236.お待たせ、始めよっか
「す、ぅぅぅううう……!」
肺と気道の中だけに留まらず、一つの気流を作る意識で、
「ふ、ううぅぅぅ……!」
吸って、吐く。
脳と繋がる神経に魔力を充填。
動体視力をいつも以上に重点。
まずは相手のスピードについていけない事には、戦いどころではない。
魔力の感度も最大限に引き上げ、触感としても敵の動きを捉えられるようにする。
空から照らす恵みの赤陽は、この土から産まれた者に、特に何かを守る者に、力を与える。今の彼も、その対象とされているのだろう。情報処理速度や単位魔力量あたりの効力が、高まるのを感じられる。
進の迎撃態勢が整った。
バッタ男が後ろ肢を曲げ、前傾姿勢に。
先端が鳥の足の形をしている、羽の生えた前肢を、肘に当たる部分を上げながら、地面と平行近くに構える。
バッタの肢先のようになっている指は、第一、第二関節を僅かに曲げ、掴みかかる直前めいた形に。
バレバレの、直進攻撃の予兆。
重要なのは、タイミングである。
進が動くのが、瞬刻でも早く、或いは遅くなれば、
方向を修正されるか、間に合わないかして、特大の一撃を受ける事になる。
明胤のブレザーを着用し、シールドジェネレーターを起動している今の彼でも、どこの骨が切り取られるか、分かったものではない。
最高気温37℃の猛暑の中で、人間の脳は集中力というリソースを著しく削られ、
誰かの汗か、或いは血溜りに、もう一滴が落ちる音がして、
それが合図!
バッタの膝関節が開き進が右にサイドステップ!初撃を躱した事で
否!バッタは力の開放を一時中断!フェイントである!
哀れ移動中で滞空している彼は、狙い澄ました首を狩る右前脚に
否!否!進は右側面からの魔力噴射命令の入力を済ませている!
そのまま右に跳ぶ場合とフェイントを返してやる場合、
彼は事前に両方の用意をした上で敵の出方で出力を変えたのだ!
空振り!
入れ違う二者!
進はバッタ男を横から蹴り入れてやろうとして、
突然暴風のような力に押し出される!
魔力を伴わない不可視攻撃に、刹那の疑問、もう一瞬きで理解!
その時に音が聞こえたからだ!
超音速!衝撃波を発生させながらの突進!
バッタは塀に突っ込んで大断裂を開く!
進は倒立後転から左に跳んで詠訵三四に駆け寄ろうとし、
直上昇からの羽根飛ばし連穿撃!
鳩が持つその場で急浮上する腕力とバッタの脚力をフルに使って妨害!
彼女に近付けない!未だ救急救命ならず!
バッタは前肢で飛びながら、中肢で投擲!
空中から一方的に嬲り殺そうと画策し、
進が跳んだ!いや、飛んだ!
魔力噴射を駆使して翔けた!
後ろ肢蹴りが使えず加速が緩やぐ事で音速の壁を超えなくなり、
前肢が戦闘でなく飛行に割かれる空中戦、
そこに勝機を見出した!
接近する進に対して後ろに引きながら連射を続けるバッタ!
それが背にした空気が爆発!進の透明魔力!
既に空中至る所に配置済み!何かに触れた瞬間に起爆される!
進がジグザグ飛行をしながら尚も近付く!
バッタは投射を激化させ牽制に注力!
進への命中コースに入った数本が彼の顔の手前で吹き戻される!
彼は自身にも纏っていた!
爆風のほとんど全てを相手側に向かわせるよう工夫を施した魔力塊!
攻撃の際にも彼の肉弾に先立つ一撃として利用可能!
流動防御とは違い全身をそれで守りながら相手を殴り倒せる!
攻防一体の魔学的爆発反応装甲!
進の間合いに入る!
今だけは拳二つ脚二つ同士のドつき合い!
バッタの右後ろ肢の水平回し蹴り!
進は上に避けながら足刀蹴りで返そうと、
翅が、
鳩の羽でなく、バッタの翅が開いている。
そう、その個体のベースとなっているのは、その他多数と同じ物。
極限状況の進は、そいつの仲間がさっきまで空を飛んでいた事を、
頭から取り落としてしまっていた。
回転に乗せて左中肢が羽根を横一列に投げる!魔力装甲が潰される!
遅れて御目見え!飛翔の為の筋力を持つ前肢!
空白となった進の顔正面から後頭部までを開通するような右ストレート!
が、通過する途中で、撓んだケーブルに触れた。
それは進の背後から、蹴り足を経由し、左手に保持されている。
敵の拳が予想外に速かった時の備えだったが、その心配性が吉と出た。
進のキックが深く突き出される事で、ケーブルは張られ、
対手の絶対殺す直拳を、ほんの数センチ横に逸らす。
進の耳が飛ぶ。
カウンターとなった蹴りは魔力の爆風と合わせて二重の打撃。
バッタの右中肢をあらぬ方へ曲げる。
反作用と魔力噴射で左拳を加速し防御が無くなった胸の右にフックパンチ!
体をくの字に折り曲げたバッタは遠くへ飛んで
いかない!
飛ばされた先にまたも魔力塊!
爆破の反動で仰け反りながら進の前へ!
進はそれを確認するまでもなく右の前蹴りに移行している!
左中肢のガード!
インパクトによって後方に押され魔力爆破を背中に当てられ、
テニスの壁打ちやボクシングのロープ際プレイのように、
行っては返りを繰り返させる!
またも腹を抱えるように折り倒されるバッタボディ!
苦しむようにフルフルと微震し、
腹が伸びる。
先端から進に向けて何かを発射した。
泡塗れの黄色いスポンジのようなそれは魔力爆発によって散り、
無数の約数cmバッタとなって目に付いた肉を喰らいに掛かる!
産卵管から卵を撃ち出したか!
何度かの爆破処理で殲滅!
それに注意を逸らしたのを見たバッタが頭の上に回って蹴りを1発!
進の魔力探知で防御が間に合った
が足りていない!
装甲を貫いてクロスした両腕に尖突!
背中から屋根に叩きつけられる時に魔力をクッションにする事は出来た!
そこにストンピングキック追撃!
そのパワー!スピード!共にこれまでで最高!
嫌な推測が現れる。
もしや、卵から孵った子供達までが、ローカルの対象になるのではなかろうか。
攻撃によって、強化まで兼ねるとしたら?
モンスターを産めるのはA型だけの筈。
ではそこに居るのは、実はそうなのか?
それともイリーガル二つのコラボレーションで生じた例外か?
物言わぬバッタには、それに答える知能も会話能力も優しさも無い。
転がって回避!
爆壊され倒れ込む壁と破片を避けて路面に戻る!
バッタは跳ねて追い蹴って来る!
上からホップ!ステップ!ドロップ!
月面の如き衝突痕!
そこから彼の胴を踏断してやろうと超マッハ走行!
いいや、それはある種の水平跳躍!
進は受け身と共に背筋を利用して起き上がり難を逃れ、
しかし衝撃波に煽り飛ばされ次はガラスを割り散らしながら民家のリビングに!
追撃!
地べたを四つん這いに近い低姿勢で動き回る進へ、
何度も間合いを詰めては蹴り上げんとするバッタ男!
何発目か、キックと見せかけて跳躍!
天井から蹴り戻って加速しながら粉砕踏付け!
壁、床、天井に穴をこさえながら3次元的に襲い掛かる!
反応装甲では止められなくなってきた!
外骨格を凹ませてやったのに尚も驚くべき初速を殆ど維持し突っ込んで来る!
足場の多い室内戦闘では分が悪いと悟った進は、
入って来たものとはまた別の窓を破って転がり出る!
その道にもバッタの死骸は大量に積み上がっている!
攻め手が、取れない!
避け続けなければ戦いは終わる。
しかしそればかりでは勝てない!
進は魔力を操作、必要な物を密かに用意。
ケーブルを再び引き出し、右手に巻きつける。
覚悟は決めた。
後は実行が可能かどうか。
敵が彼を追って出て来た!
魔力噴射で跳躍高度を稼ぎ、魔力塊を足場に立体機動を取る!
バッタは昆虫の翅で飛行しながら、前肢の翼も使って空中加速!
その間残りの4本肢を羽根飛ばしに使う!
身体能力がまた増して、先ほど折られた肢が治っている!
それもローカルの効果か?
ここでない何処かで、追加で死んだバッタ達の分が、上乗せされたのか!
進の防護を削り、足場を消し、邪魔者の掃除をしながら飛行!
進はより上へ、上へと逃げて行こうとして、
バッタが魔力塊の一つを蹴った。
羽根が起こす風の流れをマフラーで感じ、不可視のエネルギーの位置を特定、
それを自分の物のように利用して少年の上を取った。
進は移動ベクトルを急遽下降方向に反転。
しかしバッタの後ろ肢は長い。
届いてしまった。
肩を砕く踏撃。
下からの攻撃に備えていた為に、腕でのガードが上がり切っていなかった。
再び地面に叩きつけられるが、さっきとはまるで、全く違う。
受け身も満足に取れず、魔力クッションも急造品。
浸透した破壊力は、極めて深刻と言えた。
被害評価を正確に計算したバッタが、進を貫く為の直下飛落撃を放ち、
その複眼一つ一つに、命中コースから動かない進が映った。
「今こそ言うけど」
口に含んだ籾を噛み砕き、傷を癒しながら待っていた進が。
「秘技、流星返し」
蹴り肢と擦り合うように急昇するアッパーカット!
下の様子を見る為に前のめりに倒されていた胸を高速回転魔力刃が削り、
最終的には頭を直撃!
翼の加速力と重力の総合的破壊力!
自らのパワーアップ分を送り返される!
バッタが家から出て来るまでの短い間に、進は稲穂を収穫し、いつでも食べられるよう口に入れておいた。そして、敵の行動に合わせてピンチを演出し、自分の肉体が壊れる事を承知のカウンターを入れる事にしたのだ!
「LIE!」
進はバッタ男の容態を診断するより前に全力で元の場所に戻る!
さっき彼ら二つが離れた後に、瀕死の重傷者が残されていたが、
「!」
矢張りである。
ディーズが自らの家族と、人質になり得るロクを優先的に治療している。
詠訵は先程と変わらぬ様子で、
ニークトと六波羅は這い進みながら、なんとか稲穂に手を届かせようとしている。
駆け寄るまでの、1コンマ数秒。
進は逡巡をそこで終わらせ、詠訵の横に止まり、その口に籾を入れようと——
「そう、食べさせる」
だから八雲は、彼女の横で待っていた。




