断章その8:違和感
彼の中には、あの都市伝説が棲んでいる。
その超常の神力が起こす奇跡や戮虐と言った、身の毛もよだつ説得力と共に、私はその事実を知った。
彼と口裏を合わせる事には、それほど躊躇しなかった。
ススム君の人間性は良く知っている。そんな彼が隠そうとしているのだから、何かのっぴきならない理由があるんだろうって。
なんなら私と彼との間で、秘密の共有が出来る事にも、とっても興奮した。
「カンナ」って名乗った、神様みたいなその女の子も、(ちょっと鬼畜な所があるけど)ススム君を悪いようにはしない感じだし、ススム君を守ってくれてる部分もあって、頼もしいって歓迎したいくらいだった。
私はこれまでと変わらず、これまで以上の安心感と没入感で、彼の活躍を見ていれば良い。時にその手助けという形で参加出来たら、もっとオイシイ。
良い事づくめ。
うん、心配事は何もない。
何なら前よりも良くなってる。
ススム君のすぐ近くで、自分の手で彼の活動の助けになれる。
私は平気だ。
嘘吐き。
平気な人間が、「平気だ」なんてわざわざ言うもんか。
その頃から、私はおかしかった。
前からおかしい私は、それまでよりずっとおかしくなってた。
ススム君の中に私よりずっと美人な、きっと男の子の欲望の的になるような、カンナちゃんが憑りついているって事実に、お腹のあたりが強い拒絶反応を起こした。
彼女とススム君の交わす掛け合いが、気心の知れた二人のそれで、それ以上続けて欲しくない、仲を深めて欲しくないって、ムカムカした。
ススム君に下の名前で呼ばせて、「味方」や「友達」だって分かって貰って、離れないように両手で彼を繋ぎ止めて、だけど焦燥感が消えなかった。
カンナちゃんの事が、嫌いなわけじゃない筈だ。
女の私でも見てて惚れ惚れするような外見と、茶目っ気も持ってる可愛い中身と、好感を持つ要素しか無い筈で、
でも、彼と彼女が二人並ぶのは——
——イヤ。
その気持ちは、二人のどちらとも仲良くなっていった後でも、水道管の中の油みたいに、べったりと残って喉を詰まらせた。
同時に、ススム君に対する感情の波は強くなっていって、私を絶えず追い立てた。
彼に友達以上に思われたいし、彼の全部を知りたいし、彼に褒めて欲しいし、彼と出来るだけ触れ合っていたいし、彼の恥ずかしい所をもっと見たいし、彼のカッコ良い所は幾らでも挙げられるし、彼に笑顔を向けて欲しいし、彼に他の人に夢中になって欲しくないし——
「他の人」?
裏を返すと、私を見て、私に夢中になって欲しい、って事だ。
ススム君からも推して欲しい、あなたの為に頑張ったって知って欲しい、誰よりも私があなたを推しているんだと認めて欲しい。
そんな浅ましいファン心理が、私の中で育っているみたいだ。
独占欲。
彼が居なくなる心配が無くなったから、今度は唯一無二になりたい欲が湧いたのかも。
業が深くて足るを知らない女。
アイドルの追っかけに、他のファンと距離を置きたがる、「同担拒否」という考えがあると知った時は、「ガチ恋」共々、遠い他人事の異文化だと思ってたのに。
どうやら私は、それに陥ったようだった。
前から大概悪質なファンだったけど、厄介度が増してしまった。
私はどこまで化け物になってしまうのだろうと、本気で悩んだ。
だけど、朝に登校して、学園でジョギングしてる彼にちょっかいを掛けて、たったそれだけの事で、苦悩を忘れてケラケラ笑えてしまう。
困難にぶつかっても、彼の事を考えると勇気が湧いた。
パーティーとして戦ってる時、その横顔の凛々しさに、内心が跳ねた。
カンナちゃんへのプレゼントを盗られて、目が座って見た事無い顔をしていた彼を見て、胸が騒ついた。
プールに誘って素肌の大半を晒した水着を見せつけて、カップルの振りをして膝小僧の触感を愉しんで、照れて慌てる彼のリアクションに優越感を抱いた。
彼が誰かに夢中になっていると鬱屈し始めて、私に気を取られしどろもどろになると簡単に気が晴れた。
そんな不可解な行動と感情の数々は、歪んだ推し活の一環、って事なのかな?
推しの色んな姿が見れて、だからテンションが上がった、それだけなのかな?
推しであり、友達であり、そんな二つが両立したから、認識の処理が変な感じになっちゃったのかな?
彼と一緒に居ると体に熱が籠るのは、夏が近くなってきたせいなのかな?
みんなが言うようにこれが恋だって仮定しようとして、
どうして否定と不服が先行するのかな?
私は彼の事が好き。
ただそれだけで終わるなら、どれだけか気楽に、現実を受け止められたか。
しっくり嵌まる定義を持つ言葉を見つけられず、
だから抵抗や対策の方法に手掛かりが無くて、
私は彼に、彼への想思に振り回された。
特に、8月に起こった色んな事がきっかけで、見つけてしまった心。
彼の体や心を傷つけようとしてくる全て、
知らない人の無責任な声とか、お金で暴力を振る事を生業にした人達とか、カンナちゃんを狙ってるらしいillとか、
そういう一切に向けてしまう、嫌悪?恨み?怒り?
ううん、もっと強い言葉が必要。
消えて無くなって欲しいっていう、
殺意。
そうだ、殺意だ。
何より私の中で育っていくそれの、根を伸ばす深さが常軌を逸してる。
モンスターや危険人物相手に、正当防衛になる事を幸いにと、怖いくらいに当たり散らしてしまう。
強さなんて通り越して、手に負えない攻撃衝動に転化されてる。
殴れる相手がいなかったら、どうなっていただろう?
匿名性の裏から、ススム君に心無い言葉を掛ける、普通の人達。
対象が彼らだけだったら、体内に抑えて閉じ込めるしかなくて、
その内の一人が何処の誰か知ってしまったら、
その人が目の前に居て、私の手が届くところに武器があったら、
私は、何もせずにいられたのかな?
彼の恩人のロクさん。
私は見殺しにするしか無かった。
本当に?
1本ずつリボンを使えば、どちらも助かる目があったんじゃないかな?
彼を確実に生かしたいから、私は助けようともしなかったんじゃないかな?
とうとう敵だけじゃなく、彼の為だって言い訳すれば、この手で良い人も壊してしまえそうで。
自分が分からない。
グラグラする。
踏んでいる地面が見せかけみたいに思える。
体の輪郭が夜みたいに冷え融ける。
立って、歩いているのに、力が入ってないように感じる。
不安定な私は、いつかわけも分からず、思い通りにならないススム君にまで、矛先を向けてしまうんじゃないかって。
変だ。
異常だ。
こんなのおかしい。
良くない事だ。
治さなくちゃ。
原因はススム君でも、
根本は私。
彼と触れ合っていると、私はおかしくなってしまう。
彼を巻き込む前に、ちょっと距離を置くべき。彼を考えないでいる時間が必要。
でも、離れたくない。
離したくない。
正常に戻らなくちゃいけないのに、頭からも手が届く範囲からも、私は彼を追い出せない。
彼を人気にしたかった筈なのに、
気が付いたら交流を選り分けようとしている。
私にその権利は無い。それで彼が孤立すれば、元も子もない。
なのに、想う事をやめられない。
彼が私達から離れようとしたとき、滔々《とうとう》と語って聞かせた理屈。
それは私自身の為の言い訳。
彼に拒絶されない限り、隣に居ていいよねっていう、私の為の押し付け。
親切ごかした、自己保身。
友情なんていう、立派なものじゃなくて、
愛情なんていう、甘酸っぱいものとも言いたくなくて、
穢くて、醜くて、焦げ付いて、性根の腐ったようで。
どうして私は、こんな風になってしまったんだろう?
もっと人間が出来ていれば、
もっと正気なら、
何の憂いも無く、
彼と一緒に居れる、この幸せに浸れるのに。
ススム君は、一人で先に行ってしまう。
まだほんの一部、限定的な部分だけだけど、イリーガルに対抗できるようになった。
ハンデありだけど、チャンピオンと対等に渡り合えるまでになった。
流石ススム君。私の憧れ。私が一番応援する人。私の期待に応えてくれる人。
私自身は、私の期待に全然届いてくれないのに。
彼だけ私より速足で、広い歩幅で離れて、
カンナちゃんの所に行っちゃう。
そのうち私と彼との距離より、
彼と彼女、二人の間が近くなっちゃう。
それで良いのに。
彼が高みを目指して進めているのは、善い事なのに。
例え私が彼の事、男の子として好きだとしても、そこに何の問題も無いのに。
どうしちゃったんだろう。
こんな筈じゃなかった。
彼との学園生活は、もっと安らかで満ち足りていて、
曇りなんて無い筈だった。
私のせいで、それが叶わなかった。
私が私を、分からないから。
——あなたが、本当に欲する物とは?
それが分からない。
分かったら苦労しないよ。
私はススム君に、どうして欲しいのかな?
彼に幸せになって欲しいのに、そこから遠ざけようともして、
願いを叶えたのに、もっともっとって欲しがって、
だけど何が欲しいのか、実は分かってなくて、
だから、
——分からないから、
——こうなっちゃったのかな?
首の皮を破って食い込む紐に、喘ぎの一つも潰されて、
その疑問は声になれず、
喉を逆戻りに落ちていった。




