252.言える事は、それくらいで
「悪運が強い奴め。そういう偶然は、正しい人間に使われるべきものだろうに」
先輩が吐き捨てる。
言外に、ロクさんが亡くなって、どうしてお前が生きてるんだと、そう言ってるようだった。
「いや、結局クワトロの火事場の馬鹿力だからね。僕でないと、こうはならなかったと思うよ」
険悪な空気をわざと読まず、後ろ手に縛られながらマジレスで返すディーズ。
そう、驚くべき事に、彼は生きていた。特殊部隊男も、クワトロも無惨な姿で転がって、でもディーズは生き残った。
クワトロの深化によって、五十妹の魔法生成物である種籾からも植物を作れるようになり、それで作った障壁を使って、あの瘴気の中を生き延びていたのだ。
魔力を使い切った事で、まず術者のクワトロが重点してノミに吸われ、次にディーズの番、となった所で、全ての矛先が俺とカンナに移り、難を逃れたらしかった。
「神様とやらが居るとしたら、何処までも公平らしいね。公平に、サイコロを振って決めているらしい。日頃の行いなんか、見てくれちゃいないんだろう」
「そうかもしれない。でも、あなたは生き残った。それに、あなたはもう私達を殺せない。だったら私達は、あなたを殺さない」
「正義の為に?」
「信念の為だよ。私が私であるっていう、線引きの為に」
握った拳に血管を浮き出させながらも、ミヨちゃんはそう言った。これ以上彼には、何もしないと。
「もうじきに警察が来る。まったくもって速やかな救援だが、お前を逮捕するくらいなら事足りるだろう」
「だろうね。どうなるかな」
「すぐに送還される、とか思ってる?」
「まさか、それこそ平和ボケした人間の考える事だ」
ディーズは笑う。
その肩が震えているのは、可笑しいからなのか、それともやっぱり、怖いからなのか。
「カミザススム、君を取り巻く様相は、結構大きいうねりになっている。宗教・国家間のイデオロギー対立が複数乱立して、その上から人類規模の問題が覆っている。この国の首脳部がまともなら、その動乱の端緒でも逃がしてはならない、それが分かる筈だ。僕以上に良い大学出てるだろうから、きっと理解しているよ。これを放置したら、国が滅びかねないってね」
「だから内情を知ってそうな僕は、逃げられないさ」、
ニヒリスティックな冷笑は、強がりの空元気に見えた。
「拷問かあ、嫌だなあ……」
「そんな事、する?」
「どんな人間も、追い詰められれば全力を出すよ。この国だって、きっとそうさ」
彼は俺の顔を見上げる。
「残念だ。あと一歩だったんだけど、でも結果が全てだ。僕は“本物”にはなれなかった」
「本物」。
本物か。
「俺を殺すと、本物になれたのか?」
「少なくとも、第一歩は踏めたよ。名前が残せたんだ、1000年は残る帝国の名が」
「売名したいってだけで、ススム君を狙ったって事?」
「君も配信者なら、分かるんじゃないか、クレプスキュール?」
「私は知名度の為に、人を殺したりはしないよ」
ミヨちゃんはそう言ってるし、俺もそれが正しいと思う。
だけど、
そうなんだけど——
「欲望のピラミッドって、知ってるかい?」
彼は話を広げ始めた。
「欲望には段階がある。最も基本である生存が満たされると、上位の安全への欲望が生じ、それが満たされればまた上位に。生存が厳しい状況では、夢やら自己実現など考えていられない。その欲望は発生しない」
先輩が端的に答える。
「僕はさ、あれは動物としての人間には、正しいと思う。でも、人間の全てを表せていない、とも思うんだ」
「人間は、動物だろ」
「でも、少し変わった動物だ……と言うか、そうだね、人は確かに動物だけど、人間意識がそう思ってない事が問題、って言えばいいかな?」
人間と、動物の、違い。
「僕が思うに、時間、正しさ、個体としての死への恐怖、それらが二つを分ける物だ」
人間にあって、動物に無い物。
「生物の本質は、自己保存だ。人間にも、その機能は備わっている。生存に快適な環境を能動的に作る、脳の発達はそれを促し、種の保存に貢献した。だけど脳機能の、思考力の進化の中で、“時間”という概念が生まれて、おかしくなった。今は良くても、将来は?自分が死んで後、受け継いだ血肉は、その未来で生きていけるのか?
答えなんて出ない。未来なんてサイコロで決まるんだから。でも僕達は時間を知ってしまった。目先の安定で飽くを知らず、本物の安穏を仮定してしまった。もっと安心な、もっと良いやり方があるんじゃないか?消えぬ不安を消す為に、不滅の安心、言い換えれば“正しさ”という、幻想が生まれた」
誰もが思う、「世界は今より良くなれる」という希望。
それは、時間が生んだ幻?
「僕らは、死ぬなら死ぬと割り切り、コピーを残す事に特化した生物のあり方から、徐々に離れて行っている。時間と正しさを持った人間には、意思や意識という偽の統一性が生じる。そんなもの、化学反応と電気信号が、その場その場であれこれ絡み合い発している偶発を、後から“時間”軸で繋げて、“正しさ”の上で辻褄を合わせた、存在しない何かだ。だから、幾ら肉体をコピーしても、持ち越す事は出来ない。完全ランダムだから、再現なんか出来ないし、地続きにするなんて以ての外だ。
受け継げない物が生まれ、コピー元とコピー先は別人になって、自己保存本能は個体の死を恐れ始めた。避けられない断絶。その絶望に、時間の概念を持つ意識は耐えられない。死を忘れておかなきゃやっていけない一方で、生物である以上は完全に忘れる事は出来ない。
そして生体遺伝子ではなく、自分の意識を、情報遺伝子を残す事に腐心するようになった。僕らが残したがっているのは、自分の身体じゃない、自分の心、精神、正義だ」
俺達人間は、血と肉と骨を残すだけじゃ、満足出来なくなってしまった。
「“承認欲求”はピラミッドの上から2段目って言われている。だけど動物から離れた人間にとって、ピラミッドの底辺だ。最底辺なんだよ。僕ら人間は今や、自己を保存しようとするなら、誰かに認められてなきゃ、憶えて貰わなきゃならないんだ。誰にも見られていないのは、死んだも同然なんだ」
「詭弁だ。食うや食わずの人間は、そんな事を考える暇も無い」
「それは、まだ動物だからだよ。『時間』も『正しさ』も、誰にも教わらなかった、ある意味で僕らより幸せな連中だ。
動物は僕らと違って、死を前にしてもなんとも思わない。自分と同じような遺伝子が、周りに一杯残ってるんだから。いや、そもそも“生命”という在り方さえ残っていれば、それで良い。絶滅種はトライ&エラーの『エラー』部分ってだけで、『命が続く』という事が本題なんだ。検証の為に出来るだけ生きる、それだけのシステム。
恐竜だって、ネズミが生き残って猿になっているのを見れば、普通に満足するだろうね。いや、そもそも“無念”という概念が無いけど」
しかし、もしそれらの概念を教わっていたら。
世界には正しい形があって、誰かの意思で、或いは自分次第で、良くなっていくと、一度でも信じた「人間」なら、
「貧困に喘ぐ少年を、強固なガラスケースに監禁して、餓死させたとする。人はいつか死ぬ事も、自分がもっと楽に生きれた可能性もあった事も、彼は知っていたとする。その最期を迎える直前、外に誰かがやって来て、必死の形相でそのケースを叩き割ろうとしているのを見たなら——」
——それは幸せな死じゃないか?
「そんなの!」
ミヨちゃんが鋭く叫ぶ。
「そんなのって、ないよ!それで幸せって!」
「だけど、人はいつか死ぬ。長寿である事が良い事だと言われるのは、それだけチャンスが多くなるからで、未練さえ無ければ短命でも“幸福”だ。と言うより、短命な者が絶対に不幸なんて、それこそ窮屈な世界じゃないか?事故でも病気でも、どうしても早死にする人間は居るのに、彼らには幸せになる権利なんて無いのかい?」
「そ、それは……」
「その少年は確かに短命だったけれど、それで一人で息を引き取れば悲惨だったけれど、それでも誰かが自分を見て、助けようとした事を知った。その誰かが自分を語り継いで、誰かの中に自分が生き続ける希望を持てた。自分達がより幸せになれる、正義が勝つ未来、それを目指す人間が居て、自分はその仲間に入れた。
一方で、不名誉を被って誰からも疎まれ、家族に見限られ住む家の争奪戦にも負け、“支援団体”に生活保護まで搾取され、身分証も残らず取り上げられ、自分が誰であるかを証明する術すら失い、“正しさ”の中に帰る方法を失って、寿命だけ残った男が居るとする。
血族と離れ孤独に死ぬ老人と、正しい流れの一員となった少年。生存・生殖欲求を満たしたのは前者で、承認欲求を満たしたのが後者だ」
「どっちが幸せなんだろう?どっちが人生の目的を達したと言えるのだろう」、
誰もが黙り、静まり返った事で、遠くから響くサイレンが聞こえた。
警察が来た。
「どんなに充実した生でも、将来軽蔑され続け、いずれ嫌悪か無関心によって記憶から消されると、最後の最後に悟ってしまったら」
それは、とても恐ろしい「終わり方」だ。
「知恵の実みたいなものだね。“時間”を一度でも、たったそれだけでも知ってしまえば、人はいつか“正しさ”を求め、意識の、『自分』の死を恐れ、承認を第一に考えるようになる。食うや食わずの中で、生存を考えれば考える程、誰かに自分を知って欲しくなる。
子供というものは、遺伝子の方舟ではなく、父や母として自らを乗せる、“思い出の乗り物”になったんだ」
だから、彼らは名を求める。
生きるという本能は、承認される事でしか満たされないから。
「時間だな。痛いのは嫌だから自殺したいけど、親父との約束を破る方がもっと嫌だ。最後まで生きてみるしかないんだ」
足に力を入れ、出立の用意をするディーズ。
警官が来て、彼を立ち上がらせる為、その手を縛るケーブルの一部を解き始めた。
「君達が、俺の友達とか、ここに住んでた人達とか、ロクさんにした事は、絶対に許さない」
俺は彼の目を真っ直ぐに見て言う。
「だけど、君達が俺にした事については、いつか許してしまうと思う」
彼もまた逸らさず見返して、
「ああ、そうか、君は僕と同じなんだね」
俺が彼に、何処かで共感している事を見抜いた。
俺は彼らを責め切れなかった。俺が彼らを罰する、法的な権利も義務も無い。
だから、俺の周囲を傷つけた事を、いつまでも個人的に根に持つ。それだけだ。
「僕が、他ならぬ僕が君を殺しに来たように、」
ダンジョンに行った事がある筈なのに、魔力をほとんど感じさせず、あのフラッグの中では垂れ流しにしていた彼が、俺を殺しに来たように、
「君の同類だって、味方とは限らない」
俺の周りは、思った何倍も敵だらけ。
「だけど、俺には仲間がいる」
みんながいるんだ。
それで十分頼もしい、誰とだって戦える味方が。
「君も“家族”を見つけたんだね」
彼は何故か、嬉しそうに笑った。
「やりたい事をやると良い。君にはまだチャンスがある」
連行されながら、ディーズは去り際にそう言った。
「言われなくても」
俺はそう答えた。




