうだ、彼は大人だ。
一人で考えられる。
一人で決められる。
一人で命も奪える。
思考を奪われていない、自立した人間だ。
何も分からず、何も知らず、ただ漫然と今を過ごし、その全てが当たり前にあるものだと思っている、そんな“一般市民”共と違って、彼は何もかも分かっている。
鉛玉を呑んだ“商売道具”に、「違う所あるか?」と上着の外から問えば、「その通り」と重みで頷いてくれる。
やっぱりだ。彼は間違っていない。
妥協が出来たから、あの警官と協力できたのだ。
呪わしき白肌の一人だが、国の“教育”の反動で馬鹿になってしまった男。
平等を求め、それが可能だと本心から信じている、純粋培養、純然たる狂人。
ああいうのは、どこにでも居る。
文化や関係性を考慮に入れず、この地球の全ての人間が仲良しこよし、坩堝のようにドロドロ溶け合って、同じになって平和に暮らす。
「あなたと私は違う」、それが戦争を生むと言うなら、「あなたも私も同じ」、みんなでそう言えばいいじゃないか、と。
それを夢見て、食い違う現実に会って、そこで収まりきらず、情熱が攻撃性に転化する。
例えば嫌い合って、距離を取り合っている二者を無理矢理触れ合わせ、関係を拗れさせる。
例えばどこかのモニターやスクリーンで、求められないが故にあまり映らない人種を探し出し、画角に無理に捩じ込んで、無関心を悪印象に変える。
「この人は皆と同じですよ」、そう叫ぶ度に、当事者の間では悪感情が強くなる。
真正の馬鹿だ。
人間が、皆同じなどになれるものか。
人間の本幹は、「俺は他の誰とも違う」、でしかない。
それが無いと人は、どこかで欠片でも残るよう祈りながら、遺伝子を撒き散らす機械になってしまう。種を撒くスプリンクラーみたいな、間抜けなマシン。
彼は少なくとも、そんなのは嫌だった。
彼は、他の誰とも違う人間で居たかった。
ともかく理想論者達は、想像力が足りないが故に、それが人類共通の悲願だと頭から決めている。
全ての人間が、他と同じになるという願望に、それぞれ自ずから辿り着く。
まだそうなっていないのは、考えが足りなかったり、欲に目が眩んで見えていないだけ。
遠回りしてもゴールは同じ。
彼らはそう思っている。
そして目醒めさせ、気付かせてやろうとするのだ。
正義感と親切心から、この世を平らに均そうとする。
その道具として、まず他から邪険にされている「使える」“種”を、探し出そうとする。
貶められているから優遇されるべき者達と、恵まれているから冷遇されるべき者達。
その二つに区分し、前者に後者を攻撃させる。
「これだけ違うように見えても、違ってなんていないんだぞ」、そう言ってやりたいから。
それを見ていると、彼らが一番、人を選り分け、凹凸を強調する意識が強いと、そう見えてしまうけれど。
そのせいなのかどうなのか、ああいう事を臆面も無く言い切る人間に限って、「個人主義」を神聖視する奴が多いのだ。
人間を一つの基準で統一してしまう、「個」とは正反対の同調圧力の持ち主でありながら、「自己責任」だとか「人それぞれ」だとか、そういうのが大好きなのだ。
一つの頭の中で完結した、狭い狭い理想世界を押し付け、全員がそれに倣うよう求めながら、同じ口で「あなたはあなたで良い」だとか、「私は私らしくありたい」だとか謳う。
「あなたと違うこの人を許せ」、「何故ならこの人とあなたは同じだから」、ぐるぐると同じ場所を回る論理は、そのうちにバターにでもなってくれるのだろうか?
誰にでも自由になる権利があると教え、けれど自分の思う通りにしなければ詰って直させようとし、嫌がる者にも行動を強制する、無法の理の使い手。
同じだと言う為に、違いを見せる。
違いを認めろと言いつつ、同じにしようとする。
何故そんな、甘党を辛味漬けにするような、嫌がらせみたいなことを、善意でやれるのか?
頭が悪いからだ。
「平等」を是とする事に特化した、脳を萎ませる統制が、自己矛盾にすら気付かない、生ける屍を量産したからだ。
あの男は、その矛盾に折り合いがつけられなかった、妥協が出来なかった、“ガキ”である。
納得いかない、そうならないのはおかしいと、空ばかり見て歯を軋り、運良く躓かなかったせいで、変われなかった幼児である。
正義が必ず為される、全力で上手くやれば時間さえ要らない、そんな短絡的結論を信じている。
必要なのは、きっかけ。
少しだけ強過ぎるくらいの、社会的ショック。
眠れる者共を起こす時、頬を叩いたり肩を揺さぶったり、外から力を加えるのと同じ。
ちょっとばかし過激な事でも、それが人類正義に必要なのだ。
例えば、
白い肌の警官が、誰かの肌が黒かった事を理由に、引き金を引いたなら、
みんな、気付くだろうか?
この世界が悲惨で、今すぐ変えなくてはいけない事を。
警官を含めたSNS上の“同志”達を、そのアイディアへ誘導したのが、彼だった。
そういう馬鹿が最も嫌いだったが、それを堪え、励まし煽て、協力者として利用して繋がった。
いずれ必要になる時があるだろう、そう見込んで、妥協した。
そいつを使って彼がやろうとしているプランは、もっと刺激が強く、シンプルだ。
彼が思い出させるのは、「ディーパーは普通の人間と違う」、「より優れた人類なのだ」、それだけだ。
そこに矛盾は無い。
人はそれぞれ違うだろうが、ディーパーに勝てる人間などいない。
銃を持てば殺せる?ならばディーパーも銃を持つだけだ。
警察も軍もほとんどがディーパーなのは、殺し合いで誰も勝てないからだ。
殺し合いが強いとは、この世で最も偉いという事だ。
皆が懺悔し、ひれ伏し、足下に縋りつく。そうならない奴が居ても良い。ただぶち殺してやるだけだから。
「死人に口なし」。
どれだけ正しい事を言える奴でも、殺されたらそれを言葉に出来ない。
最も重要なのは、殺されない事だ。
それに必要なのは、ディーパーだ。
それが普通だ。
それが正しいのだ。
残念ながら、居眠りの頭を何度も蹴りつけられる、それくらいの衝撃と恐怖が無いと、人はそれを思い出せない。
白肌への不信、警察の不審、それでは足りない。
完膚なきまでにディーパーを恐れる、そんな空気が必要だ。最低でも、街一つを灰にするような恐慌が。
ただ殺させるのでは駄目だ。
戦争を、大崩乱を起こさなくてはならない。
その為に、除かなくてはいけないのはなんだ?
「………」
こいつだ。
移動中の車内、彼の横の座席で震えている、この青年。
こいつは一人で一組織を終わらせられる。少なくとも、周囲はそう思っている。
それが嘘か真か、そんな事はどっちでも良い。
「そう思われている」のが、問題なのだ。
今最も無用の長物であるものが、抑止力だ。
平和の待ち針、ピン留めとなる武力。
こいつが、いらない。
外套の内側、殺す為に生まれた兄弟を、ひんやりと指先で感じながら、彼は思案を重ねる。
どう取り除く?
ただ殺すだけなら、今すぐできる。
こちらを信頼しきっているそいつの後ろから、頭に穴をもう一つ開通して終わり。
が、傍から見て意味不明なのはよろしくない。
他組織は警戒を続け、手を出して来ないかもしれない。
それならもう一つ、もっと良い使い方をする。
こいつにも殺させて、白昼堂々死なせる。
レイクサイドの不可解な壊滅が効いたか、幸いにも大会の警備強化という決断は下され、ネズミ警官が会場に出入りできるようにはなっていた。
その手でこいつを内に招き入れ、まず何人か非ディーパーの頭をトばす。
それを合図に警官が次々と黒肌を撃つ。
「前々から黒肌が気に入らなかった」、「目の前で彼らの凶行を目撃し、とうとう嫌悪と怒りを爆発させる」、そういう筋書きだ。
警備は分厚い。実行犯二人は確実に死ぬ。
だから誰も答えをくれず、好き勝手な疑心暗鬼が雑多に溢れ出す。
警官の友人達が起こす手筈になっている抗議デモも、その一つだ。
二人のディーパーの暴走、内一人は守る側であった筈の警官。
ディーパーが言う事を聞き、法の番人が保つ事で持っていた平和、その箍が外される。
階級闘争も民族間抗争も起こる。
暴力の傘の下に隠れ、安心を得る社会の再来。
そう、シナリオが最初の計画まで戻って来た。
幾つかの「妥協と修正」の末、当初の予定と同じ結果を起こせる。
そう、戻っている。
彼は妥協出来ている。
彼は現実が見えている。
そうだ。彼は戻せているのだ。
計算外があって当然。それでも軌道を戻せたのだ。
だが警官一人だけの力で、観客席までこいつを通せるのか?
こいつが言った通りの事をやってくれるのか?
先にただならぬ雰囲気を察知され、被害ゼロで取り押させられたら?
そうやって何も成功してない状態で、他組織が連帯して報復しに来たら?
成功したとして、他組織がそれで本当に立ち上がってくれるのか?
暴動や戦乱がちゃんと始まってくれる保証は?
白肌達がポカをやらかしてマッチポンプだと露見したら?
全てが上手くいった後の世で、彼は生き残れるのか?
彼は、「妥協」する。
それについて、今は考えない。
もとより賭けなのだ。
そうでもしないと、何もせず死ぬだけなのだ。
失敗の可能性は、どこにでもある。
やらないという選択肢は、ここに無い。
そう、妥協だ。
これは彼が大人だから、妥協しているだけなのだ。
間違いは無く、可能性の話だけだ。
「カエル……、お前は——」
——裏切らない
裏切らないのだ。
こいつがやるのだ。
コートの裏から飛び出る隙を、腹を鳴らして待つ相棒も、同じ事を言っている。
どんな化け物も撃てば死ぬ。
どんな国でも殺して壊せる。
後は弾を、どこに何発ぶち込むか。
それさえ分かっているのなら、巨大な怪物をそうしたように、彼は仕組みを討伐出来る。
これで、良い。
これを、使え。
世界を変えろ。
俺を、放て。
銃は、権利なんだ。
弾圧する側を倒せる、自由が装填された武器。
気に入らない事を変える、選ばれぬ者達の裁量なんだ。
お前の賭けには、勝てる目があるのだ。
だから俺を、
俺で、
撃て。
殺せ。
撃ち殺せ。
懐に棲む奴が、そう言っている。




