260.前よりはマシ……いやこれはこれでキツいって!
「何、と問われましても、身動きを取りやすい衣服、とだけ」
「………」
透き通るように白い髪が、頭の後ろで大きなお団子になって、その付け根を編み込みが囲んでいる。
黒をベースに、白いフリル状の装飾が幾つか付いている、レオタード。
腰の横くらいまで開いていて、薄いタイツを通した脚が、そこから出ている。
いや、薄すぎるな。ほぼ素足だ。灰色の水面みたいな太ももから、本来は照る筈の反射光が抑えめだから、辛うじて何か着けていると分かっただけだ。
そんな彼女はさっきまで、開脚前屈のお手本を披露していた、んだけど、脚が180°しっかり開いて軟体動物みたいになってるわ、巨峰みたいな胸が床に押しつけられてたっぷり潰れているわ、別に腰を上げてるわけでもないのに、その……足の付け根の肉が吊り上がっているわで、参考にならない!なんならちょっと雰囲気がイケナイ!真似できるか!穴を開けるくらいにじっくり見るのさえ抵抗があるわ!
「しっかりと見ているじゃありませんか」
「う、うるさいよ…!」
今は両足を90度外に向けて、交差させた爪先立ちの姿勢で立っている。
ちなみに俺は何故か胴着だ。
「水着よりはマシになったけど……、いや、これを認めて良いのか?感覚が破壊されてるだけじゃないか?風紀的に取り締まらないとダメな気がして来た……」
「何をお惚けた事を」
「惚けてるのはどっちだよ」
で?普通に俺より動けるのに、わざわざ「動きやすい服」とやらで来たのには、どんなワケが?
「ああ、勘違いしていますね」
「何が?」と聞いた時にはカンナが目の前に立ってて、
くるっ。
左からの大外刈的な動きで即座に地に叩きつけられた。
下は柔道場のようにしっかりマットになっている、という事もなくピカピカの大理石みたいに固い。普通は受け身を取ってもダメージを殺し切れないが、そこはディーパー、身体強化で誤魔化して起き上がろうとして、
両脚に頸を挟まれた。
右脚の膝裏と、左脚の膝頭でサンド。
そのまま伸ばされる事で更に絞まっていく。
ヘッドシザース。
「く…、か……!」
なんとか剥がそうと手を掛けたが、摘まんで千切り取れそうなくらい深く指を迎え入れられ、いつもとは違うサラサラとした感触まで足され、酸素が脳に届かないのも相俟って、目的を忘れて揉みしだくだけになってしまう。
やがて軟骨の噛み合いが外れたような、コリッとした感触が首の後ろで撥ね、
「ぶはあっ!?」
ハッとした時には、俺とカンナの立ち位置が戻っていた。
「い、いまの…っ!?」
「ススムくんは、基礎が固まりつつありますから」
彼女は右手を前に出し、左手をそのやや後方に置いて、構えを取る。
右の小指の先から順に一本ずつ、こっちを招くように折り上げられる動きを見て、顎の下がこしょこしょとムズついてしまう。
「そろそろ体術を、本格的に仕上げる段階でしょう」
こいついっつも、一回は説明無しに攻撃してくるんだよな。
「か、カンナから……一本取ればいい、ってこと……?」
「いいえ?」
来るっ。
俺は良くてカウンター、最悪でも牽制になる右の一発を入れて
その手と胸元を掴まれ引っ張られる。
バランスが前に寄った所に、左下からの蹴り上げ、魔力で反対側に逃げようとして、そっちらの上から相手の左脚が回り込み、両足を地から浮かせたカンナの体重によって、俺は更に前のめりに。
彼女の右脚が俺の上半身と垂直に力を加え、横転させ、胸上からロック。背中から倒れた首の上に左膝の裏が来る。
飛びつき型の十字固め。
右肘や肩などの関節が外れ、皮膚や筋肉が断裂し、最後に腕が引き千切られた。
「あぎゃああアアアッ!!あ、が!いっ、」
「私の技を防ぐ、避ける、固められた後に抜ける。そのどれかを目指しなさい」
「はっ、はっ、い、いだっ……!」
「どれだけの手加減を挟んだ所で、一本どころか、技有りも望めず、勝負にすら成り得ませんから」
今度はリセットされてくれない。
欠損も痛みもそのままで、転がって逃げようとした俺は、「ゴオッ!?」均整のとれた足の爪先に、胸を上から縫い留められる。
黒い靴の先端は硬く、あばらにヒビを入れられる。バレエのトウシューズみたいな設計か。
って言うか、痛覚が更に敏感にされてる気がする。絶対なんかやってるだろ!
「次、行きましょうか?」
「ごのぉ゛っ!」
ちょっと腹が立って来た俺は魔力噴射で彼女の下から抜け、地を叩いて起きながら右脚で蹴って、追いかける攻撃を押し返そうとする。
下に行く程シャープになっていく彼女の両脚が、蹴り足の膝が伸びきる前に両側から挟み潰して溶け付くように止め、奥ゆかしく待っていた右肘の裏が踵をキャッチし、内側に絞るような無理な回転を加える。ヒール・ホールドのような捻じり方。
膝がミシリと割られ靭帯がむしり取られた。右脚の長さが半分に。
「ぐぁあアアーっ!!?」
「立ち止まっては、いけませんよ?」
けれど、死ねない。
俺の存命を見切っていたカンナは、一切の待ち時間を許してくれず、背後から俺の首に手を回し、喉仏に清涼な前腕を押し付け、チョークスリーパーを掛けて持ち上げる。
足が地面に付かず、二つの嶺の間にずぶずぶと体が埋もれていき、身動きが奪われて抵抗のしようがないのに、わざと動脈を押さえないように調整され、呼吸を取り上げられた苦しさだけが続く。
酸欠で何も出来なくなり、けれどここは既に夢の中で、気絶は許されない、数十秒。長い長いそれが経過してから、俺はやっとへし折られ、スタート地点に戻されて、
それを確認してすぐに横へ全力で跳び、着地点でその手をワルツに誘うように取られて——
彼女が教えたいのは、格闘技の方じゃない。
例え手足が失われても、相手の精密な技と戦える、その応用力を求めているんだ。
と分かったのは、悪夢から醒めて起床してから。
その日の朝練で、二人から体調を心配されたのは、言うまでもないと思う。




