321.自分が一番って人じゃないと、人を大切に出来ないって、よく聞く話
「何?どういう意味だ?」
「いや、どーゆーもこーゆーもそのまんま、つーかさー……」
つい先日とは逆に、その夜彼は、彼女から呼び出しを受けていた。
彼としては今更話し合う事も無かったので不思議ではあったが、断る理由も特に思い付かず、何食わぬ顔で休憩スペースに足を運んだ。
自販機のラインナップを再度確認し、矢張り紅茶が売っていない事に納得行かず、仕方が無いから待ち人の分だけを購入するに止めた。
5分程待って、彼女が来た。
何の用かを問いながら飲料缶を渡すと、何故か責めるような目つきで睨まれた。
感謝しても良いくらいな場面で、どうしてその態度が取れるのかと憤ったのだが、どうやらそのジュースを選んだ理由が気になっていたようだ。
だがいつも彼女が飲んでいた物と同一である筈だ。「人の好みとかをちゃんと見ておけ」と、かつて従者から注意されていた影響で、きちんと日頃から観察しておいたのだが、記憶違いをしていたのだろうか。そう考え問い返したが、「キモッ」の一言で話を打ち切られてしまい、解せない思いを抱え込む事になった。
そして彼女はそれ以上渋るでもなく缶を受け取り、これまでと同じように美味そうに口を付ける。何も間違ってないじゃないかと彼が少し不機嫌になっていた所で、その質問が急に飛んで来たのだ。
「オレサマが、奴を好意的に見ているのは、まあ認めてやっても良いが……」
「いやツンデレはいーから。いまどきおもんないって。もう認めれ。割とガチでオキニって言え」
「………知らん」
「逃げんだ?」
「お前の言葉の定義が分からんと言ってるんだ!」
あの男の能力を評価している。
それ以上でもそれ以下でもないと、彼は言う。
「今もホラ、あれじゃん?カミザにヘイト向き過ぎないようにって、無駄に怒って見せてんじゃん」
「八志教室への態度の話なら、あれは奴らが失礼千万であるが故に、オレサマの癇を一々刺激するからだ。奴は何も関係ない」
「でもカミザがすっかり打ち解けてんの、アンタがありえんハッスルしてっからっしょ?」
「それは、そういう側面もあるかもしれんが……」
「んねっ!」
「『側面がある』と言ったんだ!オレサマが意図する所じゃあない!」
「ゴージョーなヤツ」
「認めるべき事実が無い!と言うか話はそれだけか?オレサマは帰るぞ!」
そのまま腰を上げようとする頑なな彼を、
「あのさ!」
缶をべこりと握り潰しながら呼ぶ彼女。
「ムリだから!」
「……何を言っている?意味が分からん」
「もう二度とやんないで」
「何の話だ」
「さっきの、ワルモノ面して、みんなナカヨシってヤツ。ガチでない」
「最速最善だろうが」
「イヤだ、って言ってんの!」
「じゃあ何が気に入らないんだ!」
「アンタがクソみたいに言われてんのが!分かれ!それくらい!」
「………?」
不思議で仕方ないというその顔が、彼女を余計に苛立たせた。
「アンタが悪く言われんの、ヤだよ……」
「分からない。何故お前が傷つくんだ」
「うっさい。自分で考えろバカ」
「お前なあ……!」
「………あーしさ、」
寝巻の獣耳付きフードを深く被り直し、彼女はポツリと溢す。
「頭も体も超つよつよな兄貴からのギャップで、めちゃんこバカにされてさ。でもあーしが頭悪いだけだから、しゃーなしだって、そう思ってた。みんな出来の良い方を見るのは普通だし、あーしが出来てない、努力とか足りてないからだって」
「けどさ」、
そこで顔を上げ、隣の彼の目を見て、
「アンタが最初、Kポジに向いてるのはあーしだって言ってくれてさ。ムー子とあーしが組んで良い感じになるって事とか、知っててくれて。あの時何となくわかっちゃった。ああ、あーしって、見られてないの気にしてたんだなって」
ずっと、自分にも隠していた本音を、開いて見せた。
「俺は別に、お前を見ていたわけでは……」
「分かってるって。模擬戦とかで分かってるデータ全部、頭に叩き込んでただけっしょ?パテメンになってからも、それぞれ分析して全体のバランスとか引きで見てたから、あーしをKポジに置こうとか思い付いたんだって知ってる。あーしも別に、特別ガン見されてたなんて思ってないし」
ただ、誰かが自分の積み上げた成果を見ていたのだと、何らかの興味を持ってくれていたのだと、その事実を知って勝手に気を良くしただけだ。
言ってしまえば、きっと誰でも良かった。それだけの思い入れ。結局はきっかけでしかない。彼女から彼への興味、その最初の一歩。
道で迷っていた所に声を掛けられたとか、宿題の分からない所を教えてくれたとか、そういう些細な出来事。
仲良くなってもいいか、という心理の芽生え。それだけ。
ただ視野の端で、何となくハイライトされるようになった。
人の列の中で、少しだけ色が付いた誰かになった。
そうやって彼の行動が、勝手に頭に入るようになって、
いつしか、視界の中心で追うようになっていて。
「アンタはさ、どういう理由があるのかは知らんけどさ、自分がサゲられるのが当たり前で、だから全然平気って思ってるかもしれんけど——」
——そんなことないっしょ。
「言われたら、イヤじゃん。色々自分なりに考えてやった事、ニワカにアレコレこき下ろされて、そんなん、おもんねーの当たり前じゃん。強いとか弱いとか、正しいとか正しくないとかじゃなくて、傷つくじゃん、フツーに」
「……お前がそうだから、俺もそうだと?」
「少なくともアンタはそう。そういうヤツ。これは知ってる」
彼がどこかで、考え過ぎなくらい繊細なのは、もう分かっている。
それくらい、見てれば分かる。
「アンタがあーしの頑張りを見ててくれたのと同じように、かは分からんくてもさ、あーしだってアンタが頑張ってんの、見てるんだわ。いつもアンタがいっちゃん、周り見てんだから。軽々しく、おバカな憎まれ役なんてすな、ってコト」
「………お前にそこまで評価されてるとは思わなかった」
「ドンカンなだけっしょ」
「そう、なのか。お前からは嫌われているかと思っていた」
「あ!でも言っとくけど!アンタへのエモは何というか、そう、“推し”みたいなアレだから!一歩引いてるってゆーか、こう、ライクな!全然ラヴ的なあれじゃないから!」
「誰もそこまで言ってないぞ」
「きゅう……っ!」
盛大な自爆をしたのだが、男はそれにどこまでも疎く、あっさり流してしまった。
彼が思い浮かべているのは、ほとんど古ぼけて復元の難しい思い出。
——ぼっちゃんは、もっと偉そうで良いんですよ。
——そこまでの人間ではないから、恥ずかしいですか?
——だったら態度に負けないくらい、強くて格好良くなればいいんです。
励ましの過大評価を受けるのは、昔も今も変わらない。
それほどまでに、頼りないのだろう。
どれだけ尊大に見せても、枯れ枝のように折れそうな本質は、決して隠せる物ではない。
下々を不安にさせる己を自嘲してから、「お前の言いたい事は分かった。考えておこう」、そう言って今度こそ立ち上がった。
「プリム」
そしてまた、意味不明な言葉に肩を掴まれ、その場に止められる。
「………?」
「あーしの名前。六本木天辺」
「名前?お前、それは……」
それは彼女が、ずっと隠してきた事で。
「クッソキラキラネームっしょ?『テッペン』で『一番』ってマジ草。厨二かっての。付けてる側のエゴがバチボコに出てて、ダサみがエグいってゆーか」
だから彼女は、それを嫌っていた。
彼女に理想を負わせる親と、それに応えられなかった自分。
そのどちらをも、否応なしに思い出させる。
「ああもう、この前のノリドパイセンの時といい、自分語りエグ……、ウケんね……?こんなん自慢にもならんのにさぁ……」
「な、なぜ、俺に」
「いやなんか、あーしがアンタを推してるっての、信じてないっぽいから」
「お前、そんな事で……」
「あれじゃん?苗字だと、後々変わったり、同じになったりすんじゃん?だから変わんないヤツ、教えとく。一回しか言わんから、覚えれー?」
「ま、嫌過ぎてムリになったら、改名とかするかもだけど」、
あっけらかんと言う彼女に、暫し唖然とした後に、
「お前は強いな」
綻ぶような笑みを吹き吐いた。
「これで、あーしの事だけ呼べるっしょ。特別だかんなー?」
「ああ、肝に銘じておこう」
「呼ぶとき笑うのはナシで」
「笑わんさ。良い名だ」
「そんな良さみある?」
「付けた側が当然のように子を支配出来るつもりでいて、名付けられた側がその名の通りに親を越えて、その皮肉が特に気に入った」
彼女は彼女だけを特別と思えている。
彼女の「一番」は彼女だ。
誰かの所有物にはならなかった。
「あ……そ……。ま、アレ、口だけなら、ってヤツ」
「そう言われるとな。行動で証明するとしか——」
「だから、取り敢えず一回ホラホラ」
「………良いのか?お前は呼ばれたくないような口振りだったが」
「折角教えたんだから一回は言われときたいじゃん。初回特典」
「なんだそれは」
ここまで来ると、彼は感心するしかない。
だから、彼女の強さを見込んで言う。
「頼りにしてるぞ、プリム」
「これからもよろ。その……さ…、サトジ………」
彼はまだ、トンネルの中だ。
光は無く、途方に暮れている。
だが傍らには、守るべき者が居る。
彼は、勝たなくてはならない。
「オレサマは、ニークト=悟迅・ルカイオス」
“ルカイオス”はそれを過程とした。
そこに拘るなと言った。
それを呪うべき罰と、やがて脱ぎ捨てる物とした。
だが幼い頃の彼が心を動かしたのは、神話で讃えられる理想郷でなく、
変身物語と、
その後の滅び、
そして破壊だ。
まだ丹本で、母の胸の中に抱かれていた時、
テレビの中で人が何かに変わり、
周囲を壊しながら派手に暴れて、
大いなる理不尽から、何かを守って。
きっと彼の本来の原体験は、そっちだ。
だから、変身した後を、
神様がくれた、「狼に変われる不思議な力」をこそ、
魔法の主題に置いた。
「俺の名は、悟迅」
物語を、「ルカイオスの継承」というフィルターを通して見ていたから、
だから思い出せなかった。
復元するのだ。
彼女のように、そこにある呪縛を可視化するのだ。
彼は彼にのみ支配される。他の誰にも操られない。
そこにある枷すら、彼に使われる武器の一つ。
彼の中にある物を、全て使って唯一を作れ。
贖罪を考えるなら、考えるからこそ、
己を他の何かの陰に埋没させるな。
「一番」になれ。
夜目を光らせ、
耳を澄ませ、
鼻を利かせ、
彼は暗いトンネルの中、ようやく出口への方角を見つけた。
「虎次郎とやら!頼まれろ!」
思う存分、
偉ぶってやる時だ。




