235.良い所で恐縮なのですが、ここでクイズです part1
「八雲」とは何者か?
例えば日魅在進に聞いたとすれば、
「え?八雲さんは八雲さんですよ?誰かって、ロクさんのお知り合いの方じゃないですか。下水道を開けてくれたうちの一人ですよ。あの時からずっと同行してるのに、今更なんですか?」
それならばとロクに聞いたとすれば、
「八雲か?ああ、この区画に住んでる一人だ。いつから居るかって?んなもん忘れたよ。住民票を管理してるわけでもないんだ」
試しにディーズに聞いたとすれば、
「や、八雲?この辺の住民一人じゃない?どうして戦わないのかって、ニホンの市民なんてそんなもんでしょ?じゃあどうして行動を共にしているか?ほっとくと死んじゃうから、彼らが保護してるんだろ。ロクとかいうおじさんと、同じだよ。そ、それが何?」
三人の話は、辻褄が合っているように思える。
しかし結局の所、問いの本質的な部分には、答えられていない。
「『八雲』とは何者か?」、
それを聞かれた時、人は考えの途中で、何かしら勝手に納得し、それ以上を掘ろうとしない。
皆が皆、彼の存在、行動に、「そういうものだ」と思っている。
そして、彼が在り方を変えると、当然のように、上記の質問への答えを変える。
インタビューの様子を撮影して、それを後から見せれば、おかしいと思えるかもしれない。けれど、そもそもわざわざそれを聞こうとする、そういう発想が出て来ない。
時には彼が、その場の出来事に、完全に関係のない人間、何なら事物として振舞っても、
「そういうものだ」と誰もが捉え、時には居る事さえ忘れるだろう。
例えダンジョンの中に居ても、Z型が居る10層でくつろいでいても、
ディーパーも、モンスターも、内装の一部として受け入れる。
彼に対する違和感は、全て無力化される。
それが彼の、“それってこんな顔”だった。
その能力の由来は、極めて自己中心的な世界観。
彼は言う。
「自分以外に、確かな物なんて、何処にも無いじゃないか」
それは、世界を恐れるが故の、逃げの発想ではなかった。
彼が彼なりに、世界の仕組みについて、突き詰めた結果であった。
「僕が見ているのは、脳が処理した情報だ。僕が聞く物、嗅ぐ物、触れる物、味わう物、全てそう。脳味噌が勝手に作った加工品だ。僕は、僕の脳を、自由に動かす事は出来ない。
だから例えば、そこに何も無くても、視覚を司る領域が、石の像を生んじゃえば、僕にとってはそこにある事になる。感覚野がそれに合わせて触覚を刺激して、筋肉が命令通りに止まったり動いたりしてくれれば、」
彼は小石を拾い上げる。
「こうやって、掴んで、持ち上げて、重みを受け取る、ように感じる事だって出来る。いいや、筋肉を動かす必要も無い。僕の意識に、動く手という映像を見せて、そういう感触を植え付ければ、僕はこの石がある世界で、生きていく事になる」
「分かるかな?」、
彼は手中の石を、宙に放り、
「つまり僕にとっての世界って、僕の脳さえその気になれば、何でも作れる不安定な物なんだ」
落ちて来たそれを再びキャッチ。
それを彼女に見せながら、
「で、君はこれが何に見える?」
「小石に見えるね。灰色で、スベスベしてて、角が丸まってるカンジ」
「僕と同じだ。でもそれって、本当にここに小石があるから?僕と君の脳が同じ偽物を見せているから?僕の脳が君の言葉を改変して、辻褄を合わせているから?それとも——」
——君の存在自体が、嘘だから?
世界の形を証明してくれる根拠なんて、何処にも無い。
神様だって、脳にかかれば偽造し放題だ。
「どんな偉大な科学者も、本当は意味の無い事をやってるんだ。全部妄想だって言われて、それに反論するには、余程のおバカさんでないと無理だ」
「うん、確かに……。仮想世界オチとか、5分前仮説とか、否定しようにも、出来ないからね」
ベンチに座った彼女は、興味深そうに彼の私見を聞き、
「じゃあ、君が人間に興味が無いのって、そういう考え方が原因?」
閉じていた瞼を上げ、吸い寄せるような視線と共に訊ねる。
「ちょっと違う」
「と言うと?」
「僕は世界に興味が無い」
「わあお」
そう、彼にとって、実在と虚構に区別など無い。
考えれば考える程、生きる事と、画面の向こうの物語を楽しむ事は、同じであるように思える。
作り手ではない彼にとって、どちらも100%思い通りには行かない、他人事である。
「何も確実じゃない世界、か」
「それも違う。確実な事は、一つだけあるよ」
「それは?」
「僕だ」
世界を確定させる神は居ないけれど、
世界を肯定する事が出来る自分は居る。
「僕は石を掴んだ。本当は無いかもしれない。騙されているのかも。でも、騙されている“僕”は居る。勿論、『僕』という認識も、脳の拵え物かもしれない。いや、『脳』っていうのも間違いで、もっと違う形をしたシステムなのかもしれない。でも、どんな物であれ、情報を処理する機関自体は、存在する。偽物がどれだけ作られた所で、それを見る者が居なければ、どうでも良い話なんだ」
だから彼にとって、自分は神より上の存在だ。
彼が居なければ、神様だって居ないのだから。
「だから僕は、僕が『こう』と決めた世界を、『そういうもの』として受け入れるし、僕が作っただけの世界に、特別尊い価値なんて見出さない」
それは彼女に対しても、同じ……そう、同じだ。
「僕の魔法は、それを反映したんだろうね。脳が見せるままに、世界を『そういうもの』だと思ってしまうように、僕がそこに居るのを、『そういうもの』と思ってしまう。
どんな意識であっても、例えモンスターや、居るか知らないけど宇宙人であっても、疑いを忘れる力を、生きる為に持っている。それが無いと、終わる事のない猜疑心によって、何一つ真面に出来なくなるから」
それは生命を生命たらしめる、原初の習性。
彼はその力を、ただほんの少し、端っこだけ、借りているに過ぎない。
故に、対生物最強。
どんな能力も、その呪いだけは解く事が出来ない。
それを解いたら、暗闇に一人取り残されるのと、同じ無間に陥る。
誰も彼を止められない。
自分の喉に刃を突き立てられたとして、何か防御や治療はするだろう。
しかし、彼がそれをやる事自体には、ノーリアクションだ。
雨が降ったら、傘を差す。
風が吹いたら、首を竦める。
朝には起きて、夜に寝る。
雨風太陽を止めようとはしない。
身を守っても、攻撃はしない。
根本原因を変えようとは思わない。
「そういうもの」だから。
「そっか」
彼女は、彼のほとんど全てを理解して、
それでも最後に一つだけ、
「それじゃあ、なんで——」
——あの時、なんて聞かれたんだっけな?
「イチチチチチ……」
今まで感じた事のない痛みの中で、彼が思い出したのが、その時の光景だった。




