237.いつだって「もしも」に意味は無く
重傷者の命を、どうにかして繋ぐ。
カミザススムは医者でもなく、回復能力の持ち主でもない。
ならば、五十妹に頼るしかない。
魔力生成物である稲を、その人の口に入れるしか。
それをする為には、止まって、屈んで、相手の顔を覗き込むだろう。
隙だらけだ。
高濃度魔素環境下のカミザススムが、その背を、首筋を、受刑者が断頭台に向けてそうするように、八雲の前に無防備に差し出している。
彼は懐から、ネイルガンのような違法改造魔具を取り出した。
“不可踏域”内のとあるダンジョンに存在する、公には未発見である新型の呪い。
これにセットされているカートリッジは、そのダンジョン原産コアから作られており、本体に刻まれている魔法陣は、ほぼ正確に効果を再現する。
海外の犯罪組織を壊滅させた際に、便利そうだから“譲って”貰った代物だ。
彼は高揚も充実も達成感も無く、
ただ作業的に先端を押し当て、
その引鉄を〈それはいけませんなあ〉
アイボリーで先が鋭い、曲がった棒のようなものが通過し、
彼の腕が落とされた。
〈その方を損なうなど、とんでもない〉
「へっ、うぉっ、???」
同色の、伸縮する長い物体が八雲の首に巻き付き、
彼を引き寄せる。
〈人類がまた一つ、遠のく事になりますぞ?〉
それは、魔法で変身した人間だった。
と言っても、頭部が象のそれになっているだけ。
右の牙が折れている。さっき投げつけたのはそれだ。
そして長い鼻が、尋常ならざる膂力で、八雲の首を絞め捕らえて、
彼の肉体強化能力を以てしても、ビクともしなかった。
「が、ガネッシュさん!?」
詠訵三四の口に籾を押し込んだカミザススムが、振り返ってその男の名を呼ぶ。
ガネッシュ・チャールハート。
チャンピオン4位。
「ど、どうしてここに!?」
〈今最も学術的価値の高い、人類史の宝のような存在が、失われんとしていると聞きましてなあ!まんじりともしていられなくなったのですぞ!〉
「は、はあ……」
〈それより貴方には、やるべき事があったのではありませんかな?〉
「あ!そうでした!」
少年は比較的重傷な六波羅に、五十妹の魔法を与えようと走る。
ガネッシュが掴んだ八雲には目もくれない。
そういうものだからだ。
能力はまだ活きている。
では、
「どう、して、僕を……、攻撃し、た、の……?」
今にも消え去りそうなくらい、弱く途切れ途切れの問い掛けに、
〈学者ですからなあ!〉
彼はそう答えた。
「な、んて……?」
〈どんな当たり前も、深く疑い、考え、無理を道理で破壊し、常識ではなく真理を探る!それこそが私達の仕事ですぞ!〉
成程。
ある意味において、八雲の同族。
だから相性は、最高で最悪。
見られない能力が、見られていないという思い込みに変わり、逆に「彼を見ている誰か」という、脅威の存在を見えなくした。
一種の因果応報。
魔法効果が引っ繰り返され、八雲は敵が見えなくなっていた。
そういう立派な能書きを垂れる人間は他にも居たが、大抵は八雲をスルーする。
しかしこの男は、しっかりと世界の曖昧さを実感している。
しかも、学者という職を選ぶとは。
ここまで全てを徹底して疑いながら、それでも知ろうとする事をやめないバイタリティー。八雲には真似できそうもなかった。
〈私は少し外しますぞ!すぐに戻ります!〉
「え?は、はい!どうぞ!」
六波羅の身体をくっつけ、ニークトに走っているカミザススムに一声掛けて、ガネッシュは八雲を路地裏に引きずり込んで行く。
〈申し訳ありませんなあ……。私以外の人間に対処困難であるなら、貴方を生かしておくわけにはいかないのです〉
そう言って、鼻の力を強めていく。
〈貴方が次に彼を狙った時、私がまた近くに居れるとは限りませんからなあ。人類の進歩を足踏ませ、後退させる障害を、私は個人的に許せません〉
「ま、そう、だよね………」
八雲が命を落とした瞬間に能力が切れて、彼の死体は社会的な問題となる。
が、この場所なら、死と崩壊に囲まれた戦場の中なら、
死してなお、彼は周囲に紛れるだろう。
「そういうもの」だからだ。
今更だが、さっき能力を解除して、一般市民のフリをしながら助けを求めれば、まだ機会を作れただろうか。まあ、既に言っても詮無い事である。
それが咄嗟に思いつくほど、彼はこの世を重く見ていなかった。
この能力が通用しないのは、これで二人目だ。
一人目は——
——それじゃあ、なんで、君はこの業界を選んだの?
——どうしてその話を、私にしてくれたの?
彼は思い出した。
あの時何を聞かれたのか、
そして、何故この稼業に、手を染める事になったのか。
彼は考える。
もしも、彼女より先に、ガネッシュに会っていたなら、
彼は学者になっていたのだろうか。
——いや、
この仕事以外に就いている自分を、彼は上手く想像出来なかった。
可能性や適性が露程にも無いのか、
それとも、もう彼女と出逢ってしまったからか。
「if」を考えるとは、無為な話なのだと、彼は改めて思う。
それが起こらなかった現実、その経験を基に考えて、分かるわけがない。
何より、この世の全ては、有るか無いかも分からない。
それなのに、
——ああ、そうだね、君の言う通りだ。
人を好きになる人殺し。
それ以上に弱い奴なんて、この世の何処にも居ないだろう。
自分だけが確かな世界で、スクリーンの向こうの物を、
対等な相手と扱うなんて。
頸の骨が折れる音を聞きながら、
彼は自分が、思ったより酔狂な人間だったと気付き、
少しだけ惜しい気持ちになった。




