334.夜の学校って、なんかドキドキするよね
「おーい、まだ見てんの?」
「んあっ、なんや志摩子か」
「なんやとは何よ。私で悪かったわね」
ノートPCと睨めっこをしていた政十。
その後ろから首筋に缶ジュースを当てた来宣。
時刻は18時を回ろうとしていた。
窓の外はもう暗く、その向こうで灯りに塗られて、別棟の壁から白く刳り抜かれた廊下を見ていると、何故だか淋しさを感じてしまう。
もうじき最終下校時刻だ。
休日であっても、学校が開かれている時間は変わらない。
土日にここを利用する時、子どもの要求で大人の休みを潰しているような感じがして、来宣は心のどこかで罪悪感を覚えてしまう。
伝馬に言わせれば、「どうせ将来コキ使われんだ。ってかお前らは今からちょこちょこ使われてんだろ。コセコセした気遣いなんて後でいーんだよ後で」、だそうだが。
「みんなちょっと潜ってから帰るって。あんたは?」
「ワシは、今日はこれを見とくわ」
「そんなに面白い?それ」
画面に映るのは、カミザススムの潜行配信だ。
浅級巡りをやっているだけなので、本気の彼についての情報が取れるとは、欠片程にも思えない。
けれど政十は、食い入るように見入っていた。
「なにか」
集中している為に、少し途切れ途切れの返答。
「何かを、見落としてる気がしてならん」
「それは……カミザススムについて?」
「それも分からん。なあんも、分からん」
それっきり、また沈黙が下りる。
病的なまでの漂白への拘り、その結晶であるLED電灯が、太った虫の羽音みたいな音を発している。
いや、静かすぎて、そういう気がしているだけかもしれない。
彼女の実家の一室にある煤けた蛍光灯が、そんな風に鳴っていたから連想したのかも。
来宣は隅に相合傘が刻まれた机の上に座って、指で名前でも書くように表面をなぞり、ただならぬ気配を漂わせる政十を見ながら、つまらなさそうに足をプラつかせていた。
それに飽きると、左手を肩くらいに持ち上げ、右手は腹のあたりで空を掻き、撥で何らかの弦楽器を弾くような仕草をし始めた。
が、やがて思い出したように、自分用に買っておいた缶飲料に手を付けた。
「薬品みたい」と同級生からのウケが悪いそれの栓を開け、その炭酸で喉を弾いて、
「にしてもさ」
破裂の勢いに乗せて、言葉を叩き出す。
「やれ『家名に寄り掛かった怠惰』だの、やれ『七光りを発する昼行灯』だの、散々言われてたあんたの、表舞台実力全開デビュー戦だってのに、負け戦なんてね」
笑ったように見える彼女の、その表情が晴れて見えないのは、伏せられた睫毛のせいか、眼鏡レンズの屈折故か。
「普通やと勝てん、そういう勝負に呼ばれんのが、ワシの、ごっついディーパーの役目や。『お偉い家』の面目躍如やな」
彼は自らの懸念に引かれ、どこか上の空で話している為、誇りと諦観、どちらの言葉かは推し量れなかった。
「それ言うんやったらお前かて、『許嫁故の依怙贔屓』やとか、『女売ってメンバー枠買った』やとか、よう言われとるやろ」
「私は別に良いのよ。ただの小娘だし、普通に勉強して普通に遊びもする、何処にでも居る学生ディーパーだから」
罵倒されて傷つく誇りや殊勝さなど、持ち合わせてはいない。
強いディーパーである事は求めたけれど、それに伴う名誉に興味は無かった。
彼女にとって、ディーパーは単なる手段だ。そして早いうちに、健康上の都合で一線からは退く、その予定まで決められている。使命だとか生き様だとか、カッコつけるものでもない。
彼女を認めてくれるのは、たった一人で良かった。
「でもあんたはさ、私とは違うでしょ?一族の責務なんて、歴代が積み上げて来た荷物をちゃんと背負って、国とか政十とか五十妹とかの為に、戦ってきたのに、これからも戦い続けるのにさ」
「それが今の時点で広く知られとったら、それこそコトやで。政十家直轄、“十影部隊肝煎”の名が泣くわ」
「そうなんだけどさあ…。なんか、アレだなって」
「何や、『アレ』って」
「『アレ』は『アレ』よ」
「察しなさいよばか」、
彼女は追加の爆剤を求めて、再び缶に口を付ける。
「ワシはなあ、」
その間に、今度は彼の方から言葉が出た。
「ここ数年、気の良い先輩やら、気の合う後輩やら、ほんで極辷君や、お前みたいなんと、誰にも見えん所で、勝手放題さして貰とったからなあ」
「不満なんて持っとったら、罰ぃ当たるわ」、
PCを閉じる。
下校チャイムが校舎内を練り歩く。
「それなりにええ高校生活やった、そう思っとる」
「閉店、仕舞いや、帰るで」、
彼はそう言って、スクールバッグに荷物を纏め始める。
「ばーか、まだまだこれからよ。受験だってあるんだから、高校生やめれるかも分かんないわよ?」
「せやった~!思い出させんといてや~!忙しさにかまけて忘れようとしとったのに~…!」
「しぃらないっ」
みっしりと満ちる夜の中、無機質に引かれた白い道を、二人は並んで歩いていた。
もうすぐ今日が終わる気がした。
もうすぐ今が、終わる気がした。




