断想:記憶は残らないから、記録だけが語ってる
「どうして、わるくなっちゃったの?」
その話を聞いた事だけは、よく覚えている。
前後の記憶はあまり明瞭でなく、どうしてそんな話になったか、よくよく考えると分からない。
その時は、そう、絵本を読んで貰っていたのだ。
綺麗な女の人に化けて、色香で帝を誑かす、狐の昔話だ。
最後は石になって、それでも悪さをして、お坊さんだったかに退治されて、
砕け散って、めでたしめでたし。
だけど私は、聞いている内に思い出したのだ。
別の絵本に同じような獣が、九つの尾を持つ狐が出て来た事を。
その狐は、助けて貰った恩返しにと、邪気を祓う効能を持つ自らの肉を、病の皇帝に千切って食べさせた。美しい女性の姿に化けて、宮殿に入り込んでから。
皇帝の病は癒えて、大層喜び、去ろうとする狐を引き止め、傍に仕えさせた。
やがて彼らは恋に落ち、結ばれて、平和な国を作った筈だ。
それを覚えていたから、
「どうして、わるくなっちゃったの?」
お母さんにそう聞いたんだ。
狐は、幸せだった筈なのに、どうして悪い事をしているのか、と。
結局、困ったように笑われて、「その狐さんじゃないんだよ」って誤魔化されちゃって、それっきり。
だけど、記憶の底で澱のように沈んで、ずっと残っていたんだと思う。
もう少し後になってから、ある日急に気になってしまって、ネットや学園の図書館を使って、ずっと調べてた時があった。
尾が九本の狐は、本来は瑞獣、つまりめでたい事が起こる兆しのように扱われていたらしい。
だけど、古代央華で国が乱れた時、その原因が当時の皇帝のお妃様だって言われて、悪女を倒せって革命が起きた時、「悪い狐が化けてたんだ」って伝えられた。
その狐の特徴は、尻尾が9本あった事。
その時から語られる伝説が、その後で丹本にも入って来て、狐に化かされた話と混ざっちゃって、「9本の尾を持つ悪い狐」のお話が広まったらしい。
だから、本当は9本尻尾の仕業じゃなかったのに、後付けでそういう話になった悪事も、結構あるのだと言う。
私はそれを知った時、最初のお妃様についても、なんだかモヤモヤした消化不良感を抱いた。
彼女は本当に、「悪い狐」だったのだろうか?
9本狐は、本当は悪の象徴なんかじゃなかった。
だけど悪い事をやったと書かれて、それが後世に残ったから、悪者になった。
お妃様はどうだったのだろう?本当に、彼女の悪事で国が滅んだのだろうか。
央華は筆まめな国で、王朝が変わる度に歴史を編纂し直したりしている。だから過去を辿りやすいって、よく言われる。
だけど一方で、自分達の国盗りを正当化する為に、毎回前の王朝の悪事を盛ったりとか、そういう事もする。
「妊婦の腹を割いて中の胎児を見る」という記述が、手軽に前王朝へのヘイトを煽れるから、結構ポピュラーだと言う話もある。
お妃様がやった事として書かれた記述は、なんともいやーな内容の羅列だった。
だけど本当に、それはあった事なんだろうか?
史学的には、「あったと思われる」、でしかないだろうけれど、
私の中では、ずっと気掛かりなままだった。
想像してみる。
皇帝じゃなく、お妃様を首魁としたのは、何故だろう。
力ある最高権力より、彼女の方を恐れたのは、どうしてだろう。
彼女が本当に美しくて、だから人々から人気で、そこに集まる同情を絶やしたかったのだろうか。
そんなにも人心を集めていて、本当に悪女だったなら、皇帝の治世が危ない事に気付いた時、勝ち馬に言い寄って篭絡し、鞍替えする事だって出来たのじゃないだろうか。
だけど彼女は、最期まで皇帝の傍に居て、死後には全ての元凶として首級を晒される。
後に彼女を知る人からは、悪逆非道の化け狐だと信じられてしまう。
それでも彼女は、皇帝から離れなかった。
国中が敵になっても、彼女は「お妃様」のままだった。
全て私の、想像の中だけの話。
勝手で考え過ぎな妄想。
だけどもし、彼女が一人の男を愛して、
それを貫いた事で、現世では終わらない地獄に堕ちたとしたら、
過ぎた情念が、自分も相手も他人も全部、凄惨な破滅に導いたなら、
私の肌は、震々《ふるふる》と止まらなくなる。
ああ、なんて——




