264.温度差ァ!
「“ダークマター”と呼ばれる物質、いえ、理論をご存知でしょうか?」
白取は自身の背後、過去の映像、文字、音声等記録資料の一切に目を通し直している、その男に訊ねる。
「『人間は全宇宙のうち、ほんの5%しか目にしていない』、だったか?」
『ィイーッ!?なにそれ!?どうなってんの!?』
「はい、その話です」
カミザススムとくれぷすきゅ~るチャンネルのコラボ配信、少年が少女の行動に驚きの声を上げる展開から目を離さず、彼は言葉を繋ぐ。
「銀河とは、星々の質量が生み出す重力の引き合いによって、集合しています。それが強すぎれば一箇所に固まってしまい、逆に弱過ぎれば力を振り切ってどこかに飛んで行ってしまう」
『どこ行くのさー!?じ、自由だなあ……』
「太陽と地球は同じ距離を保って、月は地球に落っこちて来ねえってのと、同じ話だろ?」
『あ、なるほど……?』
しかしそのメカニズムが通用しない場所がある。
「ある銀河に含まれる質量を測ってみた所、必要水準にまるで達していなかったそうです」
『かっる!?羽持ってるみたいなんだけど!く~ちゃんご飯ちゃんと食べてる?』
「本当なら、そこにある星はバラバラにどっか行ってる筈、って事か?」
「そういう事です。ええ、状態を保っていられるわけがないんです」
そして誰かが言った。
「この世には、“質量だけの物質”というものが、あるのではないか」、と。
『それアリなの聞いてないよ!?いやその答えは反則だって!想定しようがないって!』
「見えない、だけじゃない。観測の為の干渉も出来ない、触れない物って事か?それに質量があるってのも、よく分からねえな」
「視覚に訴えかける光は、電磁波の一種です。物と物の接触も、電磁力によるもの」
「……働いていない力は全て電磁力の括りで纏められて、一方で重力はしっかり作用する物質って事か?」
『そんな都合の良い時だけ………』
「その存在を仮定すれば、説明できる、という事ですよ」
それが「暗黒物質」。
空白を埋める真空。
机上だけにある、星の運行の為の装置。
「嵐や雷を、妖怪やら神で説明するようなもんだな」
「否めませんね。ええ、科学と妖怪は似ています」
『そ、そうかな?食い合わせ悪いと思うけど……?』
「どちらも世界を説明する、世界と向き合い納得する為の仕組みですから」
伝説、民話、神話………
目に見えない者達を語るそれらが、魔素という不可視の奇跡から、魔法という物語を引き出すのも、ある面では何も不思議ではないのだろう。
怖い話に、妖怪という姿と名前が付いたように、
個々人の神秘体験に、魔法という色と詠唱が付いたと言えるかもしれない。
人がやる事はいつだって同じだ。
名付けて、自分の物にしようとする。
何も無い場所を“空間”と呼び、
避けられぬ変化を“時間”と呼び、
地からの呪縛を“重力”と呼ぶ。
「しかし神話化していたそれらの絶対性に、疑問符を打つ論理が生まれました」
「“相対性理論”か?」
『あれ?く~ちゃん、それって何の話だっけ?……え!?なに!?ごめん!何か分からないけどごめん!話しを聞いてくれ!悪気は無いんだ!!』
「あれは結局、魔学との噛み合わせの悪さから破棄されただろ。魔素を変換して魔力にするという現象に、平仄が合った説明が付かねえ」
「近年では無視できなくなってきているのです。ええ、墓から甦りつつあります」
男にとって身近な話題から行けば、
「人工衛星を使った位置情報特定システム、GPS。あれはそこまで正確性を持つサービスではありませんでした」
「知ってるよ。今のレベルにする為に、あれこれ距離計測法に補正を入れたんだろ?」
「どのように?」
「そりゃあ、逐一測って確認して照らし合わせたりするしかねえだろ?」
「そういった手法も取られたようですが、結局は全ての試みが、一つの解に向かったようです」
『ハイ、ナンデショウカ……?』
「曰く、ずれているのは経過時間である、と」
地上と、衛星上では、時のスピードが僅かに異なる。
「重力の差が、時間の差を生み出している。その実例が見つかったのですよ。ええ、彼の異端理論のよう『ウェェエエエーッッ!!?!』」
大事な佳境で水を差された白取は、少し強めにキーを叩いて、モニターの音量を下げた。
「で、何で今その話をしたんだ?」
男はファイルの一つを紙の山に投げ捨て、もう一つの山から新たに1部を引っ張り出す。
「“可惜夜”もまた、そういう論理の下に生み出された概念です」
ある研究者が導き出した仮説の矛盾。それと現実との橋渡し役を担ったのが、その名だった。
「“ポールの海”、だったか?」
「エネルギー保存則も合わせて彼が仮定した存在であり、ダンジョンが乱したバランスを是正する為の穴。ゴミ捨て場とも呼ばれ、魔素を生み出すモンスターの対の存在である、“反モンスター”。本人も暴論に近いと認め、御伽噺めいた仮説として扱った物ですが、民間に伝わるうちに、まことしやかに語られるようになりました」
「写真に撮られた首長竜、発光して消える戦艦、古代遺跡に残る宇宙人や未来人の痕跡、猫の存在をブラす箱、そういうのと一緒だ。刺激的に感じる架空科学や思考実験は、得てして捻じ曲がり盛られながら広まって、『知っている人間が多い』事自体が信憑性を担保するようになる。
所詮出鱈目だ。そのせいで名づけの法則性も、正式なillから外れている」
「我々は虚無の暗黒の中に、“可惜夜”という名を与えてしまいました。元の理論を中途半端に引っ張って、姿形まで描き始めた」
与太話だった筈なのだ。
けれども、人間が勝手に決めたそのイメージに、ぴったり当てはまる何かが顕れ、そのまま名前を奪ってしまった。
「あれは“可惜夜”ではない、と?」
「いいえ、どちらかと言えば、逆です」
逆に、
「“可惜夜”は、我々人間が生み出したのかもしれない」
「そいつは……」
思い上がり過ぎではないか。
「それも逆です。我々を小さく、無知であると評するが故に、なんですよ。微に入り細を穿って、あの姿を言い当てる事など、現在の人類には出来ないと考えているのです。しかし、順番が逆なら納得出来ます」
「予言よりも生成の方が、筋が通るか」
「通ります。例えばあれが、人類の意識を集合させ、魔法と同じ要領で出力された現象なのだとしたら?」
「待てよ。魔法を生むにはまず魔素が魔力になって」
「相対性理論が通ってしまったせいで、そこから怪しまれるようになったのです」
時間や重力を勘違いしていたように、
「魔素についてもまた、我々は何か勘違いしているのではないか、そう思うのです。ええ、それは物質でもエネルギーでも、無いのかもしれません」
それがあの例外的モンスターを追う意味である。
それは人間と世界とが相対する上で、避けて通れないものである。
そしてだからこそ、
「だからカミザススムを、その中に刻まれた痕跡を求める、か」
「一部の学問馬鹿の熱狂、どこかでそうお考えのようでしたから」
歴史の転換点。
その「歴史」とは、地球規模か?宇宙規模か?
白取〇鶙は、揺れる大地の上に居るような日々を過ごしている。
双肩に乗った荷は、真理を求めた先人達の執念と、これから生まれる好奇心の潮流、それら全てを束ねた物だ。
「そう言えば、」
その重みを理解しているのかいないのか、ただ仕事を熟すプロフェッショナルは、一つだけ興味本位で聞いた。
「どうして“可惜夜”は、男女の差はあれ、絶世の美人になったんだ?」
「望んだからですよ」
白取はそう断じる。
「穢れを引き受け、愛し、存在を許す。生まれてから万物の隣に在り、死すれば何者でもその中に還る。全能にして都合が良く、畏ろしくも魅力的。それに与えるに相応しい観念を、世の儘ならなさに喘ぐ大衆が考えた時に、必要だったのは崇高さでなく——」
——美しい事だったんです。
「ええ、それは人を満たしてくれますから」




