279.一番近くて一番遠い
「人体と宇宙、どちらが先に解明されると思いますか?」
またいつものおしゃべりだ。時間が無いと言うのに。
しかしこうも根を詰めていると、作業効率が下がって来るのも事実。気晴らしが必要なのだろう。つくづく8年前の、遠山喜三郎の死亡が悔やまれる。人手で言えば百人力な上、橋渡し役としても優秀な男であったのに。
カミザススムと明胤生の決闘記録。数十人をけしかける事で手に入ったそれに、片端から目を通し続け、それでも仮説はその域を出ない。
だから彼は、与太話で頭を休めようとした。
「普通に人体だろうが。『考える葦』だとか言って、つまり宇宙と比して人間様々なんてのは、凄まじくちっぽけって事だろ?競争が成り立たねえよ」
「本当にそうでしょうか?」
「違うのか」
「違う、かは分かりませんが」
科学者という奴はすぐこれだと、男はそう悪づく。何でも物事を確定させないように立ち回り、解釈の余地があるのではと重箱の隅を突いて引っ繰り返し、その隙間に何かを詰められないかチマチマ調べて一生を終える。
宇宙がどうのと言う前に、国や企業の在り方、モンスターの脅威を調べる方が先だろう。いつか解ければ良い浪漫と違って、彼が扱うのは直面している危機だ。ダークマターとやらを証明した所で、経済戦争に勝てはしない。
「『考える葦』という言葉は、人間の矮小さと共に、人間の可能性を示す物です」
「可能性?」
「宇宙の中で人間は、葦と同格に区分して良いくらいにちっぽけな物。それはそうでしょう。ええ、誤差の範囲です」
けれども、
「人間は、『考える』のです」
「ええ、考えるのですよ」、白取は繰り返す。
「人間は葦と選り分けられない癖に、宇宙と向き合う生物です。“思索”という武器を使って」
「宇宙と、向き合う、だあ?」
「そうです。我々の身近な場所にも、宇宙あり、です。何せ全てが繋がっていて、同じ法則の下に動いていますから」
意味があると言うのか。
星屑の運行を調べる事に、為替相場の上げ下げを予測するのと、同じ価値があると言うのか。金は人を救うけれども、星は何もしちゃくれないのに。
「人間は、人間という種について、何も分かっていません。これは、悟伝教の解釈が最もしっくり来ます。曰く、万民に共通する正解は無く、個人個人に処方箋のように、異なる適切な教えがある」
「……考える、からか?」
「そうです。ええ、考えるから」
人の脳は様々な嘘を作ったが、“自分”という物はその中でも、飛び切り奇妙な発明だ。
「人の意思とは信号の羅列。ただし、その組み合わせは無限大。終わりなく続くという意味では、人間も宇宙も同じと言えます」
「何かを見落としているだけだとも思うがね。一銀河一星系内、一惑星の一生物種風情が、そこまで大したモンだとは思えん」
「けれどもダンジョンという現象に、人間が、その意思が優遇されているのも、また事実です」
そして人体には、間接的にしか見る事の出来ない“魔学的回路”がある。
「脳が生んだ自己と、ダンジョンが生んだ魔法。それらは密接に結びついている。宇宙を解く時、人間がそれらを自動的に、完璧に理解出来るでしょうか?例外的な法則が、神秘が介在しないと言えるでしょうか?」
「お前はダンジョンが形而上学だという論には、否定派の立場を取ってなかったか?」
「ええ、それはもう。ですが」
「『疑う事が仕事』、か?」
「“可惜夜”は世界の秘密を握る。一方で、その在り方は我々の思念に、恐怖や願望に依存している」
「あべこべです。ええ、主客が分かりません」、
どちらが主でどちらが従か。
どちらが本でどちらが末か。
鶏と卵は、どちらが先か。
世界が人間を作ったのか、人間が世界を作ったのか。
「宗教家が言いそうな事だな。地は平で、太陽は俺達を中心に回る。酷い思い上がりだ。幾ら魔法が使えても、地球の形は変えられない。銀河系ならもっと」
「そう、でしょうか」
魔素、魔力、魔法。
それらが出来る上限とは、果たして何処か。
魔素観測すら間接的な人類科学には、その理論さえ確立出来ていない。
「何かを見逃している、そう思えてなりません」
「何かってのは何だよ。それが問題なんじゃねえか」
「我々は“可惜夜”の事を、全知全能に近い物だと考えている。しかし、それは逆で、我々がそう思っている、そうであって欲しいと求めたからこそ、あれはそのようになっているとしたら?」
「先生よぉ?凄い事言ってねえか?“可惜夜”は俺達の願望器か何かか?擦ったら何か出て来んのかよ」
「或いは、願望器が生み出した物だとしたら?」
「それこそあんたの願望だろ。話がシンプルになるからな」
「重要なのは、彼女が如何に我々の想像と同じなのかではなく、」
「おーい?どっか行っちまったかー?戻ってこーい……?」
「彼女の何処が、我々の偶像と異なるのか」
並んでいた端末の一つに、白取は流出ご法度の映像を映す。
三都葉から提供された、『カミザススム伝説の8層配信』、そのアーカイブの削除部分である。
その姿に魅了される事を恐れ、けれども忘れる事も出来ずに、表向きには全動画が削除されながらも、ダークウェブでのアップロードは今尚後を絶たないと言う。
「彼女……いえ、これの容姿……」
「おい、どうした?」
「何故右眼が隠れているんでしょうか?」
「右眼?」
上下が逆なモノクロの美少女は、薄いヴェールの更に内で、純白の髪により右眼を覆い隠している。
「隻眼、或いは単眼という属性は、どこで与えられたのでしょうか…?」
「……少し待て…!」
男は記憶の引き出しを開けては中身を床に撒く。
「いや、そんな記述は無い。が、忘却された可能性も、いいや、」
伝承がその形を作っているなら、
「忘れられた時点でその特徴は失われている?」
「であるなら、つまり、」
「右眼を隠している事には、大きな意味がある」
「9割です。あなたの“仮説”、9割5分まで来ています……!」
カミザススムは時節、猫のように何も無い空間を注視する癖がある。
ニークト=悟迅・ルカイオスとの決闘時には、試合途中で劇的な戦闘スタイルの変化を見せた。
彼にだけ別の光景を見せる、どころか、一瞬の内に大量の情報を流し込めるのだとしたら?男の仮説は、「カミザススムの脳に近い部位に、“可惜夜”の遺物があるのではないか」という物だ。
特に右眼の瞳孔だけが、独立して動いているタイミングがあり、彼はそこが「クサい」と見ていた。
その流れがあっての、「“可惜夜”の右眼特別説」。
「締め切りに、間に合いそうになって来たな」
当てのない旅の途中、地図に目的地が描き入れられた。
男の腰は完全に上がり、後は最後の詰めと、
実行あるのみ。




