347.見えずともそこにある、知っていた筈だったのに
「アイツ……!」
来宣志摩子の声からは、安堵も達成感も聞けなかった。
「何てヤツ……!?」
「どうした…?」
水に手を浸け再度の演算を開始していた極辷が訊ねる。
「スベ君、急いで…!ブキちゃんは私達を守って…!」
〈増援ですか?確かに落雷の恐れが無くなった段階で、彼らはすぐにでも〉
「そうじゃない。そうじゃないの」
彼女の視線の先は、新手が来るであろう明後日ではなく、ついさっき二人の男が落下した場所。
そこは単なる流れの一部となって、今や特別な目印すら残していない。
救命士のような恰好をした医療班が、担架で政十達を回収する為に寄っていたのだが、しかし何かに手間取っている。
いや、困惑している、というのが正しいだろうか?
電流によって身体活動が停止している人間が、そこに沈んでいる筈。
だと言うのに、手をこまねいてウロウロと右往左往している。
彼らは少しして、一番近い岸まで、何かを追うように移動して、
そこに一本の手が掛けられた。
ボディースーツの素材で完全に覆われた右手。
それが引き上げたのは二人。
一人はその首にダンジョンケーブルが巻き絡められ、水中から出ると同時に全身が動かせなくなった。
安全な場所に来た事でセーフティが解除。脱落者の行動停止措置が執行されたのだ。
「ばんじ、かいけつ…!」
もう一人はそれを確認してから腰の装置でケーブルを巻き取って、
「ひゅ、ぅぅぅううう…っ!」
ぎこちなくだが、左手を前にして構えた。
〈な…!?なん、な…?にゃ、なん……っ!??!〉
「あ、いっ…!?なにィッ…!?」
ぐにゃりと、
世界がそいつを中心に置きたがるように、レンズ状に歪んだ。
その小柄が、大きさを増していく。
身の毛の奥から沸き立つ震撼。
極辷と寿は、あともう少しで魔法構築すら手放す所だった。
そんなわけがなかったからだ。
そんな事になるわけがなかったからだ。
「落雷の時は、車の中に入ると安全、っていうアレよ…!」
振動によって、水中で起きていた事の概略を掴んでいた来宣。
だが理屈は分かっても、戦慄を禁じ得ない。
「あいつは、自ら底まで降りて、魔力爆発でスペースを確保した…!その後は力の流動を使って、自分の上を水流が滑り過ぎていく、蓋や屋根みたいな状態を作ったのよ…!」
車の表面の金属から、タイヤを伝って地面へ電流が逃げていく。それによって、雷が落ちても運転手が無事なのと同じように。
彼ら二人と水との間には、魔力爆発で作った負圧層が挟まっていた。
落雷のエネルギーはほとんどが彼に触れなかった。
勿論政十は彼の狙いを理解したその時、自分から水に触れるか、新たな電流を発生させようとしたのだろう。
だが動揺によって力加減を誤り、肉体の守りに意識を割けなくなったその時、魔力で把持されたダンジョンケーブルと、その表面の回転刃が彼の首を襲った。
窒息なのか出血なのか、どちらの判定かは不明だが、脱落は脱落。
それ以上余計な動きを、攻撃と見做せる行為を認められてしまった時点で、反則によって天上パーティーの敗北が確定。
だから彼は見ているしかなかった。
カミザススムが雷を避ける、その瞬間を。
「スベ君……急いで……」
「やっている…!やっているが…!」
〈…っ!!〉
寿はすんでの所で言葉を呑み込んだ。
だが極辷にも、その震えだけは伝わってしまった。
音によって、彼女には知覚出来たのだ。
今彼らの周囲から、水面を散らし演算を妨害しつつ、その身をへし折らんとする、不可視の力が迫っている。
完全詠唱がギリギリ成立したとしても、逃げられない。
それに色を付ける雨は無い。
彼の気を引ける物も、もう無い。
そして、
爆発。
小さな海底火山でも生まれたかのように噴き出す水土。
横殴りに水面から遠ざけられる3人。
押し遣られた先で次なる爆発。
極辷の脳を震盪させ——
「………?」
彼の頭を打ったのは、ちょっとした突風だった。
それだけ。
それだけしか、発生しなかった。
進は不思議そうに、口を半開く。
その唇に朱が差される。
染料は、鼻の穴から流れ落ちていた。
さらにバイザーの下から、左右二筋、同じ色が垂れ漏れる。
彼は今、一転して真っ暗闇の中に居た。
そこで感じられるのは、音だけだ。
音。
視覚も触覚も嗅覚も味覚も、何も無いのに、
水を打ったような静寂の中に、
その音色だけは聞こえていた。
「DOS…!本当に……!」
来宣達は理解した。
その時が漸く来た。
計略は成ったのだ。
「日魅在君の情報処理は行き過ぎるとオーバーフローを起こし、行き倒れてまう。どうしてもあかんくなった時は、それを狙うんや。名付けて“DOSアタック作戦”やな」
政十が立てた作戦の中で、最悪のパターン。
自爆特攻であっても、カミザススムが倒せなかった時。
それでも縋れる最後の希望が、奴の活動限界だ。
「つってもよ?一度やり過ぎてぶっ倒れてんだゼ?感覚的に何処が限界か学習して、ギリギリになって解除するってのも、考えられるんじゃねえか?本人にその気は無くても、防衛本能が働いたりとかよ?」
伝馬の憂慮は尤もな内容だった。
彼が自身の感覚を暴走させる、それを頼りにするというのは、最終手段だという事を差し引いても、希望的に過ぎるのではないか?
「せやな。確度が足りん。ちゅーわけで、日魅在君に自分の限界を誤認させる、その仕掛けが無いといかん」
「考えられる手としては…、そうと自覚させず、何らかの情報を読み込ませること…」
「ふわっふわしてますねぇ~?そんな都合の良い『情報』なんて、ありますぅ~?」
「それなんやがな?………」
「………」
「………」
「………?」
「あるんやこれが」
「だから何で溜めるのよ」
政十はこれまでで最も力強く、自信を漲らせ言い切った。
「ワシらが一番ツイてたんは、それが使えるって所や。分からんか?」
「皆目見当付か不。五里霧中」
「わからんかー!まだまだやな自分らー!」
「腹立つわね。さっさと教えなさいよ」
「音楽や」
「日魅在君には音楽に耳を傾けて貰う」、
政十は来宣と真っ直ぐ目を合わせ、そう言った。
「音楽…?」
「せや。志摩子の能力で、琵琶をちょくちょく敵に聞かせておくんや。あちらさんの意識の背景に、自然に溶け込ませる」
「確かにそれなら、違和感なく聞かせる事は可能です。ですが、分析するまでもない情報として、右から左に流される事も有り得ます」
カミザススムの目を回したいなら、「聞く」のでなく、「聴く」ようにしなければならない。
「その点はなーんも問題あらへん」
「何故です?」
「志摩子の演奏や。余程の無粋でもあらへん限り、聴くやろ」
魔法という分野の外、芸能の領域における能力への、絶大な信頼。
それを抱ける相手との共闘。その事実こそが、彼に勝利を確信させていた。
「つまり、自覚しないうちに曲に心奪われたカミザススムが、自分がそれを聞いているという事自体を忘れる、と、そう言っているのか……?」
「せやな。これならそれ以外の作戦と並行して進められる。やり得や。なあんもツッコミ所の無い、完璧な作戦やろ?」
「………ああ、そう、だな…?」
「ご馳走様でぇ~す」
何故か合掌する此云慈を尻目に、政十は来宣に依頼する。
「志摩子。この作戦で、頭ん中が一等ややこしくなるんは自分や。まず可能か不可能かを訊かんといかん。その上で、可能だったとして、ワシは自分に」
「やるわよ」
来宣は何の葛藤も見せずに、日常会話のように答えた。
「ついでにあんたにも聞かせてあげるわ。いつもみたいに」
「悪いなあ。楽しみやわ」
だから政十も、これまで演奏をねだった時と、何ら変わらない礼を言った。
進は、果たして彼の思った通り、それを聞き流せなかった。
表層意識では早い段階で、無意味な情報の羅列として、処理を後回しにしているつもりだった。
だが深層では、耽賞せずにはいられなかった。
戦場の内装が雰囲気に合っているという偶然もまた、天上パーティーに、来宣志摩子に大きく味方をした。
酷使に焼き切られた脳で、そこまで理解したのかどうか。
進はその場に佇んでいたが、腕の力をぶらりと抜いて、それでも一歩を前に踏んで、しかしそこで硬直してしまった。
睡魔に誘われ船を漕ぐように、首輪が赤い単眼を瞬かせる。
実戦であれば死亡するのに充分、そう言える深さの失神と判定された。
第142回、全国ギャンバーU18トーナメント大会。
準々決勝、明胤パーティー対天上パーティー。
開始から6分32秒。
日魅在進、脱落。
政十が降らせ、フィールド内を流れる、一時限りの川。
それはまだ、あと少しの間、残り続けるようだった。
極辷はそこに駆け戻り、演算を再開始。
地点雷撃の政十は居なくなった。が、小鶴達による遠距離攻撃と、桃による回復能力の二つを持ち、格闘も防御も高水準な寿が残っている。
極辷の完全詠唱効果によって、奇襲は決め放題。
それが成立するまで、寿は二人を守り続ける。
例え残ったのがルカイオスの三男だったとしても、対策はある。
あと2手で、決まる。
その後は、敵は王駒を動かし続けるしかなくなり、そしていつしか詰む。
そして、
来た。
風を切る音。
速い。
このスピード、やはりルカイオスか。
寿は二人を守るように、そちらを向いて立つ。
カミザススムはもういない。
未知の脅威は除かれて、恐れが生まれる由は消えた。
大詰めを、確実に。
それだけの余裕と士気があった。
彼女は翼を広げ、薙刀を構えて、
——小さい……?




