32.第二段階って言うと良さげだけど、何をするのか俺は知らない
夢。
何故か分かる。
夢の中だ。
ここに来るのも久しぶりな気がする。
濃い体験をし過ぎたせいで、たった一月空いただけでも、遠い昔に思えてしまった。
「扠、今日から、魔力操作指導、その第二段階に入ります」
白衣のカンナからお達しが来た。
白衣、そう白衣だ。
今俺は学校の保健室のベッドに座り、見慣れぬカンナに見下ろされている。
半袖・膝丈のナース服で、足は白いタイツ、腕は灰色肌が剥き出し。
これも俺の記憶か?でもナースキャップなんて、最近リアル看護師がしてるところ、見たことないけど…。
「いや、それはいんだけどさ……あ、あれで終わりじゃなかったってこと…?」
「当然です。貴方が踏めているのは、初歩の初歩、第一歩目に過ぎません」
となると身構えてしまう。
またあの地獄を再開するのか?
「ご安心下さい。魔力を知覚できるようになった貴方には、例の特訓は必要ありません」
「すっごく安心した」
本当に良かった。
「じゃあ、『魔力操作』って?」
「理論上可能であるのに、貴方が出来ていない事、其れは何でしょうか?」
可能なのに、出来ていない?
「此方をご覧下さい」
彼女が手で示した先に、スライドスクリーンが降りて来る。直後にカーテンが引かれ、照明も落とされ、プロジェクターが起動した。
「保健室にプロジェクター…?」
「細かい設定を一々詰めなくていいんですよ。重箱の隅を突く厄介な知識人ですか?」
「あっはい」
まあ夢だしね。何でもアリだよね。
などという掛け合いをやってるうちに、スクリーンに映像が投影される。
最初は俺だ。
“人世虚”の、F型が居るから、たぶん第5層。
ああ、これはあれだ。俺が負ける、その一つ前の戦闘だ。
画面は切り替わり、次に映ったのは、俺が良く知る人。
「あっ!く~ちゃん!」
「うわあ…、随分な食い付きですね」
「そりゃ“生きがい”だからな!あ~、あったまる~!」
「え、何ですかそれ気色の悪い………」
これは見たことある。くれぷすきゅ~るチャンネルが、“人世虚”に潜行した時だ。
この時は確か、このダンジョンに精通しているパーティーに雇われて、フルメンバーに加えて貰っていた。だから合計で7人。く~ちゃんのポジションはBだ。
こうして見ると、彼女の強さを再認識する。
これはたぶん、第7層とかそのレベルの深層だ。C型まで加わる上に、一群の数が第5層の二倍近い。その中で、委縮することなく持ち場を守り、必要なら前に出ている。
例えば遠距離特化型のBポジションなら、前衛に加わるのはご法度だ。フォーメーションが崩れ、大事故の元にもなってしまう。
だが、く~ちゃんには当てはまらない。彼女は高い近接戦闘能力を持ち、その片手間で味方を治療する、バトルヒーラーなどと呼ばれるタイプのBポジションだ。
魔法を出力できる魔具を、リボンによって浮遊させ、防御や回復、時には攻撃に使っている。それをやりながら、本人もモンスターと切り結べるのだから、他とはレベルが隔絶していた。
同じダンジョンの近い階層にまで潜ったことで、その異様さをよりダイレクトに受け取ってしまう。
流石、「なんでもおまかせ!くれぷすきゅ~るチャンネル」だ。
明胤学園中等部の制服に汚れ一つ付けず、手足のように操られるリボンを使って、戦闘時の方がむしろ見た目が煌びやかになる。
青みがかったショート髪が描く軌跡と、崩れる事のない活発な笑顔は、カワイイし美しいと言うしかない。「華がある」、とはまさにこのこと。
俺の人生で数少ない幸運の一つに、「く~ちゃんと配信タイミングが重なりにくい」、という物がある。供給ありがてえ…。
「何を呆けているんですか」
とそこで、目を細めたカンナに咎められ、現実に引き戻される。いや、夢の中なんだけどね?
「く~ちゃんと俺に差があるのは見なくても分かるけど——」
「いいえ、貴方は分かっていません。彼女と貴方、何が隔たっているのか」
俺と、く~ちゃんの、違い?
「いいですか?この部分をご覧下さい」
く~ちゃんのアーカイブが巻き戻され、あるシーンがループ再生される。
く~ちゃんが魔道具に籠めた魔法でM型の銃弾を防ぎつつ、目の前のV型の脚を蹴り砕いている場面だ。
「彼女が魔法を使っている事が一つ。これに関しては、貴方が真似できる事ではありません」
「そこは、どうしようもないよな」
「次に、体外に排出した魔力を操作し、遠隔魔道具操作の補助としている点。ですがこれは、より原始的な手法とは言え、貴方は同じ事を、既に行えています」
「ああー、ナイフが飛ぶ軌道を魔力で誘導する、あの感じ?」
「その通り。原理は同じです」
漠然と見ると驚異的な戦い方でも、要素に分解してみると、結構身近なテクニックが混ざっている。なんか面白いな。
で、ここまでで触れられてない事と言えば、
「じゃあ、もう単純に、脚力の違いってこと?」
俺が魔力を操作して、加速してV型を蹴り飛ばしても、鎧ごとひしゃげるような、大ダメージにはならないだろう。
「しかし、彼女の体格から言って、特段質量が重いわけでもありません」
「質量って…、女の子になんて言い方するんだよ…」
「そして、身体能力についてですが、筋肉などを観察した感じ、貴方が大きく劣っている、というわけでもありません。特に男性は女性と比べ、生物学的に力強い肉体を得る、という傾向にあります」
「いやそんなの、ダンジョンがあれば幾らでも引っ繰り返るだろ」
「何故です?」
「いやいや、『何故』って…」
ディーパーは、魔力で肉体を強化できる。
基礎中の基礎だ。
「そう、其れです」
カンナは人差し指を俺に突き付ける。そこから発せられる威力を知ってる俺には、その行動は怖過ぎるからやめてほしい。ビビって腰を上げかけた。
「貴方と彼女の最大の差、それは、体内における魔力操作の有無です」
「体内」の、魔力操作…?
「待ってくれ、そんなの、それこそローマンには出来ない相談じゃないか」
「あれ、何故でしょう?」
「いやだって、体内に魔力を巡らせたいなら、まず体内に魔力を溜め込まないと……」
体内に魔力を通し、強化する手法。
皮膚や骨肉を保護することで、攻撃や破壊から身を守る。
血流によるエネルギーの運搬を補助し、身体活動をより活性化する。
後は脳が自分の体の強度を正しく認識すれば、動作の反動で肉体が壊れるのを防ぐリミッターを緩め、腕力脚力その他諸々、精度によっては免疫すらも、飛躍的に向上する。
ディーパーは一定以上の魔力を溜められるようになると、無意識の内に身体強化へとそれを回すようになる。腕の良いディーパーは、魔力の配分を意識的に行う事で、パンチの時は腕の硬度を上げることに集中、回避の時は足腰の柔軟性をアップ………といったように、その時々に応じて肉体を作り変えるような、高度な魔力操作を行っているらしい。
が、それもこれも、充分な魔力を溜めた上で、それを身体の必要な場所に行き渡らせる、ということが大前提となる。
魔力を垂れ流すローマンには、体内での運用は不可能。
俺の魔力操作はと言えば、体外に出てそのまま散る筈だった魔力を、大雑把な括りで動かし、集めて固めてエネルギー塊とすることで、どうにか役立てているだけの話。
体外と体内、やっている事は同じようで、必要になる条件が違う。
そして体外の魔力を使う方法だと、せいぜい「抵抗」といったレベルの作用。
正面から砕いたり壊したり、そのレベルの強力さは無い。
だから、身体強化は、体内魔力操作は、俺には出来ない、とそう結論づけていたのだけど…
「出来ますよ。魔力への変換さえ、行えているならば」
「ウソぉ!?」
「ダンジョンについて、私が嘘を吐いた事がありますか?」
た、確かに。からかいモードの時はともかく、ダンジョンとか魔力について、騙された事は一度も無い。
だけど、そう簡単には信じられない。魔力操作の時点で、常識が崩されていたのだ。
これで体内操作も可能となると、本気で何かの賞とか貰えるくらいの大発見じゃない?
「何度も言うように、意識の問題です。今の貴方は、体外に放出される感覚と、肉体的身体地図とのギャップによって、魔力を知覚している。これからは、体内で魔素が魔力に変わる、その瞬間を感じて下さい」
魔力に変わる瞬間。
ニュートラルな魔素という物質が、俺の一部である魔力に変わる、その反応を感知しろと?
「それ、『腸内細菌が生まれる所を感じてください』、とかのレベルで意味わかんないこと言ってない?」
結構無理難題じゃない?
「受容器の役を務める事が、魔力には可能です。其れについては、ご存知でしょう?」
「う~ん、確かにそうなんだけど、どちらかと言うと、手足の延長みたいなイメージで使ってたからなあ…」
「ふむ、意識改革が必要、という点は織り込み済みです」
「で、す、か、ら、」そこでカンナは唐突に俺の右隣に腰掛け、右腕を巻き付くように抱き寄せる。
「へぇあ!?ちょっ!」
二の腕が餅のように柔い弾力を潰す感触に俺がワタワタしていると、
「隙有り、ですよ?」
間抜けに開けられた口に錠剤らしきものを放り込まれた。
肌と肌が滑らかに擦れる快感にプラスして、「これ死なないよな?」と戦々恐々としたせいで、唾を呑んだ俺は、その異物も嚥下してしまった。
「い、いや、策士過ぎない?俺が呑み込む事まで計算ずく?」
「今のは貴方の助平心が、自滅しただけでしょう?もう一手間を用意していたのに、拍子抜けです」
「ごめんなさい」
いや俺が悪いのか?これ。
と言うか、その怪しいオクスリの為に、そのコスプレにしたの?実は凝り性?
「触れているのに、やっぱり死なない。ふふっ……」
そこで嬉しそうなのやめてくれない!?夢だから大丈夫とか、そういう理屈じゃなかったの!?やるなら「死なない」っていう確証を用意してからにして!?笑い方が可愛いからって許されない、許され、
そうだね許しちゃう俺が悪いね!
ぐぬ、
自由奔放なカンナのせいで、なんだか胃が、
胃が?
これ、胃か?
なんか、腹が、おかしい…
「どうです?感じますか?」
ど、どうなって、
なんか、炭酸でも流し込まれたみたいに、ブツブツポコポコと、内側から叩かれるみたいな…
「この辺り」
へその下あたりを、細指にさすられる。
「内丹術で言う、“丹田”です。此処が魔力変換、及び貯蔵場所であると、それ自体は知られているでしょう?」
「き、聞いたこと、ある……」
あ、まずい。
なんか、今湧いてる刺激がどういうものか、分かりかけてきた。
これ、煮立ってる。
グツグツと熱が加えられ、ゴボゴボと沸騰し弾け飛ぶ。
熱い、
あつ——
「い、ぎ、ぎ、いいい」
それは熱湯を越え、臓器に直接油が跳ねるような、そんな痛みへと変わっていく。
「あ、あ、あ、あああああ、いたっ、あっ、あつっ、あっ」
ねずみ花火が腸内を駆けまわっているかの如く。それを止める術の無い俺は、身悶え、ようとして、カンナの手足に絡みつかれ、動けなくなっていると知る。
「ひ、ひ、ひぃっ、ひっ、ひっ」
「ああもう、そんなに惑乱れないで下さい」
右腕を豊満の中に閉じ込めたまま、カンナの腕が背中から回され、俺の左腕を締めてしまう。
そのまま服の内に手を入れられ、腹を直接、円を描くように撫でられる。
「いたくなあい、いたくなあい…」
腿の上に、ハリと弾力を共存させた脚が載せられ、膝下はふくらはぎに挟まれ、押さえつけられる。
「絶痛絶苦は、慣れっこでしょう?」
腹の中で沸き立つ釜が、次第に激しさを増して——
溶けた鉄のような熱が、血管を通して、全身に流し入れられる。
通過点が、焼け爛れていく。
「あ、オあああああああああ!!」
おいふざけんな!
やっぱり悪夢じゃねえか!
という怨みの声は、目が覚めた後にようやく浮かんだ。
それまでは、言葉を形作るなんて、上等な事はできなかった。
「アぁぁアぁアア!ァア?アアあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
体の外側はカンナに触れて、脳に快楽を伝えて来る。
内側は焼き尽くされ、心を削り取って来る。
中まで火を通すとでも言わんばかりの、極端な情報氾濫。
「頑張って、下さいね?」
耳元に、吹き込まれる。
ヒソヒソと、クスクスと、
「くれぐれも、狂死など、しないように」
細い吐息で、無理無体を。
「ほぉら、私が、見ていてあげますから……」
その声から得られる、安堵になんとかしがみついて、
俺は正気を保ち続けた。
夢心地とはほど遠く、
朝が来た時に、生に感謝したくらいだった。




