245.あまりに遅い気付きだけど、それでも気付けた方が良いんだと思う part2
「“両手を後ろに跪け”」
魔力を最高効率で運用する事で、彼は完全詠唱を重ね掛け出来る。
その狭い空間内を、その少年を掴む赤線で、満たす事だって可能なのだ。
中々に鋭いそいつは、これから何が起こるのかを既に理解し終えていた。
反撃は詠唱中から開始されていた。
早かったが、けれど一歩、一指、届かない。
極めて高度な身体強化があり、単純なフィジカルで言えば、少年に分があるだろう。格闘技の心得も少しはあるように見える。脚を一本繋がれ、間合いも詰められた。けれど、経験と技量には、圧倒的な開きがあった。
腰の乗った左ストレート。ジェットのような物で滞空し、ケーブルの巻き取りの勢いも借りて、横面を狙っている。
彼の目は追い着いている。だからレーザーで防げる。
不可視の魔力を浮遊させる事が出来るようだが、彼の魔法で全てが破壊される。
手は残っていない筈だった。
しかし、
——!
最後の最後。
彼の攻撃が迅速だったからこそ、残ってしまっていたもの。
あの少女が使っていた青いリボン、その切れ端。
魔力がまだ残っている。断ち切られる寸前に、籠った魔力を先端の側に移したのか。
それが消滅しておらず、能力も生きている。
それが少年の左拳に巻かれて、レーザーの防御を貫こうとしている。
壁を作る暇はもう無い。
だが問題無い。
ただ右手で流せばいい。
彼は詠唱後に掌印を素早く解いて顔の横に持って来ていた。
それを少し挙げて、
少年の拳が不自然な急角度で方向を転換。
あれもジェット噴射か。
狙っていたのは顎だ。
ガードが上がったせいで着弾点が無防備になってしまった。
インパクトが来る、
前に、
レーザーの展開が完了した。
“レーザー”と言いつつも、魔法効果の経路であり、伸びるのが光の速さというわけではない。だから瞬殺は出来なかったが、1秒あれば充分だった。
左腕周り以外の肉を通る数十本。
少年の頭を貫く幾数本。
彼が動かし、少年自身もまた動いている為、被害範囲が拡大。
脳漿がぶちまけられた。
頭を割られた事で、細かく命令され操作されていた魔力はコントロールを失い、身体能力が失われる事で動きは緩慢になり、少年の身体は内から吹き飛ぶ。
その左手もまた——
少年が、
彼を打つ時に左拳を選択したのは、
偶然だろうか?
ただ、ケーブルが彼の背中から、左の腰側を通り、彼の右脚に付けられていたから、それを引く動きに合わせて、左手が出ただけなのだろうか?
何処までが計算かは、分からない。
少年は頭を右側に傾けていた。
ジェットを利用し、首の皮が千切れるくらい、右に傾げていたのだ。
レーザーに分解される前に、へし折れていてもおかしくなかった。
そのくらい向こう見ずな、合理性など見出せない行動だった。
結果、脳の左半分だけがサイコロステーキにされた。
左脳側が、だ。
左脳は身体の右側を、
右脳は身体の左側を、
それぞれ担当している。
身体強化に使った、魔力の操作も同じだろう。
少年が左手を使ったのは、右脳を守ったのは、全て偶然だろうか?
彼は少年の、光を失っていない右眼の中に、答えを探し、
「あなた?」
海辺の砂浜で、彼は彼女と共に、水平線を見ていた。
「どうしたの?変な顔をして」
「……いや………」
二人並んで、サマーベッドに寝そべりながら、聞こえるのは互いの声と、鼓動と、波が寄って、返る音。
トースターの中で色付くバターのように、空が明度を溶かしている。
半ば程に没した太陽は、やがて顔を隠してしまうだろう。
何かが終わる前の、たった一時、その瞬間にしかない、静謐な安寧。
彼はこの時間が好きだった。
彼はいつも、ブロンドの長髪にも、白い肌にも、
自分に無い彼女の美しさに焦がされて、
けれどこの時間では、全てが曖昧な色に、同じになった気がした。
この色の中でなら、彼のような人間でも、彼女を愛すことを許された気がした。
「なんでもない……、本当に、なんでもない事なんだ……」
正義とか、愛国とか、責務とか、
そんなお題目が無いと、自分の価値を主張出来なかった。
信じられなかった。
でもこの時は、この時だけは、彼女と一緒に居て良いって、思えたのだ。
「いや……違う……」
なんでもない事じゃない。
素晴らしい時間。
素晴らしい景色。
日没が迫る中、彼は左に居る彼女を呼ぶ。
「なあ、俺は、本当に……」
間違いだらけで、
ずっと傷つけてしまっていたけれど、
「お前の事が、何よりも、大事だったんだ」
やはり橙色に染まった、彼女の瞳。
その中に映る彼の目は、
「なあに?急に」
——ああ、そうか
同じだった。
罪を自覚しながら、それでも大切な誰かを守ろうとする。
少年は、あの時、何かを守ったんだ。
己の頸椎すらギリギリまで酷使して、何かを守った。
彼が彼女の為に、バッタの大群へ向かっていったように。
違うのは、少年の目は、怯えていなかった事だ。
真っ直ぐに罪悪と向き合いながら、それでも突破した。
彼の間違いを、形あるもので立証する。
これはそういう罰なのだ。
「知ってるわよ、そんなこと」
陽が海に呑まれ、夜が来た。
星一つ無い闇黒が。
譲れない者同士が戦い、強い方へと天秤が傾いた。
彼はその敗北を、絶望と捉えなかった。
彼とは違い目を逸らさなかった方が、彼よりも強い。
現実は、そういうふうに出来ている。
それは、彼にとって救いだった。
後頭部に衝撃。
全身にショック。
視界が黒から白に、光が戻る。
爆風と拳とリボンの拒絶能力、三重の衝撃によって、顎の骨が砕ける程に揺さぶられ、意識を失って吹っ飛び、壁にぶつかった後に自動意識回復モジュールが作動、また目を覚ました。そういう流れだと、遅れて理解した。
彼の魔法は、
全てが消えていた。




