338:作戦その1 part2
水面に波紋が広がっていく。
烈しい雨と洪水の中でも、それを上から見て取れた。
鯱の姿になった辺泥が洪水に手を触れ、縦波を、高周波振動を発生させているのだ。
〈液体状のデータ記憶媒体化。微小な粒子の配列パターンによって情報を保存する手法、ネ……〉
敵が使う魔法、その原理に心当たりがある。
液体や気体への変身魔法。
肉体に何かを足すのでなく、完全に変換してしまう魔法。それでいて不可逆でなく、魔法解除と共に元の状態に戻ってしまう。
諸々理解困難な能力だが、分かる事もある。
少なくとも元の肉体は、どこかに変換記憶され、保存されているという事。
変化した後と変化する前とが保持され、繋がれ、どちらの体も自在に操作する、それを可能とする莫大な情報量が必要な筈。
それを端緒とした人類が、数百年に亘って真相を引っ張り出していった結果、「飽くまで辻褄が合う仮説」というエクスキューズ付きではあるが、次のような理屈が組み立てられるに至った。
曰く、水に溶けた微小粒子がその正体。
従来のコンピューターにおける、ハードディスクのような記憶領域。それは突き詰めると2進数になる。
簡単に言えば、Aという物を覚える時に、「はい」か「いいえ」の2択問題を気の遠くなるほど繰り返し、その解答パターンを丸暗記するというやり方だ。
これに対し、一度の質問の選択肢を増やし、Aを特定するまでの質問数を大幅に減らす、という手法が存在する。
全体として記憶出来る質問数が同じでも、一つ一つに割く数が少なくなれば、覚えられるデータの数が増えるのは当然。
例えば4回の質問を記憶できると考えてみればいい。
2択質問なら、パターンは2を4回掛けて16通り。つまり16個しか覚えられない。
これが4択になったら?4の4乗、256通り。
その違いは明らかだ。
この「択数が多い質問設定」をする事で、より膨大なデータを覚えられる機構として注目されているのが、液体中に浮遊する微粒子を使う技術である。
一つのナノ粒子の周りを12個の粒子が囲んだモデルで、表現できる配列パターンは800万通り近く。敢えて言い切れば、800万択質問が可能。PCの400万倍だ。
そして液体の中を浮かせる事で、小さなエネルギーによるスムーズな配列の組み換え、これを実現するとされる。
目に見えないたった13粒が、一塊あるだけで約23ビット。
それらが全体の3%を占める液体が、スプーン一杯で1TB。「テラ」とは1の一兆倍を表す。
一般的なハードディスクでは、全体で1TBあるなら、「大容量」の部類にカテゴライズして問題無い。
そういった事実から見れば、如何に尋常ならざるデータ効率をしているか、分かる事だろう。
肉体変換型魔法、とりわけ液体化・気体化魔法は、これを行っているのだと見られている。
肉体を液体型データ保存媒体に変身させ、その変換処理や新しい体の操作に必要なエネルギーとして魔力を使う。そういう魔法なのだ、と。
〈どういう条件で見えやすくなるかは知らないケド、見えないなら見えないなりに攻撃を当てる事は出来るワ……!〉
極めて速い振幅は、高出力によって広範囲に影響を及ぼす。
リボンが4本とも水に付けられ、その主は目を閉じて何かを感じ取ろうと集中。
更に周囲の崖や植物、積まれた石や構造物の類が、犬と狼の眷属によって、手当たり次第に壊されている。
〈粒子の配列が重要なら、揺らして壊してしまえばいい……〉
否、その破壊は完全なランダムではない。
彼らを中心に囲い込むような地形を作り、ぐるぐると渦を巻くような水流を作る。
〈流れに乗って逃げるなら、それを閉じてしまえばいい……!〉
粒子配列を決まった通りに形作るには、余計な振動や割り込んで来る不純物が邪魔になる。
魔力で固着を維持し、読み込みに支障を来すような物質を除去し、それらにエネルギーや処理能力を使っていると、魔力を使い果たしデータ保存が困難になる。
結果、呑み込み切れなくなった物を、元の形で排出するしかなくなる。
変身は解け、奪われた物は戻って来る。
〈本当に、ツイてないわネ…!アータ達…!アータ達がやってる事は、雲日根を擁する八志教室では、常識中の常識ヨ……!その対処方法まで含めてネ……!〉
変身能力の中でも、液体化・気体化を使う者は稀である。人の意思や発想を原点とする「魔法」というシステムにおいて、イメージのしにくさと実現しにくさはイコールである為だ。
幾ら潜行界の名門同士とは言え、雲日根と極辷、この二人が同世代であるというのは、奇妙な巡り合わせと言えた。
確認するまでもなく、天上高校には不都合な偶然だ。
〈どうするかしら……?アータ達は、あたしの振動相手に形を保とうと、接着の為に力を掛けてる。その状態でこの流れから外れて、それか逆らって逃げようとして、追加でエネルギーを発生させたら?幾ら微小粒子の集合とは言え、それが発する魔力の気配を誤魔化す事は、モチロン不可能…!〉
詠訵三四のリボンに見張られている、この状況下においては特に!
〈カミちゃんはまだ脱落してないワ!なら内側でやんちゃに暴れてくれる筈!このまま身を潜めて削れていくのと、一気呵成の勢い任せに飛び出すのと、アータ達はどっちを行くのかしらネッ!?〉
中途半端に奇襲が成った事で、獅子身中に一寸法師が入った。
形勢がどちらに傾斜しているのか、それを明確に論じれる者は居ない。
これから始まる結果の連続のみが、
戦場を正しく語ってくれるだろう。




