340.何故かと言えば、食べたがったからだ part1
事の発端はと言えば、彼女の食い意地が張っていたからだ。
此云慈契は産声を上げた時から、体重5kg程度の丸々太った赤ん坊だった。
ミルクも離乳食も恐ろしい勢いで吸い上げ、園児時点であらゆるカレーを飲み物と認識していた。
好きな物は蛸部分が大きいたこ焼き、嫌いなものは食べられそうで食べられないもの。
生肉だとか毒キノコだとか、目に入れると腹が減るのに、それを満たす事は出来ないから。
女慣れしない男子が、思わせぶりな態度だけ見せる女性に血涙を流すように、彼女は一見食べられそうな生物達を憎悪した。
将来の夢は動植物博士だったが、それは食べられる物とそうでない物を瞬時に見分け、無駄に腹を空かせない為である。
そこで「料理人」に魅力を感じなかったのは、自分では食べてはいけない食材を誰かに提供し続ける、その神話的拷問に耐えられる気がしなかったから。
彼女の食いしん坊振りは、そこらのファッション大食いと違い、筋金入りだと本人は得意顔だ。自慢できる事かどうかは、議論の余地がある所だが。
とにかく、全ての始まりは食い意地だった。
彼女がその日、夏休みの自由研究の為に、大きめの自然観察公園に遠出したのも、将来腹を空かせた時の備え、その一環だった。
潜行者となっている今を見れば分かる通り、彼女はダンジョン発生に立ち会った。
と言っても、軽度漏魔症にすらならない距離に、浅級が発生しただけのケース。死者すら出ずに、3面記事一枠分を埋めて終わった事件だ。
彼女もそれで、進路がどうのと考えるつもりは無かった。
が、彼女の腹のあさましさを知っていた祖父が、助言のつもりで誘惑を吹き込んだ。
「チギリちゃんは腹一杯に食っとかんと、すぐに餓え死ぬやろ?やったら、飯をぎょうさん盛れるくらい、稼げる職を目指しんさい」
目から鱗。
逆転の発想。
確かに、野草でも食える物なら口に入れる覚悟をしていたが、そもそもどんな時にも腹一杯に出来る富さえあれば、その選択が必要になる可能性を大いに下げられる。
そして潜行者は、世間的な目や生死の垣根の低さこそ厳しいものの、食い扶持には困らず収入は安定しているとされる。
強いパーティーの一員になれればガッポガッポ、何かの拍子に深化すれば更なる収入アップ。能力によってはダンジョン潜行を引退した後も安泰。少なくとも学者と比べれば期待値は高い。
そしていざディーパーになる事を考えてみた時、最大の利点が見つかった。食べ物が無くなった時、狩れないから食えない、栄養と共に毒素も持つ、そういう奴らを無理矢理食う事も、魔力や魔法だったら可能かもしれない。
此云慈は一念発起、有力潜行者志望に大転向を遂げるに至った。
思い立ったが吉日。
彼女は猛勉強と猛特訓に明け暮れた。
元々漠然とではあるが学者を目指していた事もあって、学力は高かった。
地元の潜行者訓練場に通い詰め、バリバリに目立った活躍をしようと年上さえ押し退けた。
彼女とはまた別の理由で、彼女と同じ野心を持つ者達が居た。
互いにギラつく眼光を撃ち合い、怯まず喰らいつき合った。
努力が実り、あの天上高校へと内部進学が可能な、天上附属中学校への入学が叶った。
そこには、天上高校と共同で作られている、ギャンバー部が存在している。
天上高校は西丹本の名門であり、甲都や丙都の名家や、新興の金持ち子女が集まる所とされる。更にはあの政十が持つ私兵部隊は、そこに通う生徒達からスカウトされると、まことしやかに語られていた。
これまで通りの調子で、高校生にだって負けない所を、その舞台で見せる。
権力者や富豪の目に留まって、いざ玉の輿!とはいかないまでも、覚えが良ければコネクションとなり、職や地位向上に繋がり、後々に手に入る財を増やす事に繋げられる。
小学生時代からの宿敵もまた、同じ道に進んで来た。
だが、勝つのは彼女だと、その自信があった。
彼女の夢は、思っていたほど遠くないように見えた。
そんな時だ。
「そんな調子じゃ、いつか死んじゃうわよ?おバカ」
彼女があの、腹の立つ先輩に出会ったのは。
来宣志摩子。
此云慈から見て三つ上。
眼鏡を掛けた真面目ちゃんで、典型的委員長気質。
来宣家の生まれで、政十家へと嫁入りが決まっているらしく、生まれながらにお腹いっぱい食べられる事が確約されたような少女。
此云慈は当惑し、反感を抱いていた。
彼女が欲しい物全部、もう持っていたから、それ以上向上する余地が無いように見えた。
天辺に居座りながら、同じ高さまで到ろうとする、上り調子の後輩をいびる。不毛であり、軽蔑して然るべき相手だと思っていた。
転機は1年もせずに訪れた。
中級ダンジョンを使った実戦訓練中、一部の生徒が逸った結果、事故が起こった。
分不相応な深層に挑み、一つの群れを完全に処理したかの確認を怠ったまま、イケイケドンドンで先に進んで、いつの間にか大群に囲まれる事となった。パニックとヒステリーで指揮系統は乱れ、パーティーとしての動きが崩れ、生え抜きのディーパー達は騒がしい肉の塊へと堕した。
付き添いの教師の奮闘によりどうにか死者数ゼロで収束。だが帰還時、四肢欠損など当たり前、魔法で延命されているだけで虫の息、という者まで居た。
高度な能力で体は治っても、大きく深い傷痕は残る。
暗所・閉所恐怖症を始めとしたPTSDによって、その時のメンバーの過半数がダンジョンに潜れなくなった。それは守る側だった教師も、いや、彼の方がより深刻だった。
背中を預ける仲間を亡くした経験はあっても、将来有望な守るべき子ども達が、次々に戦意を喪失し泣き叫ぶのを見るのは初めて。その潜行者を育成する側の通過儀礼が、ほんの少し他より強烈だった。
辛くも全員を救えた彼は、しかしその後も無力感に苛まれ、毎朝誰かの命を取り溢す夢を見てから醒めるのが日常となった。
此云慈はその一員ではなかったが、彼らはその潜行に参加して、心が折れてしまった側だった。
「彼ら」。
将来のエースの座を巡ってライバル視し合って、目の上の瘤としていがみ合う一方、なんだかんだで切れる事のなかった腐れ縁。
いつか明胤にすら勝って、大々的にその名を轟かす。その一員にしてやっても良いと、憎からず思っていた相手。
張り合いがなくなった、と言うべきだろうか。
彼女は何故か、やる気を失った。
その頃の彼女は、白飯を一杯もお代わりしなくなった事で、家族から酷く心配されていた。強いディーパーを目指す意味が、揺らいでいたのだ。
あれだけ好きだった「食べる事」にさえ食指が動かず、でも、どうせお腹がそこまで空かないなら、もう沢山稼ぐとかどうでもいいかと、そんな事まで思い始めた。
モチベーションを喪失した彼女は、得体の知れない倦怠感から逃げるようにして、ギャンバー部を辞める事を部長に申し出ようとして、
「あ、やっと来た」
向かった先、部室である視聴覚室で、来宣が琵琶を携え待っていた。
「あなたに聞きたい事があって、待ってたんだけど?急にサボるのやめてくれない?」
此云慈の心内など知った事ではないと言うように、彼女は淡々と目的を果たした。




