250.意地と意気地、どちらかが折れるまで part3
唇と歯の位置、口蓋内と舌の形を工夫して、流動路を狭めた。
同じ量の流体が動くとき、狭い道を進む方が速くなる。ビルの間の道の方が、風が強くなるアレだ。
これで流れ込む、流れ出す速さを上げ、大量且つ高速の循環を実現した、のだが、
「ひゅ、ぅぅぅううう…っ、……!」
何か、気管がおかしい。砂が通るようにジャリジャリとして、あちこちが腫れたり、破けたりしたいるように感じる!
「ひゅ、おおおぉ、ぉぉぉぉ……っ!ゴホッ…!」
入られた!俺が感じれないほど小さい呪いが、魔力が侵入している!
これは多分広がり増えるタイプの効果だ。今止めなければそのうち呼吸が出来なくなるが、当然のように解呪能力なんて持たない俺では打つ手なし!頼みの綱のカンナもまだ敵を殺してくれない!
今度という今度はもうおしまいか?ここまで来て俺は何かミスったか?
いや諦めるな!この程度の困難を不可能なんて言うな!カンナが仕掛ける事が苦痛塗れだったなんていつもの事だろ!これはゲームオーバーじゃなくて用意された問題の一つだと考えろ!これから先誰にも負けない奴になりたいんだったら呪いに対抗するくらいやって見せろ!
「呪い」と言っても要は魔法効果であり、その元となる魔力がある!それが俺の体内に巣食っているか、若しくは俺の魔力を変質させているかだ!俺が感じる事が出来ていないという事は前者。ならその魔力を取り除いてやればいい!火には火を、毒には毒を。魔力には魔力をぶつけて相殺しろ!
「ひゅ、ぅぅ、ぅうう、う……っ!」
ボロボロながらもまだ機能している気道を通し、
「ひょ、おお、おぉ、ぉぉ……っ!」
肺一杯の空気をぐるぐると出し入れて、
体内の逆三角形の更に内側に接する、もう一つの正三角形を書き込む。
同一平面上では無理だったが、立体的に見れば可能だ。
力の一部に対して、微妙な差異を与える程度の、本来ならあまり重宝はされない技術。
だが今はこれがいい。その僅かな変動を利用して、会得しろ。
俺が感覚している魔力の単位を、より小さくするんだ。
俺は今まで、ここが下限だと思っていた。
しかし敵が使う魔法が、感知出来なかったって事は、これより下があるって事だ。
もっと、もっともっと小さく、細かく……!
魔力で気流を感じ、その中に存在するであろう敵性魔力に触れる為、もっともっともっと、粒度を上げていく…!
魔力に出来るだけ多くの感覚器官を生やす。吸って、吐いて、外からより多く取り込んで、よりどっぷりと繋がって、詳細に分解していく…!
敷き詰められた石畳の上には人の往来によるものか僅かな凹みがあり毛や砂が引っ掛かっている。それらの上でネズミ共が行進する事でひっかき傷が刻まれている。大小様々な痕跡の中ではモンスターからも見向きもされないような細い蟲達が表面を這っている。俺の右足の土踏まずの下にある一枚には右上から順に1、2、3……100箇所を超える傷があってそのどれもに虫や粒子が入り込んでいる。その粒子は石の表面から欠け落ちているそれと違って薄い色をしており風やネズミ、または俺に運ばれた物だと分かる。ある場所には偶然正方形を結んだような痕が残っておりある辺には粒が5粒、隣には蟲が7匹、反対の隣には粒2蟲4、対辺に入っている内の1匹が持つ体節の前から10個目が広がり、それによってウネと丸みを帯びてブヨついた先端が掲げられ、
俺は足裏に触れられたように感じた。
——あれ……?
小さいものを、より小さいものをと探していたら、いつの間にか見える景色が一変している。
目を向けた先が超スピードでズームインするように迫り少し視線を動かすだけで空間が横に吹き飛んで行った。耳からガタガタドタドタと足を踏んで再現したドラムロールみたいに聞こえるのはネズミ共が駆ける音。それから魔力が旅客機のジェットエンジンみたいな轟音を響かせて外へ噴き出て、カンナと敵モンスターの声が耳元で会話しているかのように近い。鼻の粘膜に刺激物を注射したと思うくらいに奥の奥まで痛みが連なり、ブツブツと微小な何かを含む粘つきが舌の上を滑る。
暑く、寒く、苦しく、悲しく、痛く、恐ろしく、
相手が出来ているから、という認識のお蔭か。
絶対にやるという、強い覚悟の結果か。
魔法陣の変化が、効力を発揮したか。
自分で風を生むような、深い呼吸で付近と一体になったからか。
俺はミクロの世界に入門していた。
そこで俺に出来るのは、
「ひゅ、ぅ、ぅぅう、うう……っ!」
吸って、
「ひゅ、おおお、ぉぉ、ぉ……っ!」
吐く事だけだ。
風の音が鼓膜を撃ち家の窓を塞ぐ木の板の隙間から中を覗き鼻の穴から脳までが下水のキツさに貫かれ動揺して眼球が震えると光景がぐるりと切り替わって道端の糞の内容物を一粒に至るまで具に見分けてしまいその形や味までが同時に識別され魔力のぶつかり合いやそれで焼かれるノミの悲鳴が頭を揺さぶり関節が溶け砕けた音を自分の脚かと錯覚し肌の内外で生物無生物問わず動体が痛いほど這い回り、
これでどうするもこうするも無かった。身動きすら無理だ。
指一本、爪一枚でもずらせば、それで波打った世界から、振り落とされてしまいそうで。
俺は気合の合掌姿勢のまま、呼吸に出来るだけ集中しようと、必死に情報の洪水の中で藻掻き、
ああ、
日暮れの空だ。
違う、カンナだ。
暮れなずむ彼女と目が合った。
そう思った瞬間、俺は平衡を取り戻した。
万象がストンと腑に落ち、俺の体は宇宙を流れる風の一片となった。
それによって生まれた吹き溜まり、滞りが何処にあるのか、完璧に分かった。
冷たくトロついた、声ともつかぬ息吹が、鼓膜をカリカリと擽る。
視界の隅をチカチカと突っつく物。カンナの右の耳たぶから垂れ下がる、逆三角形の下に逆U字形が付いている耳飾り。
三角の部分を通った光明が拡げられ、ふわりと下からの風があるみたいに膨らんだ白絹の髪をスクリーンとして、そこに線虫のような、糸くずのような物が投影される。
あそこに映っているのが、ノミ女の使っている欠片か。
自分の中の何を滅ぼせばいいのか、それで分かった。
カンナの見立ては正しかった。それか、正しかったって事に俺がする。
俺はこの攻撃に勝てる。
「ひゅ、ぅぅぅううう…っ!」




