331:ぜ、全然効いてないしぃ…? part1
とある喫茶店。
落ち着いた音楽、シックな色合いの店内、ウォルナット調のテーブル。
駅前通りに面した大きなガラス窓の際で、二人の男女が向かい合って座っていた。
進は室内でも帽子とサングラスはそのままで、紅茶を飲む為にマスクだけを外している状態だ。
「じゃあやっぱり、コトホギさんもディーパーなんですね」
「ほんの嗜み程度です。ススムさんと比べてしまうと、お恥ずかしい限りです……」
「それで俺の名前を……でも良く分かりましたね?変装してたのに」
「日頃から配信を拝見させて頂いておりますから、お声や雰囲気などで……」
「成程……」
一部嘘である。
確かに進の配信映像を見ているが、漏魔症が戦う方法が本当にあるのなら、知っておかなければならないという、上流階級の義務感が半分。
もう半分は今回の務めに際して、彼の戦い方をより詳しく知る為に、連日アーカイブをお浚いしていたという理由からだ。
長いスパンで見れば、そう頻繁に視聴していたわけではないし、事前に変装を知らなければ、普通にスルーするくらいの興味しかない。
「ところで、コトホギって苗字、なんか聞いた事あるような気がするんですけど、人違いですかね……?」
「実は、それなりの名家の血が入っておりまして……。と言っても、私や私の両親自体は、そんなに凄くは無いんですよ?ただ本家の名に権威がある、というだけなんです。ススムさんはつい先月まで、甲都に遠征にいらしてたんですよね?」
「はい、2週間くらい……」
「その時にきっと、耳にでも挟んだんですよ」
「ああ~、確かに言われてみれば、そうかもしれません……」
偽名はあまり自分から離しても、会話中に反応出来なくなるなど、不自然さを見せてしまう事が懸念された為、響きはそのままに僅かに変えるだけで済ませた。
明胤学園なら天上パーティーメンバーの名簿くらい、警戒対象として回しているだろう。実際、進は記憶に引っ掛かりを感じていたが、それ以上の深掘りはせずに終わった。
「コトホギさんは——」
「あの、ススムさん?」
信頼構築はある程度進んでいる。
「同い歳なんですし、敬語を解いて頂けると、嬉しいです」
だからそろそろ、次の段へ上がる。
「そ…!んな事言ったって……。って言うか、コトホギさんも、そうじゃないですか」
「私のこれは、習癖みたいなものです。家族に対してもこうですから。けれど、ススムさんは違いますよね?」
「………それも、配信知識ですか?」
「ええ、それはもう。ススムさんたら、しょっちゅう言葉が崩れるじゃありませんか」
「……わかりまし……分かったよ……」
出会って30分程。
友達のような距離感にまで詰め入る事に成功。
「ありがとうございます」
「やっぱなんか、俺だけ変えるのズルい……」
「ええ、私、結構我儘なんです」
「い、良いんだけどね……?」
彼女はそこで、自らの目で相手の視線を虜にしながら、左手をそっとテーブルの上に出し、まず中指と人差し指で同時に、それから中指のみで2回、音が出ないようにそっと叩いた。
『サインだ……!』
『なんて?』
『今のは…、目標が想定よりチョロかった時の符牒やね』
『それ要りますぅ~?』
『順風満帆』
『男を転がさせたら右に出る者はいないね』
『よ!天上一のサークラ!天下一の悪女!』
好き放題囃し立てているオーディエンスは、帰ってからしっかり型に嵌めてやるとして、今は目の前の獲物から腸を引き出す作業に集中する。
「ススムさんって、お強いですよね」
「そ、んな事も……は、流石に嘘になるなあ…。ディーパーだし、強いかと聞かれたら、強い方だと自負はあるって言うか。って調子乗っといて、まだマイナスランクから抜けれてないのが、どうもダメな所なんだけど……」
「そんな事ありません。あれはWDAの見る目が無いだけです。私はススムさんの頑張りを知っていますから、そう言い切れます!」
「そう、かな……?」
「ふふふ、ススムさん、まるで褒められ慣れてないみたいに見えます。ススナーさん方から、沢山のお言葉を頂いているでしょうに」
「それはそうなんだけど、こう、面と向かって言われると、誰からでも嬉しいし、それに慣れる気配も無いって言うか……」
「何故でしょう?ご学友の方々から、毎日色んなお声を掛けられるでしょう?特に、毎日同じクラスで憧れのススムさんとお会い出来るなんて、私だったらもっと喜んでしまいそう」
「ああー……、ええっと……」
そこで彼は何とも微妙な表情で、
「褒めてくれる人はちゃんと居るよ?うん。少なくとも友達のみんなは俺の事見てくれてるし。だけど、憧れられて、っとかは無いと思う」
「何故です?能力が高い水準なのは、火を見るよりも明らか……あっ…」
そこで彼女は片手で開いた口を隠し、「しまった」とでも言いたげな顔を作った。
「も、申し訳ございません。聞かれたくない事ですよね……。不躾でした」
「ああ全然全然!俺の体質の事、聞いてくれていいって。最近はそれなりに、自分の中で折り合いが付きつつあるし、その話になったからって、嫌な気分になったりとかはないから」
「御心が広いんですね……」
ここで眼差しに尊敬を一つまみ塗す。
予想通り、嬉しそうに「困ったなあ……」などと、愚にも付かない反応を見せる少年に、簡単に掛かり過ぎて逆に手応えを感じられない少女。
刀で豆腐を切り崩す気分だ。
「さっき助けて頂いた時、私、あなたが誰か分かって、とっても嬉しかったんです。ああ、この人は、カメラが無い場所でも、勇気を持てる方なんだ、って」
「か、過大評価だと思うけど……」
「きっと、人としての芯まで、本当にお強いのでしょう」
「そんなそんな、それこそ俺の方が無神経なだけだって。ミヨちゃ……えー、同級生の女の子にも、よく女ゴコロが分かってないって、注意されるくらいだし」
と、ここで寿は急に、膝の上でもじもじと指を絡ませながら、黙りこくってしまう。
「あ、そのぉっ……?」
何か地雷を踏んだかと焦る進に対して彼女は、
「あ、あの、これも我儘なお願いだと、お笑いになって欲しいのですけれど……」
「な、なんです?」
緩和からの緊張によって、敬語に戻ってしまう進。
何か自分の不備を思い知らされる事への備えとして、腹痛に耐えようとボディの前までガードを下げて、
「今は私と二人きりなんですから、他の女の子のお話はしないでください……。私、妬いちゃいます……」
そう上目遣いで言われて、予想外の甘さをがら空きの顔面にストレートでぶつけられる。
出会って間もない女性から、急に彼女にでもなったかのような発言をされるというのは、普通なら危機感を持つべき事象だ。
しかし寿小染は、「普通」ではない。
ほとんどの人間に好印象を与えるルックスと、上流階級特有の洗練された立ち居振る舞い、更には数々の純情を食い物にしてきた経験から来る、手練手管までもを備えている。
例え電車で隣に座って、急に話し掛けただけだったとしても、拒める者はそうはいない。特にターゲットが男性であれば、尚更である。
慎重に堀を埋め進む時間を与えられていれば、もう落城しない道理は無い。
しかし、対する日魅在進もまた、「普通」ではない。
漏魔症として迫害され、人の悪意に触れて来た事数知れず。
中には救い主のような顔をして、罠へと手招きするような者も、少なくなかった。
ギャンバーでの心理戦やダンジョンでの実戦経験を積み、更に様々な勢力から価値や有害性を見出され、騙し討たれ刺客を放たれ、生き馬の目を抜く暗躍の世界を切り抜けて来た男。
それが彼である。
百戦錬磨である彼は、姦計の徒である彼女の攻め手をしっかり受け止め、
「んひう…っ!?ぇえ……っ、とぉぉぉ~……?」
声を震わせ阿保面を晒して陥落しかかっていた。
少々下品な言い方をすれば、「即落ち」であった。




